2-27-3.腕時計の記憶③【陣野卓磨】
そして、視界が暗転し場面は変わる。
何処かの喫茶店かレストランだろうか。ボックス席のテーブルの上には先程見たプレゼントの小箱が置いてあり、柴島先生と九条さんが対面で座っている。
「私が……私が余計な事思いつかなかったら、こんな事にはならなかったのに……」
俯き声を震わせながら頭を抱える柴島先生。
「それは違うだろ。柴島は悪くない。あのクソジジイが全部悪いんだよ」
『霧雨市で起きた車の暴走事故は死者三名、負傷者は十数名にのぼっており……』
喫茶店内に置かれたテレビからは、先程見た事故のニュースが流れている。
九条さんが聞こえてきたアナウンサーの声に引かれてテレビに視線を移す。その画面を見つめる九条さんの目は冷たく、どこか他人事の様に感じている風に見えた。
『インターネット上では大騒ぎになってますよ。なんでこの殺人犯は三人も殺して逮捕されないんだー! ってね。そりゃ皆疑問に思うでしょう。八十歳を越えた年寄りだからと言ってね、他の似たような事件はこれよりもっと被害が小さくても逮捕されてる。医者が逮捕拘留に耐えられる診断を出すとかそういう問題じゃないんですよこの悲惨な事故……いや、事故じゃない、事件といっても過言ではないですね。殺人事件だ。逃亡の恐れがないなんて言い訳でご遺族が納得されるわけないじゃぁないですか』
『しかも彼は、役人上がりの某大手企業の役員だそうですからね。何か裏があると言っても――――現場検証の映像を見てもらっても分かる通り、杖をついていると言っても本人はいたって元気そうですし―――』
出演している司会やコメンテーター達が尤もらしい事を言っている。本当に思っているのかどうかも分からない、視聴者に受けそうな当たり障りのない意見だ。
それはそうだろう。先ほど俺が見た風景は凄惨なものであった。小路の果てた姿はもちろん、他にも轢かれた人間が何人も呻き声を上げて倒れていたし、倒れて動かなくなっている人もいた。
この事件を知った多くの人は怒りに憤慨し、このコメンテーター達の意見に賛同する事だろう。そうすればコメンテーターの株は上がり仕事も増える。所詮、金の為のコメント。内心はどうでもいいと思っているのだろう。九条さんが冷たい目で冷ややかに見る気持ちも分かる。
テレビ画面から視線を目の前に柴島先生に戻す九条さんの顔は、先程の冷たい表情からは打って変わって怒りを露にした顔になっていた。内容を聞いて、友人を殺した人間がのうのうと日常生活を過ごしている、その事実が怒りを駆り立てたのだろうか。
「これ、どうしよう……皆でお金出して買ったのに……結局、鴫野にも受け取ってもらえなかったし……」
机の上に置かれた小箱は、よく見ると所々凹んで包装も汚れてしまっている。先程見た場面ではここまで汚れている様には見えなかったが、受け取って貰えなかったという事は、今までの流れからして渡そうとした時に投げ捨てられたのだろうか。
「仕方ないさ……鴫野もいろいろな事が重なりすぎたんだ。人生って不安定だよな。良い事も悪い事も、起こる時は立て続けに起こる。僕等すらも信用してもらえないなら、彼女の心の中に降り積もった雪が解けるまで気長に見守るしかないさ。それまで僕等は縁の下の力持ちってことで彼女を裏から支えていくしかない」
「私にそんな事出来るのかな……」
「出来る出来ないじゃない。やるんだよ。それと、それは僕が持っていても無くしてしまうかも知れないから、柴島が持っててくれよ」
「私が? それに、そんな日来るのかな……小路が死んだのって、私がイヤホンして歩きながら携帯弄ってたのが原因だし、許してもらえるなんて思えないよ……私が死ねばよかったのに……」
次第に小さくなる震える声。
その声からは大きな後悔の念が伺える。
「そういう事をあんまり言うんじゃないよ。柴島が死んだら死んだで悲しむ人は大勢いるだろ。終わってしまった事でいつまでもくよくよしてたら、鴫野を支えるなんて出来なくなっちゃうだろ。まずは僕等がしっかりしないと」
「でも……でも……っ」
「鴫野は元々前向きな性格なんだ。だから、いつかは分かってくれる日が来るさ。誤解だって解けると僕は信じてる。……その時に改めて二人で渡そう。笑って忘れるなんて事は絶対に出来ないけど、嫌な思い出を少しでもいい思い出に変える為にね」
そう言うと目の前のカップを手に取り飲み物を飲み干す九条さん。
「じゃあ僕はこれからバイトがあるから。勘定は払っておくからね。それと、何度も言うけど、柴島もいつまでもくよくよしてても仕方ないだろ。どこかで切り替えないと駄目だぞ。僕等は生きているんだ。まだ人生には先がある。死んだ小路の分もしっかりと生きていかないとね」
柴島先生が九条さんに視線を向ける事は無かったが、その言葉は受け止めている様だった。
「そう、死んだ、小路の分もね……」
そして九条さんは支払を済ませて店を出ていった。
「無理だよそんなの……ごめんの一言すら聞いてもらえなかったのに……」
一人取り残された柴島先生の言葉が頭に響いてきた。




