2-16-3.首切り殺人犯【溝口青子】
「ちっ……!」
間一髪だった。九条さんが私を力任せに思いっきり引っ張り、寸手の所で振り下ろされる刃から逃れる事が出来た。
私の変わりに切り刻まれたのは今さっきまで見ていたディスプレイとその本体であるパソコン。
まるで豆腐を切るかのように軽々と切断されてしまった。中の電子部品が辺りに飛び散り、切られたハードケースが音を立てて床に崩れ落ちる。
目に見える刃は短いのに、どうしてここまで切れるものだろうか。目の前にいる異質な存在に驚かされパソコンが壊されたと言う事よりそんな事が気になってしまった。
「な、なに……? こいつ、どっから出てきたの?」
我に返り、やっとのことで上ずった声で言葉を搾り出したものの、それ以上の言葉が出てこない。
本当に怖い時というのは叫び声なんて出ないものなのか。九条さんが引っ張ってくれなければ私がこのパソコンのように切断されていたと思うと、今殺されかけたという事実が徐々に全身を支配し、私を見下すその異質な存在に体が震えだす。
首をカクカクと震わせながら、床に尻餅をついている私を見下ろす血走った大きな目。最早それは、人間の目には見えなかった。。
危険、危険だ。私の直感がそう告げている。でも、怖くて動く事が出来ない。ただその姿を見つめて震える事しか出来ない。
警官として鑑識に入るまで、色々な犯人を見てきたが、自身の死を間近に感じて直面したのは初めてだった。
「みんな、ミンナ、みんなイル……赤い部屋……私の部屋……」
大きく裂けた口からは鋭い歯が見え隠れしており、口は動いていないが、その奥から声が漏れ出てきている。何かブツブツと呟いているそんな相手の姿を見ている事しか出来ない。
全身を支配する恐怖が、私の動きを止めてしまっている。手も足も言う事を聞かない。
「溝口ちゃん、立てるか? 相手が止まってる……逃げるぞ。今は銃も携帯してないし、ここじゃ反撃しようにも武器がないし、相手のあの武器……このまま相手をするのは危険だ。一端引いて応援を呼んだ方がいい」
私達に攻撃をかわされてから動きを止めている目の前の化物を見て、九条さんが小声で話しかけてきた。
九条さんは冷や汗を垂らしてはいるものの、やけに冷静だ。普段軽い分、こういう顔を見ると頼もしく見える。
確かに逃げるなら動きの止まっている今がいい。幸運な事にドアは私達の背の側にあるし、部屋を出てすぐに閉めれば、金属製のドアをやすやすと破られる事もないだろう。
ただ、すりガラスとなっている窓の部分に不安はあるが……。
「に、逃げっ、逃げる! うん! 逃げよう!」
怖さでうまく言葉が出てこない。
そんな私を見て九条さんが、腰が抜けている私の肩を抱えて相手の様子を伺いつつそろりとドアまで運ぶ。
突如出てきた化物は、私達の方を気にするでもなくまだ向こうで何かブツブツと呟いている。さっきまでの殺意は何処へやらといった感じだ。こちらが逃げようとしているのには見向きもしない。
「いけそうだね……」
「は、はひ……」
ソロリソロリと忍び足でドアへと向かう。
「赤ああああああああああイイイイイイイイ!」
もうすぐドアに辿り着くという時に、突然の叫び声と共に化物の片腕がこちらに振るわれた。
「ひいい!」
びっくりして顔を背けて目を閉じてしまう。
何かが空を切りながら私達二人の頭の間を通り抜ける気配。
恐る恐る目を開けると、私の切られた前髪がフサッと目の前を落ちていく。
複数のカッターナイフの様な刃が目の前を通り過ぎていたのだ。その元を辿って視線を移していくと、指からそれが伸びているように見える。
もう数センチ横にずれていたら私の頭に突き刺さっていただろう。
そして、今度は縮みだし私の目の前を煌く反射光と共に通り過ぎていき、元の指に収まった。
化物はその一撃を最後にまたブツブツと呟き始め動きを止めてしまった。
「クジョウ……ミゾ……グチ……ク……ジョウ……クジョウ……クジョウ……ワタシ……」
しかし、化物が再び動きを止めてくれたおかげで、こちらは部屋を脱出する事が出来た。
息も絶え絶えにドアを閉めるが、向こう側で何かが動いているという気配はない。分厚い扉に阻まれ声も聞こえなくなってしまった。
「溝口ちゃん、応援呼んできてくれ。僕はあれが逃げないようにここで見張ってるから」
「は、はひ!」
間抜けで気の抜けた返事をしつつ、とりあえず部屋の鍵を閉める。
そして、私はふらふらと足をもつれさせながら刑事部のある方へと向かった。




