2-15-1.事件の状況【七瀬厳八】
「どうだい、何か分かった?」
今、俺は鑑識課の部屋におり、目の前には眼鏡をかけたショートカットの女性がいる。
彼女の名は溝口青子。鑑識課の人間だ。
眉間にシワを寄せて、時折唸りながらパソコンのモニターと睨めっこしている。横山宅の廊下に設置されていた監視カメラ映像を見ているのだ。
「ああ、七瀬さん……と、九条さん」
俺がかけた言葉に、首から上だけをこちらに向けると疲れた声で返事が返ってきた。
「見てくださいよこれ。最初に殺された小学生の男児が映ってる所なんですけど……」
溝口がマウスを操作するとディスプレイに映っている映像が巻き戻る。その画面に映って見えるのは横山家の息子と娘。二人以外には誰も映っておらず、もちろん犯人らしき人物の姿は映っていない。
「ほら、男児が玄関に向かって一人で何か喋ってる感じですよね?」
映っているのは後姿なので、正直喋っているように見えるかと言うと微妙である。時折振り向き妹を気にする顔が映ると、口が動いているのが分かる。喋っているとしても、独り言を言っているというか誰かに喋りかけているという雰囲気である。
しかし、その目の前には相手の姿がない。
見えない〝何か〟に殺されていった被害者達を思い出す。目玉狩り事件の時に起きた食事処大量殺人の監視カメラ映像と同じか。映像に映っている子供は俺達には見えない何かと喋っているのだ。
「そうだな。後ろの女児は見てるだけか。親は?」
「親は別の部屋ですね。もう少し後にならないと画面に映りこまないです」
奇妙な映像が続く。そして少しすると、女児が小走りでその場を離れ画面から消えた。向かった方向からしてダイニングへ行ったのだろう。親を呼びに行ったのだろうか。
「この後ですよ。これまでカメラからは離れてて音声までは大きく拾えてないんですけど、突然間近で撮影したかの如く聞こえてくるんです。それも、この男児とは別の声も」
『赤い、チャンチャンコキセマ ショ カ』
『チャンチャンコって何? ……わかんない』
溝口の言う通り、ザザッという不快な雑音の直後に、不気味な声と男児と思われる声が突然スピーカーから流れてきた。映像に映っている距離からしても、男児のその不安交じりの小さな声を、家庭用の安っぽい監視カメラがこんなに大きく拾えるとは思えない。
「ね、さっきいた女児の声ともとても思えませんし、人が普通に発する声には……」
その様子を注視して見ていると、男児がどうしていいか分からず、妹が走っていった方向を見たり玄関の方に視線を戻したりと落ち着きのない様子を見せている。そして、少し口を開き玄関の方に向き直った直後だった。
『着た イ?』
突然の事だった。その不気味な声の数秒後、男児の首筋から血が噴水の様に噴出した。そこで溝口が画面を止める。
「見ました? 突然ですよ突然。突然血が噴出すんですよ、ブワァーッと!」
制止する映像を指差しながら、映像と俺を交互に見つつ興奮する溝口。安物の監視カメラの少し洗い映像を通してなのでリアリティが無いのが分かるが、まるで手品でも見て驚いたかのような反応だ。
見ていると確かにいきなり首筋から血が噴き出た。普通ならこんな現象が起こるなんてありえないだろう。仮に頚動脈を切られたからといって、こんなに噴水のように噴出するはずが無い。
「ああ、しかも何だこの血の噴出しようは。尋常じゃないな。まるで……」
そう、その噴き出た血のあとはまるで……昔この隣の家で自殺した女学生の部屋の状況そのものじゃないか。
「これは不可解ですね。かまいたち現象にしても屋内でそういう事が起こるとは考えにくいですし」
俺と同じく画面を見ている九条も、その瞬間を見て目を丸くしている。
そうか、九条や溝口は隣の家で女学生が自殺した当時の事を知らないから分からないか……。
「でもですね。不可解なのはこれだけじゃぁないんです。もう一回、七瀬さん、九条さん、もう一回よく聞いてくださいよ。この変な女の声が〝着たい?〟と発言した直後です」
そう言いながら鼻息荒く溝口が映像を再び巻き戻すと、先程と同じ映像が流れる。
よく聞けと言われた部分で三人とも息も潜めて、耳を澄まし集中する。はっきりとは聞こえないが、微かに何か聞こえるような気はする。男児の声と不気味な女の声はこんなにはっきりと入っているのに、この声だけは聞こえないくらいの小さな声で映像に乗っているのだ。
「何か……うーん、聞こえるような気もするが。女の声か?」
「ああ、聞こえますね。先輩、僕も女性の声が聞こえました。声質からして、さっきから聞こえてる女の声とは別の声に聞こえますが……かなり集中しないと聞こえなそうですね。溝口ちゃんよくこんなの聞こえたね」
九条が感心するように溝口の方を見ている。確かに普通に聞いていたら聞き逃しそうなものだ。
「私も最初は気付きませんでしたよ。音声分析でこの部分に変な波が入ってたので調べてみたんです」
「母親か女児の声が奥から聞こえたんじゃないのか?」
「いえ、母親と女児の声も入っている部分があったので、音声研究所の信楽さんの所にも回して比べて分析してもらったんですけど、声紋は明らかに違うとの回答がありました。どちらかと言うと最初の女の声に似てはいるが、それとも微妙に違うとの事で」
「ふむ……」
ただ、その女の声は何を言っているかよく分からなかった。
そこに映っている男児はその〝言葉〟が聞こえていないのか、それには全く反応を示していない。
「じゃあ、今の部分をもう一度流しますね。更に更によーく聞いてくださいよ」
溝口はボリューム等を調節し、映像を巻き戻す。
そして同じ映像がまた流れるのを確認すると、九条と二人で先ほどよりもスピーカーに耳を近づけ耳を澄ます。ノイズも少し大きくなったので、俺の耳ではこれでは聞き取れないかもしれないと思ったが、思いの外耳に入ってきた。
『赤い……※△##……か?』
途中部分が聞き取れなかった。だがこれもまた人の声とは思えない不気味な声であった。




