2-11-3.奪われ逝く命【横山忠雄】
抱き上げた真治は息をしていない。目も口も力なく薄く開かれ、生気が全くない。左右の首筋がザックリと複数箇所切られている。血が噴き出たのだろうか、着ていた衣服には正にさっき里香が言っていたチャンチャンコの如く二筋の血痕が染み渡っている。
「てめぇ!! なんだ! クソがぁ!! 何しやがったぁ!!」
真治を床に横たえるとバールを握る拳に力が入る。
わなわなと手が振るえ、これで殴ると相手は死ぬかもしれないという一切の不安さえ拭い去る怒りが全身を奮い立たせる。息子を殺されたと言う怒りだけで体が勝手に動いてしまう。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」
こいつが死んだら俺は殺人者になってしまう。だが、こいつが死んでもかまわない。
怒りが、悲しみが他のどんな気持ちよりも勝る。
バールを勢いよく振り上げ思いっきり殴りかかる。ブッォンという空を切る重い音と共にバールが不審者へと振り下ろされ、その体へと直撃した……かに思われた。
だが、「ガキィン」という鈍い金属音と共に、俺が振り下ろしたバールがいとも簡単に弾かれてしまった。
弾かれた反動がビリビリと手の平から肩にかけて伝わってくる。痺れる感触と共に、弾き飛ばされたバールが壁にぶつかる。ぶつかった拍子に手を離してしまい、バールが音を立てて廊下を凹ませ滑り転がり離れていく。
な、なんなんだこいつ……?
「赤いチャンちゃんコ、着せマショカ? け ケ け」
相手がゆらりとこちらを見上げる様に顔を上げた。見えて来たその顔は、とても人間の物とは思えなかった。
赤く血走り見開かれ焦点が合っていない目、大きく裂けて鋭い刃の様な牙の生えた口、そしてなによりその血管の浮き出る青白い肌。得体の知れない存在に恐怖を覚え足が震える。
だが、そんな微々たる恐怖如きで、俺の怒りが押さえつけられる事など無い。
再びすかさずバールを拾い上げ構える。
「佐恵子ぉ! 逃げろ! 里香を連れて逃げろ!!」
「え!? 何!? 何かあったの!?」
リビングから顔を覗かせる佐恵子からは、恐らく真治の姿は見えていない。
何が起こっているか分からず動揺する佐恵子をまず逃さないといけない。
「いいから逃げろって言ってんだ! 庭の方から外へ逃げろ! それから警察呼べ!」
「う、うん」
それは一瞬だった。
佐恵子の方に振り向き、目を離した一瞬。玄関の方に向き直り視線を戻すと、目の前にいた筈の奴が忽然と消えていた。
どこ? どこだ? どこに行った?
慌てて前後左右を見回すがその姿が見えない。しかし、足元をよく見ると廊下に赤い足跡が一つ、二つと続いていた。こんな物さっきまでは無かったと思うが、いつの間にできたのだ。
まさか……。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアア!」
逃げたはずの佐恵子の叫び声が家の中に響き渡る。声はリビングの方から聞こえた。何が起こっているのかさっぱり分からず、いくら考えようとも理解が追いつかない。
「お母さん! お母さぁぁぁぁぁん! わあああああん!」
母を呼ぶ里香の喚き声も聞こえてくる。
急いでリビングに向かうが、焦りからか床に残されたヌルリとした足跡を踏みつけてしまい、足がもつれてこけてしまった。
何とかすぐさま立ち上がり、よたよたとリビングに到着すると、そこに見えたのは首筋から二本の滝の様に血を噴出し、力なく崩れ落ちる佐恵子の姿だった。
「返事ナイネ? 着せてアゲル。 ケケ」
ぶきみな声が脳に響く。
「お父さ……ぁっ……!」
俺の姿に気が付いて こちらに駆け寄ろうとした里香の言葉はそこで止まってしまった。
佐恵子の横に立っていた里香の首筋を目掛けて不審者が手を振り下ろした。
ヒュッ、ヒュッと言うこちらまで聞こえてくる風切り音。
化物がまるで指揮者がタクトを振り上げるかのように、里香の方へと手を動かすと、それと共に里香の首筋からも佐恵子と同様に噴出す血の滝。それは勢いを止めることなく枯れ果てるまで流れ落ちた。
血の気が無くなり白くなった里香の体が力なく虚ろな目をしてその場に倒れこむ。
「うわああああああああああ! 里香! 里香あああああああああああ!」
すぐさま駆け寄り倒れた二人を見るが、息をしている様に見えない。
嘘だろ、何かの間違いだ。夢なら覚めてくれ。
必死にそう願うが、目の前の光景が薄れて消えていく事はなかった。それどころか、ハッキリとした自分の意識を再認識させられて絶望感が押し寄せてくる。
「止まれぇ! 止まってくれよ!」
里香の首を押さえるが時は既に遅し、首からたれ落ちる血液はごく少量で、流れ出る血すら残っていない様に見える。
佐恵子の方も同様だ。手遅れ、そんな無常な言葉が頭を過ぎる。
「何で……何でこんなことするんだよ! 俺達が何をした! お前誰なんだよ! 頼む、死なないでくれ! 俺を一人にしないでくれよぉ!」
「赤い、チャンチャンコ、着せマショカ?」
再び呟かれた意味不明な問いかけが耳に入り顔を上げるが、声の主の姿は既に目の前から消えていた。
「なんなんだよてめぇはよぉ!」
虚しく響き渡る叫び声。そして背後から、里香を抱き寄せ涙を流す俺の両肩に何かが置かれる。うっすらと視界に入る、複数のカッターナイフのような刃物。氷のように冷たい感触が肩から伝わってくる。それは不審者の手。その手に生える細い指が俺の両首元をすっと引く。
「シ、シガ……ラ……ユル……サ……」
最後に何か言っているように聞こえたがよく聞き取れなかった。その呟きと同時に溢れ出す俺の血液。
血と共に俺の意識が外に洩れ出て行く様な感覚に捕われる。
意識が遠のいていく。俺はこのまま、ここで死ぬのか……。家族を守る事も出来ず……なぜ……どうして……。俺達が……なにをしたというのだ……。




