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おんりょうめもりー ~死人達の記憶と刀の少女~  作者: ぎたこん
第一部・第一章・初めての怨霊
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1-3-2.静かな食卓【陣野卓磨】

最終更新日:2025/2/26

「…………」


 食卓は静まり返っている。あれからいろいろあり、数時間が経っている。俺たち家族は家に戻って、燕が食事の準備をしたものの、誰も喋らない。湯気の立つ豆腐を口に運ぶが、味がしない。湯豆腐だから味がしないわけではない。暗い気分がそう感じさせているのだろうか――その暗さが、冬の夜の冷たい闇と重なり、俺の心を重くする。食事はなかなか喉を通らない。目に焼きついた、あの嫌な光景が、今でもはっきりと脳裏に浮かぶ。


 あの後、勝手な事だが、警察の到着を待つ前に爺さんに呼ばれ、部屋の状況を確認に行ったのだ。爺さんはなぜか分からないが、こういう緊急時の行動が早い。手馴れているというかなんというかな、そんな感じがする――その頼もしさや冷静さが、俺に安心感を与えてくれた。


 爺さんが言うには、この辺りは救急病院から少し遠くて時間がかかるため、仮にあの部屋の住人が生きているとしたら、救命措置を取らねばならないという事だった。御厨の奥さんも「娘が、緑が」と悲痛な面持ちでボソボソと口をパクパクさせるだけではっきりとした状況が全く分からなかったのもある。


 しかし、件の部屋のドアを開けた爺さんは、言葉を失い目を丸くしていた。爺さんの見つめる先には何があるのか。それが気になった俺も、爺さんに続いて部屋を覗こうとした。横から顔を覗かせようとする俺に対して、爺さんは「こっちにくるな! 見るな!」と制止してくれたが、時既に遅し。見てしまったのだ。


 血まみれになった部屋。そこに転がるのは、恐らく人であったもの。ピクリとも動かない。足はありえない方向に折れ曲がり、下に敷かれたカーペットは頭から流れ出た血液で一面真っ赤に染まり、苦悶の表情を浮かべる顔の目があるはずの部分には、真っ暗な空洞がぽっかりと空いていた。それを見た時、俺は頭の中がぐにゃあっと歪み、一瞬思考が停止した――その光景が、冬の夜の冷たい闇に溶け込み、どこか理解を超えた不気味な気配を帯びる。


 インターネットで似たようなショッキングな画像は何回も見たことがある。だから、いざ俺がそういう場面を目撃しても平気でいられる自信はあった。何の根拠もない自信だ。でも、それは所詮写真。実物は違った。俺の考えが甘かった――その血の臭いが、三月の末の寒さに混じり、俺の鼻を突き、胸を締め付ける。鼻から喉に迫る生々しい臭いが、開け放たれた部屋から洩れ出てくる。吸い込む空気が全て汚れて感じ、口が、鼻が、胃が、心臓がこの場を離れろと忠告してくる。そして、今日は朝からずっと寝ていて何も食べていないはずなのに、胃から何かがこみ上げてくる。俺はすぐさま視線を部屋の外に移し、吐気を感じながらその場に膝をついてしまった。


 爺さんもそんな俺を見て、慌ててドアを勢いよく閉める。そして、もう一人の気配に気づく。燕が「あたしも!」と言いつつ後ろについてきていたのだ。


 部屋の中は見ていないようだったが、顔を青くした俺に気が付き、言葉もなく不安気な表情でこちらを見ている。俺は何も言わず、無我夢中で、妹の手を引っ張って御厨みくりや宅から逃げるように出る事しかできなかった――その逃げ出した足元に、冬の夜の冷たい闇が絡みつき、血まみれの部屋の不気味な気配が、俺の後を追うような感覚に襲われる。


 なんなんだろうか。昨日まではなんら変化もない日常を過ごしていたはずなのに。今朝までは何も考えずに、一人VRのネットゲームに興じていた。布団に入る時も、起きたらどこのダンジョンに潜ろうとか、どのスキルを上げようとか、普段と変わらない考えを頭に巡らせつつ横になった。


 なのに、起きたらこれだ。


 あの遺体は、俺のクラスメイトだった御厨緑みくりやみどりの亡骸らしい。今は春休み、一年の時に同じクラスだったのだ。見知った人間の凄惨せいさんな遺体を見てしまった為か、急に異世界に吸い込まれたかの様に変な感覚にとらわれる。思い出してしまうと、腹の底から恐怖がこみ上げ、胸がなんとも例え難い熱さに包まれていく――その恐怖が、冬の夜の冷たい闇に溶け込み、どこか理解を超えた不気味な予感として、俺の心を揺さぶる。


 思い出したくも無い光景が、サブリミナルのように頭の中にフラッシュバックする。もしかしたら一生もののトラウマになってしまうんじゃないかと、不安がよぎる――その不安が、冬の冷たい静寂に重なり、町全体が不気味に変わっていくような錯覚に、俺を包み込む。


 元々とっつきにくい女子だったので、そこまで仲の良かった相手でもないし、登校前に家の前で鉢合わせても軽く会釈する程度、会話と言う会話もほぼしていないと言っていい位にはしていない相手だが、身近にいた存在のありえない状態での死が、俺の心の底に恐怖を植えつけた。


 豆腐をもそもそと租借そしゃくしながら、そんな事を考えていると、燕が箸を置き、口を開いた。


「……お兄ちゃん、ありがとう」


 開かれた口から出てきた言葉は礼の言葉だった。口に含んでいた豆腐を一気に飲み込む。口の中にある豆腐の様に、頭の中がぐちゃぐちゃで、何に対する礼なのかが分からなかった。


「……なにが?」


 口の中の物を一気に飲み込み、視線だけを燕に移し、聞き返す。でも、向こうは伏目がちで、視線をこちらに向けてはいない。


「さっき、私があの部屋の中見ないように逃がしてくれたんでしょ? どんな風になってたのかは知らないけど、酷い状況だって聞いたし……今のお兄ちゃん見てると、なんて言うか……見なくて良かったって思ったから。それで、お礼まだ言ってなかったから……」


「あー、ああ……でも、燕が来た時には爺さんが既にドアを閉めてたから……」


 今の俺は、傍から見てそんなにげっそりして暗いのか。自分で言うのもなんだが、普段から暗目であると自覚しているので、気付かなかった。


「珍しくお礼いったんだから素直に受け取ってくれればいいのに」


 燕がムスッとした顔で、視線を逸らす。俺としても、誰かの為に行動するなんて珍しい事だとは思う。あんな事初めてだったし、その時の事は、よく覚えていない。ただ、気分が悪くて早く外に逃げ出したいだけだった。そしたら、燕が目の前にいて、困惑した表情をしていて……。


「咄嗟の行動とはいえ、あの状況じゃなかなかできん事だ。ワシもいい判断だったと思う。救命なら一人より二人の方がと思ったのじゃが、むしろあの場にお前を連れて行ったワシの判断が間違っておった。嫌なものを見せてしまってすまんかったな」


 爺さんも箸を置き、こちらを見る。掛けている眼鏡が、湯豆腐の湯気で曇っているが、その表情は心底申し訳なさそうな顔をしていた。その頼もしさや冷静さが、俺に安心感を与えてくれる――その自然な態度が、冬の夜の静けさに溶け込み、俺の不安を少し和らげる。


「いいよ、別に。俺だってまさかあそこまで酷いことになってるなんて思いもしなかったし……」


「そうか。そう言ってくれるとありがたい。本当にすまんかったな。つい昔の……」


 爺さんはそこまで言うと、口を噤んだ。そして、それに引き込まれるように、再び三人とも黙る。食卓が沈黙に包まれる。


 俺の家族は、俺を含めてこの三人しかいない。父親は早くに亡くなり、母親も一昨年おととし亡くなった。だから、食事は普段からこの三人だけである。俺と燕の年齢的なものもあってか、最近は食事中の会話もそんなに多い方じゃない。思春期という奴だ。でも、ここまで皆が黙ってうつむいて食事をするのは、久しぶりだった――その静けさが、冬の冷たい闇に溶け込み、血まみれの部屋の不気味な記憶が、俺の心を再び締め付ける。

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