2-0-0.プロローグ
部屋の窓から見つめる景色。もう何年同じ景色を見続けているだろう。
私はここから動くことができない。離れたいのに出る事ができない。思い出したくないのに逃げる事が出来ない。
とめどなく流れる時間をこの家のこの部屋で過ごしてきた。
私の両親はどうなったのだろうか。自分が死んでからこの家の事を見てきたはずなのに、そこだけ記憶がすっぽりと抜けている。
母は不倫をしていた父と度々大きな喧嘩をしていた。それが両親に関わる最後の記憶だ。その先はまるで、頭の中に霧がかったかのように隠されて分からない。
幾つもの家族がこの家に引っ越して来ては出て行くのを見てきた。
この家に暮らす人々は皆不幸になっていく。
私のせいじゃない。私のせいじゃない……。何が、誰が、私をここに縛っているのだろうか。もう解放して……。楽にして欲しい……。
[地縛の霊よ、なぜここにいる]
突如どこからともなくかけられる声。幼い女の子の声。
なぜ……なぜだろう。未練があるからだろうか……。
もしかして、誰かが私を縛り付けているのではなく、知らず知らずの内に自分自身が私をここに縛り付けているのかもしれない……。
私が死んで、彼も死んで、両親も友達も悲しんで……。私は後悔しているのかもしれない……。
[違うな]
違う……いや、違わない。私が皆を信じてあげなかったから。話を聞いてあげなかったから。
だからやはり、私がここに縛られるのは私自身のせいなのだ……。
[違うな]
誰だろう。私に話しかけてくるのは。
私に話しかけれる様な存在はいないはずなのに。
[お主は裏切られ、嘘をつかれ、追い詰められて、命を絶った。お主が命を絶ったのはお主のせいではない。周りにいた人間のせいだ]
周りにいた人間……のせ……い。
[だからこそこの家の主が、我とお主を引き合わせてくれたのだ]
自分の足元から赤い色が広がり染まっていく。首が痛い。それはまるで私の血が染みて広がっていく様な光景だ。
窓の外を見ると黒い手が空から伸びてくる。それを見つめる私の頬に手を添えると、そっとさすり離れていく。それはとても心地よい感触で、幸せに包まれているかのような感覚。
久しく感じなかった暖かな感情。
心の中で、思考が変わっていく。
安心していいんだ。信じていいんだ。私は、この声に従えばいいんだ。
そう思えてきた。
[間違っているのは周りの人間だ]
そう……そうだ……理由を聞くまでもない。間違っているのは私の周りにいた人達……。私を裏切って、騙した人達。
[そう、お主は正しい]
…………。
[自分の命を奪う事になった人間共に復讐をしたいか?]
復讐……。
殺すの?
[それはお主次第である。殺すも、いたぶり生かすも……力があればどうにでもできる]
人を殺す。そんな事をしてもいいのだろうか。
良くない、良くないのは分かっている。けど……。
そんな考えを巡らせていると、赤く染まった部屋の壁に次々と人の名前が刻まれていく。
見た事の無い名前、知らない名前。そんな無数の名前を見ていると、不思議と懐かしい感覚に包まれる。
そして、その中に見覚えのある名前が一つあった。
つらつらと刻まれた名前の恐らく一番最初であるであろう場所に刻まれた名前。
〝鴫野忠文〟
私の父親の名前だ。それが目に入った瞬間理解した。ああ、父親は死んだんだ。でも、母の名前は無い。今もどこかで生きているのだろうか。
[この家の主も、お主の背を押している。迷うな。迷わず、殺せ。人間を]
殺す……殺してやりたい。
私を裏切って、追い詰めて、命を絶たせた奴等に……。
[そう、そうだ……授けよう。復讐の念を叶える、厄災の力を……]
黒い黒い靄が目の前に噴出し、私の穴という穴から体の中に入っていく。頭の中に思い出したくない記憶が蘇ってくる……。暗い、暗い絶望の記憶が。




