1-38-7.そしてその後【陣野卓磨】
「うううう……うわああああああああああん! ああああああああああ! ざなえぢゃあああん! やだああああああ!」
「うっ、うっ……」
静かな廊下にむせび泣く桐生と天正寺の声だけが響き渡る。
俺は呆然と立ち尽くし、ただ伊刈の消えた場所を見つめていた。
終わった。終わったのだ。最後はあっけない感じもあっが、皆殺しという最悪の状況は避ける事が出来た。それだけでもよかった。
窓の外に目を向けると、広がっていた闇はいつの間にか消え、柔らかい街の明りが目に入ってきた。
壊されたはずの校舎内もいつの間にか元に戻っていた。その光景を見て安心感が全身に伝わると、全身の力が一気に抜ける。へなへなと膝をつき座り込んでしまった。
そんな俺を見て影姫がふらふらと近づいてきた。
「終わったな。屍霊の気配はもうない。私が〝刀〟を出せればもっと早かったんだがな……出せないとコレが限界だ……」
見ると、着ていた制服はボロボロだが、伊刈に付けられた怪我は血が止まり少し治り始めていた。
「……刀? 刀なら出してたじゃないか……」
俺はこの目でしっかりと見た。伊刈の首を切り落としたのは確かに影姫の腕から生え出た刀であった。影姫の言っている言葉の意味が分からない。
「………………」
そんな疑問を浮かべる俺に、影姫は答えを出してくれる事はなかった。
「それに、俺は何もしてないし……」
未だ泣いている二人を見る。
結局爺さんに貰った数珠も何の役にも立たなかった。持っていればいつか何か起こるのだろうか。そう思い手にはめている数珠を見ると一つの変化が目に付いた。
数珠の赤い珠の隣……赤い玉以外の珠以外は木製の茶色い珠だと思っていたが、隣の珠が真っ黒に変色していた。気がつかなかっただけだろうか。元からこんな色だっただろうか。だが、もし色が変色していたのだとしても、今回の戦闘では何の役にも立たなかったのは明白である。気にするだけ無駄か……。
それと、今回の騒動中に時折見たあの映像は何だったんだろうか。物の記憶……なのだろうか。影姫の刀に触った時から見たものだ。数珠とは関係ないと思うが……。
また、同じような事があれば見る事があるのだろうか。
同じ様な事?
いや、もうこんな目に会うのは二度とごめんだ。俺は平穏に暮らしたい。
「そうか? 卓磨も何か……解決に繋がる何かをしたのだろう。だからこそ最後に礼を言われたのだ。よくやったぞ、と一応褒めておいてやろう。フフッ」
戦いを終えた安堵からなのか、影姫が珍しく俺に笑顔を漏らした。
そうなのだろうか。褒められても実感がない。そう言われれば最後になぜか礼を言われた。俺は伊刈と話と言える話をした事もないし、礼を言われるような事は全く身に覚えがなかった。
むしろ、今まで見て見ぬフリをしてきて責められてもおかしくないくらいだ。
光、見えた、記憶……俺が見てきたものに何か関係しているのであろうか。
「俺は……正直分からない。最後に伊刈が何を言いたかったのか。でも……」
七瀬刑事を見る。血を流し床に倒れた姿が目に入る。こんな訳も分からない状況で殉職だなんて……。咄嗟の行動で俺達を逃がしてくれたし、いい人だったのに……。
「うう……」
そう思いながら視線を逸らした時、声が聞こえてきた。生きていた。七瀬刑事も生きていたのだ。微かだが指先も動いている。
目玉狩りとの最後の戦いで誰一人死人を出す事は無かったのだ。そう思うと俺の中に嬉しさが湧き上がってきて、涙が出そうになる。だが、それに気づき喜んだのも束の間。
「きゃあああああああああ!?」
と、突然聞こえる叫び声。見ると部室の中にオカ研の連中がいた。連中が廊下を見て叫び声をあげているのだ。
「さっきまで誰もいなかったのに怪我人が!? あ、部長!? いや、保健室!? 救急車!?」
叫んでいるのはC組の金田だった。後ろには副部長もいる。副部長はボーっとこちらを見ているだけだが、金田はというと周りをあたふたと見まわして動揺している。それを見た部長が向こうで軽く手を振っている。あの人は無傷で無事だったようだ。
どうやら俺達は目玉狩りが作り出した空間に隔離されていたようだ。俺達が隔離されている間に、オカ研に来た部員達が俺達とは別の次元の部室へと入り、同じ空間に戻された俺達が元の空間のこいつ等と鉢合わせたと言うわけだ。
向こうからしたら俺達が突然出てきて驚いただろう。
「とりあえずボサッとしてないで誰か呼んで来て。私は保健室に行くから」
「わ、わかってるわよアンタに言われなくても!!」
冷静に指示する副部長と、焦り喚く金田達を横目に、部長が近寄ってきた。
「……興味深い体験をさせてもらったわ……」
「部長は一つも怪我なかったんすね。あの状況で驚きです」
見た所、傷どころか制服の乱れもない。
そう言って部長を眺めていると、部長が自身の制服のスカートの端の方を指差した。見ると、僅かに血痕がついている。血痕が消えずに残っているという事は恐らく影姫か七瀬刑事の物だろう。
「これだけ……っすか?」
「………私は神様に守られてるから……」
ぼそっと、また訳の分からない事を真顔で言う。
「はぁ、そうっすか。はは……何にせよ無事でよかったです」
俺のその言葉を聞くと、部長は返事をすることも無く微笑を浮かべると部室の定位置へと戻っていった。
なんともつかみ所のない人だ。普通ならあんな経験をすれば、錯乱してもおかしくないはずだと言うのに。
そんな部長の姿は、どこか『経験者』と思わせる風格を感じられた。
その後、七瀬刑事は意識を取り戻したものの身動きがとれず、駆けつけた救急隊員によって病院へと運ばれていった。
ただ、頭をどこかにぶつけたせいか、記憶がはっきりとしていないらしかった。
桐生はと言うと天正寺に庇われたせいもあって怪我は殆ど無かったものの、俺と天正寺はそれなりの怪我をしていたので二人ともとりあえずは病院へ運ばれる事となった。
影姫は病院に連れて行かれるのを拒んでいたが、俺が病院へ運ばれるという事を聞いて仕方なく付いて来た。
ただ、病院で不可解に思った事が一つあった。なぜ皆がこんな怪我をしたのかを一切聞かれなかったのだ。医師も看護士も淡々と診察と治療を施すだけであった。
医療法人銀聖会穿多記念病院……ここに来たのは今回が初めてだったのだが、ここの医師等は屍霊について何か知っているのだろうか。だから何も聞かなかったのではなかろうか。そんな疑問を抱かせる病院であった。
伊刈のスマホはと言うと……なぜか俺が持っている。万が一何かあってはいけないから、影姫の傍においておくと言うことで、警察には隠して俺が密かに持って帰る事になってしまったのだ。さすがにもう何も起こらないだろうけど……。
俺が事件に巻き込まれてから数日の事だったがすごく長く感じた数日だった。もう、伊刈によって人が殺められる事はない。
でも、多くの人が死んだ。
『私の存在が、あの手の屍霊を呼び寄せ生み出すからだ』
ふと、数日前に聞いた影姫の言葉が頭をよぎる。影姫がいる限りこの様な事件はまた起こるのだろうか。恨みに恨みを重ねて死んでいく人は、この世の中たくさんいる。
またこの様な事件が起こるかもしれない。起これば人が死ぬ。
その時までに俺も何か出来るようにしておくべきだろうか。
「何をぼーっとしているんだ。帰るぞ。千太郎が今日はビーフシチューだと言っていた。食べた事がないから楽しみだ」
病院の入り口前。何事も無かったかの様にそう言う影姫は、ボロボロだった制服からジャージに着替えている。
あちこちに包帯を巻かれたり絆創膏を貼られたりはしているが、傷の直りが早く病院に着いた時には血も全て止まっていたので、一番早く解放された様だ。
天正寺と桐生はというと、それぞれ親が迎えに来ていたようだった。
「影姫……お前は強いな」
「無論だ。というより、卓磨が軟弱すぎるのだ」
すっかり暗くなった夜道。笑顔で手を振る九条さんに見送られ、足並みを揃え影姫と一緒に歩き出す。
俺達はそれ以上の会話も特になく、帰路に着いた。




