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おんりょうめもりー ~死人達の記憶と刀の少女~  作者: ぎたこん
第一部・第一章・初めての怨霊
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1-2-3.父親の怒り【七瀬厳八】

最終更新日:2025/2/25

「そういや父親には連絡とったのか?」


 部屋の中を見回していると、ふと思い出す。ここの父親は、娘の同級生、御厨緑みくりやみどりの父親なのだ。娘同士が去年同じクラスだったから、全くの初対面というわけでもない。去年、学園で文化祭があった日、たまたま仕事が非番で足を運んだ俺は、そこで被害者の父親と話した事がある。娘のクラスが催していた展示室で立ち話をしたのだ。ガタイがよくて気さくな、明るい人物だった。パソコンばかり触っていて困った娘だと話していた。でも、話をしたのもその場限りで、それほど仲がよくなったわけでもない。この辛い状況をどう説明すればよいのやら――この血まみれの部屋に漂う、どこか説明のつかない冷たい気配が、俺の心を重くする。


「現在、連絡を受けてこちらに急いで戻っているそうっス。いやぁ、サラリーマンも残業残業で大変そうっスね。こんな時間までまだ会社にいるなんて」


「言ってもまだ十八時過ぎだろ。ちょっと位の残業はあると思うぞ」


「そうっスか? 僕は好きで今の仕事についてるからあまり口には出しませんけど、普通の会社でサラリーマンしてたら残業なんて一分でも嫌ですけどねー。何か嫌じゃないっすか。時間内に仕事が終わらせれない出来そこないみたいで」


 九条がヘラヘラと笑っている。この現場で、よくもこんなに緊張感もなく笑えるもんだ。全く。


「そういう言い方をするんじゃないよ。残業するにも色々事情があるんだ」


「そうっスかねぇ」


 俺の言葉に、どこか納得のいかないといった顔の九条。残業の話など正直どうでもいいが、九条のこの態度がどこかいけすかない。コイツはどこか、人を見下すような態度を取ることがよく見られる――でも、その笑顔の下に潜む異常な興奮が、薄暗い夕暮れの光に照らされて、血のように不気味に輝く。


「あぁ……まぁいいや。あと、下の階にいる奴に言っとけ。父親が戻ってきても上の階には上げるなよって。現場を荒らされたらたまらんからな」


「先輩、それはちょーっと難しいと思いますけどねぇ。先輩が同じ立場だったら大人しくしれてます?」


「むっ……それをなんとかするのがだな……」


 そう話している時だった。下の階から荒々しい男の声が聞こえてくる。低く響くその声の主は、冷静さを失っている様で、下の階にいる警官に怒鳴り散らしながら、徐々にこちらに近づいてくるようだった。


「ちょっと、落ち着いてください! ストップ!」


「馬鹿野郎ここは俺の家だぞ!! 娘の一大事に落ち着いてなんかいられるか!!」


「そこをなんとか……あいたっ!」


「どけよ クソが! 邪魔なんだよ!」


 下の階にいた警官と男性の言い合いの声が、血まみれの部屋に響き渡る――その声が、どこか焦燥と絶望に満ち、薄暗い夕暮れの空に重なる。鑑識の辛そうに青白い顔が、俺の脳裏に浮かび、不気味な気配が一層強まる。


「やっぱ無理っすよねぇ。子を思う親の心は何よりも強いっすよ」


 やれやれ、と手を仰ぐ九条。まるで他人事のように、開いたドアの向こう側を覗き見ている。


「緑! 緑ぃ!!」


 声の主はやはり被害者の父親、御厨緑の父親だった。階段を上がってきた父親は、静止する警官数人を力づくで押しのけ、大きな足音を立ててこちらへと近づいてくる。俺の記憶が確かなら、かなりガタイのいい男だ。下の階にいたひょろい警官たちじゃ抑えきれないかもしれない……と、九条の隣からドアの外を覗くと、案の定だ。制止する警官を押しのけてどんどんこちらに近づいてくる。警官たちも引きとめる気があるのかないのか、その顔は既に諦めの表情になっている。


「ああ、御厨緑みくりやみどりさんのお父さんですね。落ち着いて。駄目です、今は現場に入っちゃ……」


「うるせぇ!」


 なだめるように、できるだけ優しく声をかけたが、そんな俺の言葉も虚しく、父親はものすごい力で俺を押しのけ、部屋に入ってしまった。


「ちょ……っ」


「み……どり……?」


 部屋に入り、その光景を見たとたん、父親の動きがぴたっと止まる。そして、その凄惨な状況を目にして、ガクガクと足を震わせ、力なく足元から崩れる父親。血の飛び散った床に膝をつき、全身も震えている。その視線の先にあるのは、無残にも殺された娘、御厨緑の遺体――両目をくり抜かれ、頭をカチ割られ、片足を折られたその姿が、血まみれのパソコンの黒い画面に映る赤い輝きと重なり、不気味な雰囲気を醸し出す。見ていられるような状況ではない。無言で跪く父親の姿に、かける言葉すら見つからない。


 同様の遺体が発見された前の二件は、被害者が二人とも一人暮らしであったため、遺族がこのような残酷な光景を直接目にする事はなかった。でも、今回は状況が違う。一軒家の家族暮らしで、しかも被害者が娘だ。この血まみれの部屋に漂う、理解を超えた冷たい気配が、俺の心をさらに締め付ける――まるで、何か得体の知れない力が、この惨劇を操っているかのような錯覚が、夕暮れの赤みに溶け込む。


 今、父親を制止できていて、父親がリアルタイムに遺体を見てしまうことがなかったとしても、犯人が捕まればいずれ裁判などでその姿が映し出された写真を見る事になるだろう。でも、今は違う。写真と実物では、比べ物にならない衝撃がある。目の前の遺体を直視し、崩れる父親。見ていられない――やるせない気持ちが、俺の胸を重くする。さっさと検証を終えて遺体を運び出せていれば、と思うが、後の祭りだ。帰ってくるのが思ったより早かった。


「お、おい、これは何なんだ? どうなってるんだ? それに、この……倒れてるのは誰だ?」


 倒れた遺体を震える指で指差しながら、父親の口からは感情の篭っていない小さな声で言葉が洩れる。否定したい気持ちは痛いほど分かるが、先程までの威勢のいい大声はどこへやらだ。誰にとも言わず、問いかけてくる。全身がブルブルと震え、血の気が引いて青ざめている。


「緑じゃないよな? おい、どうなんだ? 緑じゃないんだよな? 緑はどこか別の場所にいるんだよな?」


「……」


 誰に向かって言うでもない、呟くように放たれる父親の言葉に、返す返事がない。


「俺の娘は普段はあまり笑顔を見せないが、笑うと可愛いんだ。こんなぐちゃぐちゃな顔してない……ぞ? それに、何で緑の部屋がこんなに汚れてるんだ? 誰が掃除をすると思っているんだ。ペンキか? 誰がぶちまけやがった? こんな悪質な冗談やめろよ……? そうだ、テレビかなんかのドッキリなんだろ? あんた等も役者か? おい、聞いてんのか?」


 ブツブツと震えた声で再び問いかけてくる。その声は、さっきの威勢とは比べられないくらいに、だんだんと小さくなっていった。答えることができない。なんと言っていいのか分からないのだ。


 俺は刑事だが、比較的平和なこの町で刑事をしてきた俺にとって、今回の様な大きな事件は初めてだった。映画やドラマの刑事のように大きな事件に大きく関わったなんて事もほぼほぼないと言っていいくらいで、こういった場合に被害者の親御さんに何て声を掛けていいかもよく分からない――でも、この血まみれの部屋に漂う、得体の知れない冷たい影が、俺の言葉を奪う。夕暮れの赤みが、父親の青ざめた顔に不気味に映り、どこか記憶を操るような錯覚が、俺の心をざわつかせる。


「いや、我々は……」


「嘘だろぉ……こんなの嘘だろ!? 嘘だと言ってくれよ! なぁ、アンタ! 刑事なんだろ!? 善良な市民を騙していいのか!? クソ公僕が!! 何とか言えよ! クソ!」


 わなわなと震えていた父親は、勢いよく立ち上がると、俺の胸倉を掴んだ。そんな様子を周りの警官たちも伏目がちに見ている。


 えっ、何人もいる中、よりにもよって俺かよ! と、驚きつつも、引き剥がそうと掴んでいる腕を振りほどこうとするが、すごい力だ。気が動転して力の加減を失っているようだ。顔を見ると、青ざめていた顔が真っ赤になり、鼻息も荒く、目線もおかしい。正気を失っているようにも見える。

 苦しい。若干首が絞まっている。


「う、み、御厨さん、落ち着いてください。ここで話していても話が進みません。とりあえず下へ……落ち着きましょう……!」


 無理に振りほどいて怪我をさせるわけにもいかない。どうしたものか。と思っていると、御厨氏の力がどんどん強くなっていく。これ以上絞められるとマジでやばい。


「ちょ、み、くりやさ……」

 

「おいいいい!! どうなんだおおおおおおおおおお!!!!」


 胸倉を掴まれた俺はそのまま襟首を締められて、叫ぶ父親により壁に押し付けられ、頭を打って失神してしまった。情けない話だ――でも、意識が薄れる瞬間に、血まみれのパソコンの黒い画面に、かすかな赤い輝きが浮かぶのを見た。夕暮れの赤みがその光に溶け込み、どこか冷たい手が俺の記憶を操るような、不気味な感覚が、闇に沈む最後に残る。


挿絵(By みてみん)


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