1-1-5.何が起きてるの?【天正寺恭子】
最終更新日:2025/2/25
「ねぇ、聞いてる?」
スマホを片手に通話の最中、通話相手である御厨緑の声が突然聞こえなくなった。
「ねぇってば、ちょっと緑、聞いてんの? 返事くらいしなさいよ。集中しだすと返事もしなくなるのアンタの悪い癖よ?」
そう言ってから、スマホを耳から離して画面を確認しながら少し待ってみる。でも、緑からの返事は一向にない。通話が切れたわけではないようだ――受け口から感じる独特の電子音が、かすかに聞こえる。
ザッ……ザザッ……。
再びスマホを耳に当てると、返事は聞こえなかったが、妙なノイズ音が薄暗い部屋に響いた。今時、スマホの通話でこんな雑音が聞こえるものなのだろうか。それとも、緑が私をビビらせるために何か悪戯を仕掛けているのだろうか――でも、そのノイズに混じる、どこか冷たい響きが、私の胸に不気味な戦慄を走らせる。
「ちょっと緑ぃ、からかってんのならやめてよね? 聞こえてるんでしょ?」
冗談交じりに問いかけるが、相変わらず返事がない。普段からこういう悪戯をする相手ではないと分かっているだけに、胸をよぎる妙な不安が膨らむ――どこかで封じ込めた嫌な記憶が、薄暗い霧のように蘇る。幼い頃、失った幼馴染の笑顔が、血のように赤い夕暮れの空と重なり、背筋が凍る。
「いい加減にしないと切るよー? ねぇってばー」
少し焦りながらも、そう言って少しだけ待つ。でも、待てども返事はなく、妙なノイズ音だけが部屋に漂う。その音が、余計に不安をかき立ててくる。そして、どこからともなく押し寄せる孤独感が、私を包み込む。
〝恭ちゃん、遊ぼー〟
脳裏に響く、女の子の声。嫌だ、嫌だ……。何だ、これ。一人にしないで。もう私は……。どこか冷たい記憶が、私の心を引っ掻くような感覚がする――幼い頃、失った誰かの声が、薄暗い霧のように浮かび、上昇する。
ガンッ!!
「ひっ!」
突然スピーカーから何かがぶつかる大きな音が聞こえて、思わず情けない声が出てしまった。何事かと思い、再びスマホを耳に近づけると、通話は切れてしまっていた。無機質に流れる「ツーツー」という受話終了音が、静寂の中、冷たく響く。
悪戯? でも、悪戯にしては様子がおかしい。どこかで封じ込めた嫌な記憶――伊刈の自殺ではなく、それ以前の冷たい過去が、頭をよぎり、何かあったのだろうかと考えれば考えるほど、心配と恐怖が募る。薄暗い部屋に漂う、得体の知れない気配が、背筋を凍らせる。
「ちょっと……なんなのよ……」
突如通話が切れたスマホを、机の上に置き、ベッドへと横たわる。今、家に私以外誰もいない。寂しさから友達と通話していたわけじゃない。決して……。
………………。
静まり返った家の様子に耐え切れず、身を起こす。聞きたいわけじゃない、見たいわけじゃないけど、この孤独感を紛らわす人の声が欲しかった。スマホで何か動画でも見ようと手を伸ばしたその時だった。
テロテロテロリロン♪ テロテロテロリロン♪ テロテロテロリロン♪
スマホの着信音が鳴る。表示されているのは「美里」という名前――いつも緑と一緒にいる洲崎美里からの着信だ。スマホを手に取り、画面をスライドさせる。
「もし……」
『恭子! ちょっと!』
通話が繋がるや否や、私の言葉を遮るように、美里の大きな声が聞こえてきた。その声量に驚き、思わずスマホを耳から遠ざける。反射的に遠ざけたが、間に合わず少し耳鳴りがする。
「な、なに……どうしたのよそんな大声上げて」
『どうしたじゃないわよ! なんか緑の家がおかしくて! 何か叫び声が! それに何か窓も! 何か!』
相当慌てているようで、何を言っているのか分からない。それに息が上がっているのか、言葉の端々がどこか途切れているように聞こえる。
「ちょっと落ち着いてよ。何か何かじゃ何言ってるかわかんないじゃん。緑がどうしたのよ。ついさっきまで、私と通話してたけど」
『マジで!? 何か様子おかしいとかなかったの!?』
「別に……いつも通りだったけど……まぁ、通話が突然切れたっていえば切れたけど、とりあえずさ、一旦落ち着きなって。何が言いたいのか順を追って話してくれなきゃ、私だって美里の言いたい事理解できないじゃん?」
『あ……ハァハァ……うん。ゴクン』
通話口の美里の声は、確かに息が切れているようだった。生唾を飲む音までこちらに聞こえてくる。荒々しい息が出入りする音は、何か恐怖を感じて逃げてきた風に聞こえる――伊刈の自殺後の呪いが、美里の心を縛りつけているような、不気味な響きが混じる。
『ハァハァ……もう、大丈夫』
「ほんとに? まだ息荒いみたいだけど。で、なんなの?」
少し落ち着いた美里は、ボツボツと何を言いたいのか話し始めた。その声は、先ほどまでとはうって変わって、低く、くぐもるような小さな囁き声になっていた。
「それ、マジ……?」
『こんな嘘ついてどうすんだよ……アタシだって信じたくないけど実際に聞いたし見たんだよ』
美里が話した内容はこうだ。
美里は出かけついでに、緑に借りていたノートを返しに緑の家へと出向いたそうだ。なんでも春休み中に返す約束だったらしい。そして、美里が緑の家のすぐそばまで接近した時に、その声が聞こえてきたそうだ。
〝伊刈! 伊刈でしょ!? 助けて! 私じゃない! 私じゃないの!! 私は命令されで無理矢理やらされでただだけだから!!〟
と。家の中から聞こえてきた声で、窓も閉まっていたため、はっきりとは聞こえなかったそうだ。でも、間違いなくそう聞こえたと言うのだ。家の外に洩れ出るほどの声だ。相当な大きさで叫んでいたのだろう。その後も何度か叫び声が聞こえて、急に静かになったという。
と。家の中から聞こえてきた声で、窓も閉まっていたため、はっきりとは聞こえなかったそうだ。でも、間違いなくそう聞こえたと言うのだ。家の外に洩れ出るほどの声だ。相当な大きさで叫んでいたのだろう。その後も何度か叫び声が聞こえて、急に静かになったという。
「警察とかに連絡はしたの?」
『し、してない……っ! だってもし伊刈が関係してるとしたらアタシ達危ないじゃん!? 緑が掲示板もやっと落ち着いてきたって言ってたのに色々ばれたらアタシ達が……!』
「でもそんなに大声で叫んでたのなら、他にも聞いてた人がいるかもしれないし……それに、伊刈が死んで復讐する人なんていると思う? まさかいないでしょ。あいつ友達も一人もいなかったんだから。両親だってパパがちゃんと……」
『じゃあなに!? 伊刈の幽霊が何かしたって言うの!? アタシ言ったよね! やりすぎたら後で復讐されても知らないよって!』
「は? 確かに言ってたけどアンタも笑ってたじゃん? 何よ、責任全部私に押し付ける気? そもそも最初に声かけてきたのアンタ等二人じゃんよ」
『それは……その……っ。ぐっ……ううう……でも!』
美里の歯切れの悪い返事が返ってきた。美里の言葉に、心の底からイライラが湧き出てきた。あいつらが私に話しかけてこなければ、伊刈への接触なんてなかったはずだ。気持ち悪い、潰れた人の死体を見ることもなかった。悪いのは私じゃない。緑と美里が悪い。なのに、こいつは責任を全部私に押し付けるつもりのようだ。
『と、とにかく……恭子も気をつけなさいよ……緑がどうなったかわからないけど、嫌な予感しかしない。もし緑が殺されてるとしたら、アタシ……家から一歩も出たくないし誰とも連絡取りたくないから……解決するまでは』
搾り出すような小さな声は震えている。美里がここまでなるのだとしたら、よほど恐ろしいものを見たのだろう。その恐怖は、こちらまで伝わってくる――伊刈の呪いが、どこかで私たちを監視しているような、冷たい手が記憶を操る感覚が、背筋を凍らせる。
「か、勝手にしなさいよ……」
『恭子、確かにけしかけたのはアタシ達かもしれないけど、最終的に一番喜んで騒いでたのはアンタだからね……』
プツッ。ツーツーツー……
その言葉を最後に残し、美里との通話が切れてしまった。
「なによ……」
孤独感を紛らわせようと意気揚々と受けた通話だったのに、後味の悪い言葉を残してくれる。私を持ち上げて調子に乗らせたのは誰よ。わかってるよ……金目当てで近づいてきた癖に……。でも、その言葉の裏に潜む冷たい気配――幼い頃、失った誰かの声が、薄暗い部屋に忍び寄るような錯覚に襲われる。