月面上の少年少女……007
「――見せたいもの? その為にこんな時間までおれを待ってたのか?」
「そうよ! ふあぁっ……眠くなんてなってないわよ、キレッキレよ」
「……そっか」
時刻は22:45。いつもならそろそろ歯を磨いて眠る準備をする時間帯。ナギは眠い眼をこすりつつ、拡張視界の中で動画ファイルを探る。
……あった、これだ。
「見て」
ナギは動画ファイルを人気のない路地にホログラム投影する。
それはとあるアイドルのライブステージだった。
セミロングの髪を踊らせてステップを刻むアイドル。身を包む衣装はシスター服調の衣装で多段のフリルが眩しい。〈ルナレイヤー〉が実現する、光の表現を身にまとって歌って踊る妖精のような存在……
かつて一世を風靡したトップアイドルだ。二年前に引退をしたとはいえ〈リュウグウ〉で知らない者はいないだろう。ナギはそんな有名なアイドルのホログラムを指差し、
「――彼女は、あなたね?」
そう言った。
……そのアイドルは『カグヤ』とは違う別の名前で呼ばれている。
しかしこの月面都市のアイドルと言うのは非常に身近な存在だ。アイドルネームを登録することで誰でも輝く機会を手にすることができる。それを利用すれば――別人を装ってアイドルになることも、できるだろう。
中性的な顔立ちで絶大な人気を誇るカグヤ。
かつて引退したトップアイドル。
骨格、声、身体つきなどを確認し、ナギは同一人物という確信に至ったのだ。
――月面都市で最も外に近い少年の、秘密。
(さしづめ〈リュウグウ〉のかぐや姫ってわけね! 男だけど! ククク……)
クリティカルな弱味を握ったと、そう確信した。
カグヤは果たして、
「照れるなぁ」
とだけまんざらでもなさそうな顔で答えた。
……照れるって。
「は……はぁっ? それだけ!?」
有り体に言って女装だ。ナギの倫理観からするとかなりナイーブな物言いが必要になる。しかしそれを告げられたカグヤは、
「懐かしいなぁ。よく見つけたね?」
朗らかに言うのだ、褒めるみたいに。
「……っ……、ステージの利用者は……ログが残る」
アイドルネーム、それから皮下に埋め込まれた〈ナノチップ〉のデバイスID。
前者はいくらでも成り代わることができるが、後者は不可能だ。
都市の『外』に出る生徒会長カグヤが怪しいと踏んだナギは、彼のデバイスIDを控えていた。ログが残るロケーションを見つける都度、そのIDがないかを調べるようにしていた。
そのストーキング的試みは、ステージのログという大物を釣り上げたわけだ。
「……どれだけ本名とかけ離れたアイドルネームを使って着飾ってステージに立ったって、ログに残ったデバイスIDは……隠せない!」
気を取り直し力強く指差してみる。推理を終えて証拠を並べて真犯人を指さす探偵のようだ。思わずドヤ顔になる。
指さされたカグヤはしかし、
「隠してないけどね」
そっけなく言い放った。
「ほえぇ……?」
ナギはきょとんとして、
「……本名じゃなくて、アイドルネーム使ってるのに?」
「だってせっかく変えられるなら、まぁ変えてもいいかなーって思うじゃん?」
「そんなもったいない精神、みたい、な、理由、で……?」
「うん」
あっけらかんと言うものだから困ってしまう。
「ちょっ……と待って」
「? いいけど」
ナギはカグヤに背中を向けて考える。
……弱味を握ったつもりだった。これを利用して月面都市の『外』に関わる情報を聞き出すつもりでいた。しかし別に隠してないとか言ってくる。
「……………………」
ちらり、と肩越しにカグヤの顔を見る。
銀髪の少年。見れば見るほど中性的に整った顔。知らなければ性別を間違えてしまうだろう。そんな顔にどこか少し疲れたような陰がある。……『外』で何をしているのやら。
なんにしても、少なくとも弱味を握られて困っているようには見えない。
隠してない、という言葉は事実なのだろう。
となると――
うん、と――
(……あれ? わたし、顔が割れた分、損じゃね?)
気づいたナギの顔色が変わる。
深夜に近い夜、人気のない路地で少年のことを待っていた見知らぬ少女。
すげーインパクトだろうなぁ、とナギは冷静に考える。
(……な、名前までは明かしてない。さっさと切り上げた方がいいかも?)
「あー、ナギ=シフォン=テラサキさん? 送っていこうか?」
名前バレテーラ!
「どっ…………かで会ったこと…………ある、あります、っけ?」
だいぶ挙動不審になりつつナギは尋ねる。
カグヤはきょとんとして「ないよ。……あ、名前わかったのが不思議? 視界内で〈ルナレイヤー〉に接続してる相手の名前は照会できるんだよ。凝視してみ」なんて言ってくる。
初耳だ。ナギはカグヤを見つめてみる。カグヤ=ウエマツ=マクブレイン、という文字が拡張視界に浮かび上がる。ほんとだ、勉強になるなぁ……
向こうの方が何枚も上手だ。ナギは涙目になりそうだった。
(顔も名前もバレてる! なんてこと……わたしとしたことが!)
意外と自己評価の高いお茶目なナギだが、このボロボロの流れで開き直って『外』で何をしていたのかと問い詰めるのは流石に避けたい。なんとか切り抜ける術を探す。
バレてるもの。顔と名前。カグヤのアイドル時の姿を知っているということ。
(……そうか、それなら)
いけるか? ……この場はしのげそうだ。少なくともリスクは薄い。
ナギ=シフォン=テラサキはそう判断し、まっすぐにカグヤを見つめる。
「……っ、」
カグヤは存外に澄んだ瞳をしていて、思わず息を飲む。
その瞳の持ち主が――『外』に一番、近い人間なのだ。
「わ、わたし……を……」
「うん?」
気を取り直し、月面都市の生徒会長に向けて、ナギは言った。
「わっ……わたしをプロデュースして!」
したっけさ、オーケーすんだもんよ……
ナギは生徒会役員にカグヤという面々との食事中、昨夜の記憶を思い出し、なんとも言えない気持ちになった。
まさか快諾されるとは。
(ほんと、なんなんだろう……この生徒会長)
考えが読めなさすぎてナギは困惑するばかりだった。
ナギは歌うことが好きだ。独特のアイドル文化の根付いた〈リュウグウ〉の中、そうした少女がステージに立って歌うということは頻繁に行われている。名のないシンガーという立場で人前で歌を歌った経験を持つナギにとって、かつてのトップアイドルのプロデュースというのは――
(正直、興味、なくはないけど……)
何より、彼との接点を得たのは事実だ。
棚からぼた餅というか、瓢箪から駒というか、犬も歩けば棒に当たるというか……いや最後のはちょっと違うが。
とにかく予期せず得た意外な結果だ、決して無駄にしないようにしなければ。
「……でさ、セトリなんだけどさ……」
「……ほんとに? 楽しみとしか言いようが……」
「……先輩たちとはホント趣味合うっすね、私も……」
「……いい曲ですよねぇ、自分も好きです……」
好きなアイドルのステージを楽しみにする生徒会の面々の声。
耳にしながら、ナギはちいさく片手を握りしめる。
月面都市〈リュウグウ〉。
月面学園都市とも呼ばれるドームの中。
全部で四三〇〇人の仲間たちは、この瞬間も〈ルナレイヤー〉の生み出す物を、なんの疑いもなく享受している。
大人のいない、都市の中で。
こどもだけの――ちいさな都市の中で。
大人が生み出した管理AIたちに見守られながら。
「……………………」
〈ルナレイヤー〉……それが本当に好意の末に作られた物なら構わない。
けれどそこに冷たい意図が沈んでいるとしたら?
ぞっとする。なにせ〈ナノチップ〉によって五感を握られているのだ、四三〇〇の命など思うがまま支配することができるだろう。
無自覚のまま生殺与奪の権利を仮託している幼き生命たち……
(……誰も巻き込まないように)
ナギは思う。
(いざとなった時、抗えるように、行動するんだ。たとえひとりでも)
疑うことを知らない生徒会の面々の声を聴き、隣に座るカグヤのことを強く意識しながら、ナギ=シフォン=テラサキは決意を新たにする。