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月面上のアリア  作者: 七緒錬
第四章 無慈悲な夜の女王の月
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無慈悲な夜の女王の月……005

 思考が、止まった。

 地球と連絡がつかなくなった、だって……?


 聞き間違いかと、そう思った。

 しかしカグヤは疲れたような笑みのまま語る。


「通信も定期便も、ある日を境に消えてしまった。緊急用の通信も繋がらなかった。母なる地球は月の民に対して、沈黙を貫いた」


 そう言って宇宙を指していた――地球を意図していたのだろう――指を下ろす。


「……月面都市には『地球と連絡がつかない時』の対処マニュアルなんて無いんだよ。そんなことは想定されてないから。何かが起これば地球側から対処するから、月はただ待っていればいいってわけだ。それだけ現代のテクノロジーを信頼していたってことでもあるんだけど……そんな信頼が仇になってしまったんだ。

 だから月の知識者たちは、地球と接触する方法を探った」


 ナギはちいさく、つぶやくように言う。


「……うちゅうせん……」


 そうだ、宇宙船があるじゃないか。

 ナギは自分の言葉にひとつ頷いて、


「宇宙船を使って、地球に向かえば――」


 けれど、カグヤはその言葉に首を振っていた。


「月に宇宙船はないよ」

「な…………」


 愕然とする。

 そんな、ばかな。


 月は宇宙開発の、その最前線に位置する基地みたいな存在であるはず……!

 カグヤはそんなナギの思考を読んだみたいにちいさく頷いて、


「港はある。燃料も。地球との定期便が停泊するための施設も整ってる。――けれど肝心の、月が独自に所有する宇宙船なんて、存在しない」

「なにそれ……おかしくない……? 誰も……誰もそうは思わなかったわけ……?」

「不測の事態ってのは……そういうもんなんだろうね」


 他人事のように、その事態を見守り続けてきたであろうカグヤは答えた。


 ナギが抱いた不満や憤りを、彼が抱かないはずがない。

 とっくの昔に割り切ったか……あるいは飲み込む術を覚えたのだろう。


 ナギは気づいた。疲れたような笑みは、大人だけが浮かべる表情なのだ。

 こどもだけの都市で、見ることなんて、あるはずもなかった。


「そうした不測の事態の中、顔を合わせても、方針はまるでまとまらなかった。宇宙船を作るべき……通信機能の回復を待つべき……宇宙ステーションに装載艇を飛ばすべき……月面開発初期に作られたマスドライバーを改修するべき、って意見もあった」


 いずれかの主張に思うところがあったのか、カグヤは一瞬、声をつまらせる。


「結局、顔を合わせて得たのは、一つの共通認識だけだった。『地球に何かがあった』」

「月を忘れるような、何かって――?」

「色々考えられるよ。自然災害、パンデミック、バイオハザード……あるいは戦争とかね」


 いずれにしても――月から知る由もない。

 ただ月の人間には、行き場のない現実だけが残された。

 そしてそんな矢先に『それ』は起こった。


「月の知識人が揃って顔を合わせているその時に観測されたのが――流星雨。パニック状態で迎撃の範囲を見誤って迎撃に失敗。月が影響を受ける位置で二発目の核弾頭を使う羽目になり、そして――みんな仲良く、埋もれて。

 地球どころじゃなくなった」

「…………!」


 話が繋がる。

 月の知識者――つまりはほとんどの月の大人たち――が集まった月面都市とは、隕石迎撃の際に生じたショックで埋もれたという、この下にある月面都市のことなのだ――


「……そんなの」


 ナギは半生を振り返る。


 月面都市で生まれ、〈ルナレイヤー〉が作るセミデジタルの世界の中で、当たり前のように生きてきた。成長に伴って知恵がついて、そしてようやく月面都市の『外』に意識が向くようになった。セミデジタルの世界に疑いを持つまでに育つことができた。


 けど、まさか……都市ごと大人たちが埋まっているだなんて……


「――それが大体、十年前の話」


 当たり前のことでも告げるように、カグヤは言った。

 ナギの頭は真っ白になった。言葉の意味することを、考えて。


 考えて、考えて、考えた。

 一分近くも黙り込んで、それからナギは尋ねる。


「…………十年って……三六五〇日よ……」


 カグヤはその言葉に「そうだね」と答えた。


「ナギは最初、訊いてきたね。『どうしてカグヤがそんな役目を担ってるの』って」


 地球との連絡がつかないこと……知識人たちのほとんどが埋もれていること……

 そういうことを知らない時に尋ねた言葉。


 けれどそれらを知った今、ナギの中でその疑問はより強くなった。どうしてカグヤの、細い両肩に、そんな重い運命が伸し掛かっているのか。


 カグヤはやはりどこか疲れたような笑みを浮かべて、その疑問に答えた。


残った月面都市で(・・・・・・・・)おれが(・・・)最年長だったから(・・・・・・・・)だよ」


 なんてシンプルな答えなのだろう。

 なんて残酷な答えなのだろう。


 カグヤは十年前の出来事だと、そう語った。

 今のカグヤの年齢は――一六才だ。……当時、六才という計算になる。


「…………、…………?」


 ナギはしかし、その言葉に疑問を抱く。

〈リュウグウ〉の中、年を取る先輩たちがいる。


 ……そうだ、カグヤよりも年上の生徒たちがいるじゃないか。

 ナギはさらに思い起こす。毎年、高等部で卒業式が開かれていることを。


 卒業した彼らは別の月面都市に行くと、そう聞いたことがあった。


「……それって、おかしい。矛盾し……て――――」


 言葉の途中。

 ナギは全身の皮膚が粟立つのを感じた。

 天啓に打たれたような思いつきに心が震える。


(ま、さか)


 その想像が、間違っていればいい。

 間違っていることを期待し、頭の中で様々な可能性を展開させる。


(学園の教師……舌の上で再現される料理の味……触れられる幻想の服……)


 そもそもナギはなぜ不自由のない暮らしに不満を抱いたか。ディストピアではないかと、そんな感情をぶつけた原因……〈ルナレイヤー〉。皮下の〈ナノチップ〉が実現するセミデジタルの世界。


 そして昨日聞いてしまった猫耳の少女の秘密……人工知能。生身を持たない〈ルナレイヤー〉の中でのみ生きる仮想生命のこと。

 それらが存在しているという現実と、ナギのその思いつきは――矛盾しない。


 間違っていることを願いながら、つぶやくように言う。


「……〈ルナレイヤー〉は、〈ナノチップ〉が見せる世界は、」


 喉を慣らし、震える声で――


生徒の数(・・・・)を……暮らすこどもたちの数(・・・・・・・・・・)を……水増しするため(・・・・・・・)に……あるのね?」


 つまり……

 月面都市〈リュウグウ〉で最年長というカグヤよりも年上の先輩たちはみな――人工知能(・・・・)


 きっとそれだけではないはず。ナギの同世代、あるいは後輩たちの中にも混ざっているのだろう――人工知能の少年少女たちが。

 けっとしぃのように(・・・・・・・・・)


 想像は、次々と――ナギの連想を手伝う。


「セミデジタルの世界で……衣服や食を発展させたのは……それを覆うために……」


 空虚な月面都市をセミデジタルの世界が被覆した。人波に交じる人工知能の学生たちの存在が露見しないように。


「アイドル文化も……そのうちのひとつに過ぎなくて……」


 誰もが輝けるステージという絆で仲間たちと繋がることすら、仕組まれていたことなのかもしれない。事実ナギはけっとしぃと打ち解けようとしていた……肉体を持たない少女と。


 目的までは判らない。けれど、その構造はあまりに……

 ナギはカグヤを見る。最年長の学生の顔を。


「……………………」


 カグヤはナギの言葉を、否定しなかった。

 全能の生徒会長はただ、ちいさく微笑んだ。

 それが答えだった。


「………………ほんとは……」


 ナギは細い声で、尋ねる。


「ほんとは、何人? 四三〇〇人という生徒数のうち…………人間の、数は」


 聞いてどうするのか、ナギ自身にも判らないまま尋ねた。

 カグヤはその数を答える。きっといつも気にかけていた数字を。

〈リュウグウ〉で生きてる人間の、数を。


九三人(・・・)だよ」


 ……もう驚くこともなかった。


「は…………」


 ただ、渇いた笑いが出た。


 ナギは昨夜、四三〇〇名の仲間たちの中に、人工知能が混ざっていても受け入れられると、そう思った。でもそれはあくまで数十、あるいは数百に留まる範囲だと考えていた。


 それがどうだ……四三〇〇人が暮らす都市の中――本当の人間の数は、たったの九三人。


 全体のおよそ2.2%。

 97.8%が――人工知能。


「でも……彼らは自身がAIである自覚は、ほとんどないよ」

「……………………」

「〈リュウグウ〉で生まれて育った彼女たちは、自分たちのことを人間だと思ってるし、おれもそれは否定しようとは思わない。十年もの間、彼らが培ってきた生涯があるから。……自覚あるけっとしぃみたいな例外もいるけどね」


 ナギは自分のクラスメイトたちに思いを馳せる。はみ出し者(アウトロー)という立場のナギだけれど、それでも……同級生たちに対する親愛の情はある。


 そんな彼女たちの、きっと大半が無自覚の人工知能――AIなわけだ。

 人の『なり』をした、本当の肉体を持たない学友たち……


 ナギはここ最近でできた友達を思い浮かべる。


 トリトン。

 イオ。


 彼女たちは果たしてどう(・・)なのだろう? その魂を閉じ込めているのは肉体か、あるいは。


 ……知りたくないと、そう思った。


「……ぅ…………」


 ひどい寂寥感が心を満たす。

 地球の声が届かなくなった月の世界。


 隔絶された月に住む自分たちは、なんと孤独なのだろう? 無限とも思えるほど広がる宇宙の中、地球の1/4ほどの大きさしか持たない小さな衛星……それですら、ナギたち九三人の共同体にとってはあまりにも広すぎる。


(カグヤ……カグヤは……)


 その孤独を紛らわす温かな仕組みを作った、カグヤのその胸中を思う。

 十年もの間、彼は、見守り続けた仲間に――自分たちの孤独を語ろうとはしなかった。


 彼はただ独りで、ずっとずっと独りで、抱えてきた。


「……、…………ぁ……」


 聡いナギは、気づく。

 ヘリウム3を使った核融合によってエネルギーの問題はクリアできるだろう。

 けど……


 ……月で水や食料を得られるはずがない。

 地球から孤立した今、それらは減っていく一方なのだ。


 どこから? 決まってる。備蓄されている保存食からだ。


 それで十年、保った。

 埋まってしまった知識者……大人たちは、どれだけ保つだろう。


〈リュウグウ〉はあと、どれだけ保つ(・・)――?

 自分たちに残された、ピリオドまでのカウントダウンは、いくつなのか……


 ――彼が過ごした孤独の十年には、そんな絶望的な数字が常に付き添っていたのだ。


 どうして、耐えられる。

 当時六才のこどもであったはずのカグヤが。


「……もちろん、おれだけの考えじゃなかったんだ」


 ヘルメット越しに見るナギの表情に何を思ったのか、カグヤはそう語る。


「埋まってしまった都市にさ……拡張現実のエンジニアがいたんだ。彼女は最年少の移民でね――おれと五つしか離れていないギフテッドだった。そんな彼女も埋まってしまって……途方に暮れながら六才のおれはこの場所にたどり着いて、会話をすることができた」


 吐息のような声。


「おれは彼女と相談を重ねて、こどもだけが残った〈リュウグウ〉という月面都市を、拡張現実によって――心を健やかに育める場所に築こうって、そう決めたんだ」


 ナギは両手を握りしめる。


 平穏を無理やり注ぎ込まれるディストピアの世界。そう思っていた。

 真実の世界を目にするためにカグヤに近づいて、そしてその結果が、これ。


「いつの日か訪れる、酷な真実を知る日に、心が折れてしまわないように……」


 ナギの覚悟などでは、とても耐えきれない現実だった。


「それに。最年長だからって理由のほかにも、もうひとつ理由はあってね」


 ……まだあるのか。聞きたくない……

 思わず耳をふさごうとした。ヘルメットの感触がそれを拒んだ。


「おれが、月で初めて生まれた人間だったから」


 ヘルメットを抱えたまま、ナギはカグヤを見た。

 あの疲れたような表情ではない。

 いつもの、人の良さそうな笑み。


「だから『カグヤ』って名付けられた。性別無視でさ。ひどいって思わない?」


 ちいさく笑って、


「月で最初に生まれた人間の義務かなって。そう思いながら、生きてきたんだ」



 それから。

 ふたり並んで、月の岩肌を眺めていた。


 しばらくしてから、自分たちの都市に戻った。

 会話のない三時間の帰路、ナギは真白い月の大地を眺め続けた。




 もう美しいとは思わなかった。

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