無慈悲な夜の女王の月……004
「……それで?」
ナギが尋ねる。隕石の下の安寧……それも予習したことで別段思うところはない。ちなみにこれまでで実際に核弾頭を使用して迎撃した隕石の数は三つだ。同数の核弾頭を消費している。
正直、月面の景色を見ていた方が退屈せずに済む……それくらいの内容だ。月の近代史に興味があったからこそナギはカグヤに不信感を抱くことになった。カグヤが長い間語ってみせた話の大半を、ナギはそらで言うことができる。
カグヤはその後、沈黙する。
十秒ほどだろうか。やがて再び口を開く。
「移民の受け皿になる月面都市が隕石対策を整えて実際に人が暮らしはじめた。人類が行ってきた宇宙開発はついに月で暮らす人たちという結果を作った。作って――十年以上もの歳月が流れた。……そんなある日にさ、月面都市は月に降り注ぐであろう流星雨を観測したんだ」
「流星雨……?」
流星――地球の流れ星。大気の摩擦熱で光の緒だけを残して消える隕石。
流星雨というのは、その流れ星が降り注ぐ現象のこと。
もしもそれが月に起こったなら、月中に配備された光学兵器の迎撃が……
ナギはそこで、はっとする。
大気のない月。燃え尽きない流星雨。
「数が多すぎて迎撃が間に合わないとか……? いや、でも……」
それを予測できないわけがない。ならば広範囲に及ぶ核弾頭を使えばいいだけの話だ。ナギはそこまで思いついてカグヤの顔を見る。
人の良さそうな顔が苦笑する。
「もちろん使ったよ、核弾頭を。……二発ね」
「……二発?」
そこまで巨大な流星雨だったのだろうか。
ナギの疑問に答えるように、カグヤは言う。
「一発目で撃ち漏らしたんだ。予測以上に広範囲の隕石群だった。だから安全圏から外れ……月に影響が及びかねない距離で、二発目の核弾頭を使う羽目になった」
ナギは息を飲む。
「流星雨は無事消滅。でも月も無事では済まなかった」
四輪車が止まる。
……目的地についたのだろうか?
我に返った気分でナギは辺りを見回す。
辺りには何もない。ただ真白い月面の表層だけが広がっている。
「二発目の核の衝撃が月面まで届いた。衝撃によって月の大地の一部がめくれ上がった」
淡々と語りながら、カグヤ=ウエマツ=マクブレインは四輪車を降りる。
気密服の通信機能が少年の声を送ってくる。淡々と語る声。
「めくれ上がって、そして降り注いだ。――ここがその最果てだよ」
そう言ってカグヤは指差す。
なにもない月面を。
いや……なにもないわけではない。
ただ……白い岩肌が、そびえ立っているだけ――
「この先にはね、月の海……クレーターの中に作られた月面都市があったんだ」
――あったんだ。
過去形で語られる言葉。否応なく悪い予感を抱き、そしてそれは当たっていた。
「そのクレーターを月の大地が飲み込んだ。ルナニウムの採掘で地盤が緩んでいた所為もあったかもしれない。簡単に――ひとつの月面都市は埋まってしまったんだ」
「…………、…………っ」
月に埋まった都市、だなんて――。
「そ……、そんなのっ」震えた声で、「そんなの、聞いたこと、ない……!」
ナギはカグヤの言葉を否定しようとする。けれどカグヤは肩をすくめて、
「そりゃそうだよ。ずっと秘密にしてきたから」
「秘密にって……誰が!」
ナギの視界の真ん中には気密服の輪郭がある。
気密服を着た少年は、自分を指差した。おれだよ、と。そう言うみたいに。
人の良さそうな顔に、困ったような笑顔を浮かべて。
「……………………」
ナギは絶句する。
〈リュウグウ〉から『外』に出れる唯一の少年の言葉。
あり得ないと、そう断じることが、どうしてできる。
「見てみ」
そう言ってカグヤは、すぐ横のパイプ状の通路を指差した。
その先には――岩の肌に続いている。
トンネルを作ったようにも見えるが、先程の言葉を鑑みれば、それは――
「月面都市同士を結ぶパイプ状の通路。〈リュウグウ〉から伸びて、ここで」
聞くまでもなかった。
パイプ状の通路はそこで途切れて――埋まっているのだ。
「……………………」
疑う理由はどこにもない。その言葉は、カグヤの言葉は、真実なのだ。
隕石を迎撃する核の余波が月面を襲って、都市を埋めた……
ナギはそっと四輪車を降りる。
震える足で真白い岩肌の前まで歩み寄る。
この下に……埋まってしまった都市があるのだ。
「誤解しないでほしいけど」
カグヤの声。すぐ横に少年が立っている。
「頑丈に作った月面都市はいくつかの機能を停止したけど――死傷者は出なかった」
「……ぇ…………」
ヘルメットの中にあるカグヤの顔を見る。困ったような笑顔があった。
「地中の都市が発する微弱な電波を月面調査衛星が捉えて増幅し、聴けることがあるんだ」
埋まってしまった月面都市。
けれどそこに――生存者がいて、通信を試みている。
そういう――ことか。
つまり、カグヤは。
その声を聴くために毎夜、三時間近くも掛けて、この場所までやってきているのだ……
「今日は、聴こえないけどね」
そう言って笑う。
その口ぶりから、聴こえることの方が稀なのだと判った。二〇分ほどの滞在時間をどうして過ごしているのかも、なんとなくわかった。……待っているのだ、電波が届くのを。あるいは探しているのかもしれない――少しでも電波を捉えやすい場所を。
「……、…………どうして、」
ナギはその笑顔に、強い違和感を抱く。
ずっと疑問に思っていた。
こどもだけの月面学園都市〈リュウグウ〉。
なぜ――他の月面都市と交流がない?
その答えの片鱗は、今、与えられた。パイプ状通路が途絶えたせいで行き来が困難になっているからだ。
……ならほかの交通手段は? 行き来ができないとしても、交信手段まで途絶えることがあるんだろうか?
それに埋まってしまった都市。通信が出来ると言うなら、なぜ他の月面都市に助けを求めない? なぜこの銀髪の少年にのみ声を聴かせている?
胸中を満たすあらゆる疑問が、ナギにたったの一言を紡がせる。
「どうして、カグヤが、そんな役目を担っているの?」
〈リュウグウ〉で生活する面々に……なにも言わないまま……
カグヤは視線をナギから外し、遠いところを眺めるように首を動かす。
「……さっきの話の続きだけどね。流星雨を観測した当時さ、月の知識者たちは、ひとつの月面都市に集まっていたんだ」
ナギは耳を澄ます。気密服越しに語られる言の葉の一つさえ逃さないように。
「知識者って言っても、月面開発に従事してる人間の九割がそれに当たる。つまりほとんどの月の住人たちが、その月面都市に集まっていたわけ。全員で知恵を出し合って、乗り越えなくちゃいけない難局が……月を覆っていた」
「……流星雨の予測とは、違う事態で?」
「うん。悪いものは重なるものでさ、そっちは集まった後に観測されたんだ」
月の移民たちが知恵を出し合わなければならない難局……想像することもできない。
「……一体、何が起きたの」
ナギが尋ねると、カグヤは向き直る。
ヘルメットの中には、見慣れない、どこか疲れたような笑みがあった。
少年は気密服越しに腕を上げる。上げて、空を――虚空を、宇宙を指差した。
無限に広がる星空を指差し、少年は言った。
「――地球と連絡がつかなくなったんだ」




