妖精の見る夢……006
――猫をイメージしたあのステージ衣装。自作だって聞いたことあります。
――セルフプロデュース。楽曲の選曲から振り付けまでやってるっす。
次の日の授業中、ナギは教師の声をBGMに物思いに耽っていた。
期待のアイドル、けっとしぃ。
ケット・シー。
――地球……北欧? の、民話? 神話? の、猫の王様です。
――月に猫の王国を作るって設定っすね。徹底してて大好きっすよ。
トリトンやイオの口から語られた、けっとしぃ像。それはナギのイメージする物とも一致している。ルックス、歌、パフォーマンス……そういった物が整っているのはもちろんのことで、その上で彼女は他のアイドルにないひとつの武器を有している。
地球の伝承にある猫の王ケット・シーをモチーフにしたキャラクター性だ。あのにゃーにゃー言うアイドルは真似しようがない強烈な存在感を持っている。カグヤ風に言うのなら、凄まじいオーラを持ったアイドルだ。
そんな少女が、もとはカグヤによってプロデュースされていた――
(……悔しいけど、なんか……なんだろう。納得しちゃうな)
以前カグヤは言っていた。
『――悪かった。あいつは本当に気にしだすと、見境がないから』
親しさを想像させる言葉。その想像は正解だったのだ。言うなれば彼女はナギの姉弟子に当たるってことなのだろう。
そのことに親近感を覚えるけれど、それほど簡単な話では済まなかった。
(はぁ……)
胸中で嘆息しながら、ナギは昨夜のことを振り返る。
「……ひとりが精一杯だよ、しぃ」
真夜中のレッスン室に現れたけっとしぃに向けて、カグヤはそう言った。
対面しているけっとしぃの姿は白いタートルネックのセーターに淡いクリーム色のミニスカート、その上に紺色のトレンチコートという私服姿だった。ステージを離れた彼女のコーディネイトを初めて見たが、よく似合う小洒落た格好に思えた。
それにしても、しぃ。親しいのだと実感させる呼び名だ。
呼ばれたけっとしぃは頬を膨らませる。
「むー! にゃーの時は、そのひとりだって無理だって言ってたにゃ!」
「今はちょっとだけ余裕ができたんだよ」
「なら!」
カグヤはけっとしぃが何かを言うよりも早く、
「でもさ、しぃはセルフプロデュースができてるだろ?」
そう言った。
けっとしぃの人気はここ一年ほどで着実に膨らんできた物だ。
一週間という時間でランクアップを目指したナギとは対極に位置する積み重ねがあった。どちらが正しいと言うわけでなく、どちらにも人に受け入れられるだけの理由があるのだとナギは理解する。
(……でも……あぁ、そうか)
けっとしぃが昇格フェスでナギを名指しした理由。今になって判った。
どういう経緯かはわからないが、彼女はナギがカグヤからプロデュースを受けていることを知ったのだ。だからステージ裏でナギに言ったのだ、――『でもカグヤのプロデュースを受けてる娘にゃ、それくらいは平気にゃ?』と。
(……それってつまり)
そんなことを考えるナギにけっとしぃの目が向けられる。
細長の、猫のような瞳。かわいらしい少女だ、光の下でも眩しいくらいの美少女。どんな言葉を向けられるのか。
身構えると、
「ナギちゃんってば、とても妬ましいにゃ!」
……すごいまっすぐにネガティブな言葉をぶつけられた。
ナギは頬を掻いて、
「あの、えーと……けっとしぃ、さん」
「ナギちゃんとにゃーの間柄にゃ、しぃって呼べばいいのにゃ!」
彼女的にもいわゆる『同門』みたいな気持ちがあるのだろうか、妬ましいとすら言ったナギに対して非常にフランクなことを言ってくる。ナギは「じゃ、じゃあ」と頷いて、
「しぃ、ちゃん、……のセルフプロデュース。わたしは好きだけど」
「ほんとっ? ありがとーだにゃ、当然の結果とはいえ、とっても嬉しいにゃ!」
自信過剰な言葉が少しも鼻につかない。キャラクターのためだろうか。
「でも当のしぃちゃん的には、セルフプロデュースじゃあ駄目なわけ?」
尋ねてみる。
けっとしぃは首を振る。そのたびに猫耳がぴょこぴょこ揺れて可愛い。
「っていうか、ナギちゃんが原因にゃ」
「……わたしが?」
「カグヤはにゃーのプロデュースを、忙しさを理由に中断したにゃ」
「悪かったな……」
横目でカグヤを睨みつつ、猫耳の少女は続ける。
「にゃーも鬼ではないにゃ。……猫にゃ!」
「……う、うん。それで?」
「多忙な生徒会長という立場のカグヤ。それを押してまで、にゃーのプロデュースを依頼するつもりはなかったのにゃ。教わったノウハウをもとにセルフプロデュースをはじめ、地道に人から評価を得てきたにゃ。でも」
そこまで言われるとさすがに話が見えてくる。
けっとしぃはやはり、想像通りの言葉を口にする。
「そこに現れたのがナギちゃんにゃ、この泥棒猫!」
この一週間の間で冬眠中のクマに例えられたり猫に例えられたり、なんだかなぁと思うナギである。
「にゃーが欲しかったカグヤの時間を、ナギちゃんは独占していたにゃ」
ナギはカグヤが他のアイドルをプロデュースしていたなんて、考えたことがなかった。
……浅はかだったかもしれない。
たとえば、だ。
ステージログとIDの痕跡からカグヤが元トップアイドルだったことは、誰でもナギと同じ要領で知ることができる。それを知った『誰か』がカグヤからアドバイスを、ひいてはプロデュースを請うことを思いつく――ありえない話ではない。
(わたし以外の、誰かが)
その想像にどうしてか、胸の奥でチクリとした痛みがあった。
そしてその痛みは……
(けっとしぃが――そんなわたしよりも先にプロデュースを受けていた。なら)
その胸の奥の痛みこそ、けっとしぃが感じているものなのだ。
泥棒猫。その言葉を発することにも頷けてしまう。
しんみりした気持ちになる。
「とはいえ、にゃーは鬼ではないにゃ。……猫にゃ!」
「…………それ気に入ってる?」
ナギの胸中など無視してお気楽な口調で言うものだから、しんみりも長続きしない。
「二週間後、アイドルグランプリがあるにゃ」
アイドルグランプリ。四ヶ月に一度開催される、大型のフェスだ。
「にゃーたちは同ランクにゃ。ステージで雌雄を決するというのはどうにゃ?」
「しぃ、あまり勝手に……」
「黙ってるにゃ! もとはと言えばカグヤの器がちっさいことが原因にゃ!」
「……小生の不徳の致すところを指されると返す言葉もねーですけどね……」
キレのいいけっとしぃの言葉に肩をすくめるカグヤ。
それにしてもひどい言い様だった。多忙を理由に断るのが器が小さいて。びっくりだ。
「アイドルグランプリで、より上位の結果を果たせた方がカグヤのプロデュースを受ける。どうにゃ? そう悪い話ではないはずにゃ」
「……………………」
少しだけ込められている嘘に気づく。確かにナギとけっとしぃは同じランクのアイドルだ。しかし、
(昨日なったばかりのわたしと、経験を積んでるけっとしぃ)
どちらが有利かなど明らかだった。
(まさかあの時、これを見据えて、わたしのランクアップを促す為に、名指ししたのかな……?)
そんなことを勘ぐるが、すぐにそれは考え過ぎだと気づく。なにせ三ランクもの昇格だなんて前例がない。想像できるような物ではないだろう。むしろそれによって脅威に感じるようになった、というパターンと考えた方がまだ現実的だ。
もしもそれが正解で、ナギに驚異を感じているのだとしたら……
(……勝機はある、ってことなのか)
ナギは顎に手を当てて考え込む。
仮により上位の結果を残せれば、彼女の許可のもと、カグヤのプロデュースを受け続けることができる。きっとこの一週間と変わりないような日々が続いていくのだ、誰にも邪魔されることなく。それは胸が躍るような毎日だ。
けれど逆に、もし負ければ――カグヤとの接点を失うことを意味している。
ナギはちいさく、肩を震わす。
どうしてだろうか。カグヤとの接点を失うことがひどく怖ろしいことのように思えた。以前の自分の日常に戻るだけなのに……
(……、いやだ……それは、絶対に)
怯えた心を落ち着けるようにちいさく深呼吸をする。肺に空気が満ちて、少しだけ冷静になる。冷静になってみると――そもそも勝負を受ける必要があるのだろうか? アイドルとしてまだまだ未熟なナギと、セルフプロデュースで結果を残すけっとしぃ……プロデューサーの力が必要なのはどちらか。
誰だって判ることだ。それならば断ったって――
「それとも黙ってカグヤを譲ってもいいのにゃ? 譲るかにゃ? かにゃかにゃ?」
……思ったのに。説き伏せようと思ったのに。
その言葉を聞いた瞬間、ナギの思考は止まった。
「……ってやるわ」
「? にゃんて?」「ちょ……ナギ?」
後にはただ、燃えるような闘争心だけが残っていた。
「やってやろうじゃない!」