妖精の見る夢……005
23:40。
一日待ち望んだレッスンの時間だ。
柔軟体操を済ませて、大鏡の前でレッスンを始める。
普段通りだ。……それはいいのだが、大鏡越しにカグヤの視線を感じる。
そりゃそうだ、見てもらってるわけで。……しかし、
(……あ、あれ? これ、なんだろ……)
やけに心臓がうるさい。短距離走を全力で駆け抜けた後みたいにドクドク言ってる。仮に今あくびでもしようものなら、口から心臓が飛び出しそうだ。
なのに仮想視界の中にアラートはない。健康体ってことだ。
(な、なんだろ……。と、とにかく鎮まりなさいわたしの心臓! 一度止まりなさい!)
困惑のあまりうっかり死にそうな現象を身体に要求する。
そんなナギに、背後から声。
「ナギ?」
「ひゃ、ひゃひっ!」
返事をしたつもりが無駄に裏返る。大鏡の中でカグヤも目をぱちくりさせていた。
「……どうした?」
「ど、どうって」ちいさく深呼吸。「どうって、なにが? いつも通りだけど?」言いながら姿勢を正し、ウォーキングを披露してみせる。
カグヤはひとつ頷いて、
「うむ、手足が左右同時に出るのをいつも通りという見方をすれば、そうかもしれない」
「!?」
全く意識していなかったが大鏡の中の自分は確かに不格好な姿勢だ。見映えのいい歩き方のためのウォーキングだというのに、それじゃあ意味がない。
「ん……ちょっと、緊張してるかも……」
おとなしく白状する。カグヤは苦笑して、
「ランクアップ後はみんなそんなもんだ、無理もないよ」
微笑みながらそう言ってくれる。そんな顔を見ると、
「……っ」
胸に何かが突き刺さったような気がして、思わず顔を逸らしてしまう。突き刺さったような感覚……だというのにじんわりとした心地よさが広がるのだ。
これもランクアップのせいなのだろうか? とてもカグヤの顔を直視できない。
「昨日の今日だし、少しくらい調子を崩したっていいんじゃない?」
こくん、と背中で彼の声を聴きながらちいさく頷く。
頷きながら、ふと思う。
(そう言えば……)
プロデュースという約束こそしたが、そこに期限を設けていない。
もしカグヤ的にはなんらかの結果を出すまでというつもりだったとしたら。
(寄り道せず、まっすぐに昇格フェスを急いだ理由も、わかる)
とすれば、この真夜中のレッスンの時間がいつ終わりになってもおかしくはない。
それはなんていうか……困る。困ってしまう。
なぜ? いや、理由は明白なはずだ。困るのは、だって。
(……まだ『外』のこと、何も聞けてないもの……)
そう……それだけだ。他意などあるはずもない。
ナギは大鏡越しにも目を合わせることなく、
「……ね、プロデュースってさ……いつまで、とか。期限はあるわけ?」
尋ねてみる。
「ん? もしかして、飽きたとか?」
「そんなわけっ――」
咄嗟に声を荒げて否定しようとしてしまう。ふるふると首を振って、
「……まっ、そういうわけではないけど? 気になっただけよ」
腕を組んで、別にどっちでもいいけど早めに聞いときたいかなーみたいな雰囲気を演出する。カグヤは「んー」と考えるような素振りを見せ、
「特に決めてないよ。ナギが飽きてないなら当面は続けようと思ってるけど」
「ほんとっ? ……べ、別に飽きてなんてないけど?」
「なら続けよう」
「…………ん」
頷く鏡の中の自分と目が合う。
どうしてか緩んだ笑み。急いで仏頂面を作る。
(って、本当におかしいな今日のわたし!)
目つきの悪さのせいでそうなる表情であって、別に好んで作ってた顔じゃないのだが。わざわざそれを作ろうとする今の自分の精神構造はどうなってるんだろう?
ナギは地球的に『思春期』と呼ばれる心の天候に翻弄されるばかりだ。
大鏡に手をついて足元を見下ろし、
(う~~~~…………)
どよーん、と項垂れる。
さすがに思うところがあったのか、カグヤが声を掛けてくる。
「……もしかして悩みとか? おれが相談乗れることなら、乗るけど?」
「……のせい」
「ん? 今なんて?」
「あんたのせいって言ったの!」
「えぇっ!?」
カグヤは迂闊にも地雷を踏み抜いてきた。
先送りしていた気持ちが蘇ってくるのを感じる。……思えばそうだ、トリトンやイオ、それにけっとしぃまでカグヤの名前を言っていた。それを聞く度に、なんだかナギの胸にはもやっとした気持ちが去来していたのだ。
それが今やMAXになっていた。
「どうしてあんたはっ!」
振り返る。困惑しきった顔のカグヤ。銀色の髪に中性的な顔立ち。
そしてナギを映した、吸い込まれそうな瞳。
「どうして――」
トリトンやイオたちの前に立ったのか。
けっとしぃの口から名前が出たのか。
ナギの気持ちをかき乱すのか。
尋ねたいことは山ほどあった。けれどこの瞬間ナギの口が紡ごうとしたのは――
どうして『外』に出――
そんな時だった。外からレッスン室の扉が開かれる。
ふたり揃ってそちらを向き直る。このところ見慣れてきたシルエットがあった。猫耳を揺らし、その期待のアイドルは言った。
「たのもーだにゃ! にゃーのプロデュースを再開するにゃ!」