妖精の見る夢……004
昼食時。
「何か悪いものでも食べたっすか?」
モール街を歩くナギの横、イオがまじまじと問うてくる。
ナギは苦笑し、
「むしろこれから食べるかも。あなた次第だよ」
そんなふうに返す。
ナギとイオ。この珍しい組み合わせはナギから誘ったものだった。この日の生徒会の仕事はないというイオが昼をどう過ごすか悩んだ様子でいて、そこに声を掛けた。
ナギは普段、昼食をひとりで摂ることにしている。他人と摂ったのは先日のカグヤの図らいで生徒会の面々と共にしたのが最後だ。あまり友達のいないナギだ、一人での食事が多いのは自然なことだった。
別に人間嫌いというわけではない。
ただ他人と食事を摂ると必要以上に気を使ってしまうのだ。
たとえばカウンター席に隣り合って座り相手が豚汁を頼むとする。こちら側に七味がある。そうした時にナギは『七味いる? って聞いた方がいいのかな』などといったこの上ない些事を気にしてしまうのだ。相手が何も言わずに食事をしたとしても『こっちに気を使って何も言わないでいたのかも……』なんてこれまたどうでもいい些事が頭を占める。シャイである。
食事に限った話でなく、人といると気疲れを覚える。
その気疲れを厭った結果、食事などは基本的にひとりで摂るようにした。
外から見ればそんなナギの一面はただ気難しいだけのもので、同級生たちからすれば溝を感じるのも無理はない。
だからこの日のように、イオを昼食に誘うだなんてことは、そりゃ――
(……悪いものでも食べた、って聞かれるか……)
普段の行いが物を言うなぁ、とナギはちいさく苦笑してしまう。
イオの行きつけだという定食屋のカウンター席に座って注文を済ます。
それからイオが口を開く。
「それで今日はどうしたっすか? 命までは取らないでおいてほしいっすけど」
「ねえ、わたしがご飯に誘うの、そこまでおかしいわけ……?」
クラスメイトにそんな覚悟を強いながら食事に付き合わせている……
「おかしいっていうか……意外だとは思うっす」
「そう」
「そっす。ナギはひとりでいるのが好きなんだと思ってたっす」
「……否定はしないけど」
イオは『んー』と唸って、
「まぁ意外だけど、変ではないっすよ。あたしもひとりで食べたい時もあるし」
「そう? いつも生徒会で食べてるから、てっきり……」
「ひとり飯が苦手そうに見えるっすか?」頷くとイオは笑って「たまにはひとりで食べたい時もあるっす。きっと普段はみんなで食べてるせいもあるんだろうけど」
そんなものか、とナギは納得する。
「で。そういうナギは? 人肌恋しくなったとか?」
「そうよ、と言ったら?」
「今世紀で一番おもしろいジョークっす」
やっぱり酷い言われようだった。
ナギはトリトンの時同様に、視線を泳がせる。
……どうも正面から言うのは、照れる。
幸いにして隣り合ったカウンター席。前を向いてもそう不自然じゃない。
「……あ、ありがとうって、そう言いたくて」
「? なんのことっすか?」
「それは……曲のこと。『G線上のフルムーン』のこと……」
トリトンの衣装同様、イオの曲がなければ成せなかった結果だ。
だからどうしても伝えたくなった。
「感謝してる、から……」
顔が見れない。壁に掛かったメニュー表『スタミナ餃子定食』と『うずらの卵を使った鶏そぼろ丼』の間の辺りを見ながら告げた。
イオはしばしの沈黙を挟んで、
「やっぱり、悪いものでも食べたっすか?」
めちゃんこ失礼なことを言ってくる。思わず苦笑しながらイオの方を見やる。
するとイオの横顔があった。視線は正面のメニュー表の辺りに向かっている。
「だってこっちのセリフっす。あんなにステキに歌ってくれて感謝なんて」
そう言うイオは耳の辺りまで真っ赤だった。
「……………………」
ナギも視線を正面に戻す。
……燃えてるみたいに顔が熱い。
「……いい曲だったから、うまく歌えたのよ」
「……シンガーがステキだから、書けたっす」
「曲が……」「歌が……」
「ナギが……」「イオが……」
ひたすらに謙遜しあう。終わりがなかった。
どちらともなく視線を合わせ、ぷっ、と吹き出す。
青春丸出し。恥ずかしいなぁ――、なんてナギは思う。
(まぁ……悪い気はしないけど……)
しばしの間、笑い合う。
「……でもなんだか、今日のナギは……んー、ちょっと違うっすね?」
「うん? ……違うって、どういう意味?」
そういえば今朝方トリトンも何か言おうとしていたな……とナギは思い返す。別段、何かを変えているつもりはなかったが……
「そうっすねー……なんていうか……」イオの瞳がナギを捉える。じっと見て「かわいくなった気がするっす」
心の中、そのセリフを反芻してみる。
かわいくなった気がする。
思わず吹いた。
「くす、わけわかんない」
そう言うとイオが指差してくる。
「それ! それっす! そのかわいさ! 絶対に変っす!」
「なによその剣幕……」
「だって前ならもっと辛辣な反応が返ってきたはずっす!」
「雑って。たとえば?」
イオは顎に手を当てて、
「たとえば……『今日は眼球でも洗ったの?』っすかね」
「わたし周りからどういう風に見られたか、わかっちゃったなー……」
イオはちいさく笑って、
「でもなんだか、本当に……やわらかくなった気がするっすよ? 前は命がけだった軽口も、何の気無しに言えるっす」
「命がけってそれ絶対嘘だし」
「ほんとっすよ、冬眠明けのクマの前で一人コントをしてた気分だったっす」
「冬眠明けのクマを相手にする覚悟で『ひ弱っすね、お肉食べるっす』とか言ってたの?」
身を挺した斬新なジョーク過ぎる。
それにしても。
(やわらかい、か……)
思う所はある。きっとこの一週間、思っていた以上に張り詰めていたってことだろう。それが他人から見れば、険しいように見えたのかもしれない。……いや。
(ううん……それ以前に……)
人知れず〈ルナレイヤー〉という欺瞞の世界から『外』に通ずる手がかりを探していた日々。生徒会長であるカグヤに当たりをつける以前から、ナギはそのことに一生懸命になるあまり、学友たちと距離を取っていた節がある。
ひとりで行動する。ひとりで登下校をする。ひとりで食事を摂る。
その結果得たのがはみ出し者という立場だ。
学友たちと必要以上に打ち解けてしまえば自分の戦いに巻き込んでしまう気がしたのだ。たとえひとりでも〈ルナレイヤー〉の外の手がかりを探ってみせるという決心は、他人に自分が抱いたのと同じ不安を与えたくないという想いの現われでもあった。
(緊張感が解けたってことかな……いいことなのか、悪いことなのか)
はじめの目的を考えればまったく前進できていない。悪いことのはず。けどナギには一口で切って捨てることなどできなかった。苦笑を浮かべ、イオに答える。
「かわいくなったとか、わけわかんない。でもきっとアイドル的にはいいことね」
「違いないっす」
ふたりでちいさく笑っていると、注文したメニューが届く。
「ま、何はともあれ、美味しくいただくっす」
「ん、そうしましょ」
「ナギ」
顔を上げる。
「改めて、期待のアイドルへの昇格、おめでとうっす」
「……あ……、ありがとう」
出し抜けに言われて顔が赤くなるのを感じる。
湯気を上げるメニューに視線を逃す。すると、イオの声が続く。
「あ、ナギ、ちょっと」
「……今度はなに?」
「七味取って欲しいっす」
イオのメニューに目を向ける。けんちん汁が湯気を立てている。
「…………仕方ないわね」
そんなふうに、昼時は過ぎていった。