アイドルカツドウ……009
ステージの出演順はランダムで、ナギの出番は後半だった。けっとしぃのステージから数えて四人分のステージの後。
期待のアイドルから与えられたプレッシャーと格闘していると、いつの間にか出番は目前に迫っていた。
「だ、大丈夫? 足がおぼつかないみたいだけど……」
舞台裏で待機しているとカグヤが心配そうに声を掛けてくる。あの後楽屋に戻ってきてからというもの、必死でナギを落ち着かせようと声をかけ続けてくれたが、それが実を結ぶことはなかった。
「ダイジョウブ、ワタシ、サクランボ、ヨユウ」
「本当にさくらんぼみたいな顔色になってるからな……!」
「薔薇のように咲いて、さくらんぼのように散るわ」
「散るな散るな! というかさくらんぼにそんな儚いイメージはないと思う!」
このアイドルはバイブレーション機能を搭載しているのかというほどの震え具合であった。
とは言えいつまでも震えてはいられない。ナギは瞑目し、大きく深呼吸をする。
すぅ……はぁ……
目を開く。
やたらそわそわしているカグヤがおかしかった。
まったく、いつまでもオタオタしてると思ってもらったら困る。
毅然と胸を張ってみせる。
「ふん……」ナギは不敵に笑う。「ヨユウに決まってるっちゃ」
「一週間前の課題だった語尾が前振りなく復活するくらいには動揺を隠せないんだな……」
両まぶたに手を置いて不憫がるカグヤに「ち、ちがうもん」と訴えるが何も違わない。
拡張視界の中に緊張状態を示すアラートが表示される。そんなことはわかってるので表示しないでほしいなぁ、なんてことを切に思う。やっぱりディストピアはダメだ!
と、その時、二通のメッセージを受信していることに気づく。
本番直前の険しい時間。よせばいいのに開いてしまう。
本文:わたしはけっとしぃよりナギさんのがステキだと思いますよ!
本文:けっとしぃのサインもらってきて欲しいっす。
「……なんなの。励ましとかいらない上に、後者は特になんなの……」
頭を抱えてしまう。その拍子にセットした髪の毛が乱れる。無言のままカグヤがそれを直してくれた。
『みんな、ありがとーっ! 大好きーっ!』
そんな不毛な時間を過ごしていると、ナギの前のアイドルがステージを終える。
いよいよナギの番だ。必死で過ごした一週間の成果を試される時が来た……
本当に震えてる場合ではない。顔を振って両手を握りしめる。……とその時、
――ぽん、と肩に手を置かれる。
「けっとしぃのことだけどさ、」
気にする必要はないぞ。
そんな言葉を想像する。優しい生徒会長らしい言葉。
しかしカグヤの口から出たのは、
「……悪かった。あいつは本当に気にしだすと、見境がないから」
出来の悪い妹でも紹介するような口調。
思わず息を止める。
――知り合いなの?
そう口にしようとするが、上手く口が動かない。「あ、ぅ……」と唇を震わせる。
「でも」
カグヤはまっすぐにナギの瞳を見て、
「この一週間で、あいつの想像なんて遥かに越えたアイドルになったと思うから」
そう言って笑う。それから肩に置かれた手が浮いて、今度はナギの頭を撫でた。髪が乱れないように優しい手つき。カグヤはいつもどうしてか、落ち着く匂いがした。
「鼻をあかしてやればいいさ」
微塵も心配なんてしてないような、そんな声色……そんな言葉だった。
ナギはしばらくされるがままになって、それから、
「……言われるまでもなく、そのつもりだし」
置かれた手を払うように頭を振る。それからカグヤに背を向ける。
訊きたいことはあった。けど、もう出番だ。
ステージを無事に終えてから、それから全部、訊いてやろう。
けっとしぃのことも、それから――他のことも。
(覚悟、してなさいよね)
そんなふうに考えながら、歩きだす。
数歩行って、
「ナギ」
名前を呼ばれる。
……あれ? フルネームでなく、ちゃんと名前で呼ばれたこと、あったっけ?
そんなことを考えながら振り向く。
「お子さまランチの旗、コンプリートしたぞ。全部で一六種だった」
ナギはきょとんとして、やがて吹き出す。
くすくすと笑ってから、
「バッカじゃないの」
そう言って再び背を向けた。
身を縛る緊張など、消え失せていた。
「行ってきます。……カグヤ」
つぶやくように口にした。どうしてだろう……足が軽く感じた。
ステージに続く道を歩いていく。
歌い終わったばかりの少女がこちらに進んでくる。
ナギから先に会釈をする。すれ違う時、少女は「がんばって」と言葉を残してくれた。競い合うライバルであるはずの少女からの他意のない応援の言葉に胸が震える。遅れて振り返って「おつかれさま……素敵でした!」と応える。少女は肩越しに振り返って、ウインクをひとつ返してきた。
「……、…………よぅし」
ステージの光が落ちる入り口が見えてきた。
そのすぐ横に、猫耳の少女が立っていた。
足が止まる。
「ナギちゃんにゃ?」
ナギに余計な緊張を与えた期待のアイドル、けっとしぃ。
……なぜ、とっくに出番を終えた彼女が、こんなところに?
少し前なら考えもしなかった答えがすぐに出る。
待っていたのだ、ナギのことを。
無遠慮にナギを見つめるけっとしぃの瞳がそう明かしていた。
やがておとぎ話の猫のように笑って見せる。
「ごめんだにゃ、プレッシャーを与えちゃったかにゃ? でも期待してるのはホントにゃ」
「…………、…………」
ステージを降りても語尾に『にゃ』をつけるんだ。そんなことを思いつつ、何を言えばいいか悩んだ。答えが出るより先にけっとしぃの言葉が続く。
「でもカグヤのプロデュースを受けてる娘にゃ、それくらいは平気にゃ?」
「……!」
けっとしぃとカグヤ。ふたりの繋がりは確実に存在してる。どういう関係なのだろう? 一体なぜ今この瞬間、それを匂わせるのだろう? そしてカグヤはどうしてそれを伏せていたのだろう……
疑問はいくらだって湧いて出る。けれど、
「ふん……」
この時のナギの胸中を支配した感情はたったひとつだった。
(みんな、)
両手をぎゅっと握りしめる。
(みんなカグヤ、カグヤ、カグヤ! どこまで出来過ぎ君なのよ、あの生徒会長はっ! 好物はお子さまランチのくせに! 旗とか集めちゃうくせに! みんなの人生に自分の名前を刻んでいくんだ! ふんっ、わたしは逆に、刻みつけてやろうじゃん……!)
ナギの瞳に闘志が宿り、それを目にしたけっとしぃはますます口角を釣り上げる。
「……楽しみにしてるにゃ。いいステージにするにゃ」
そう言って、ステージに進むナギの脇をすり抜けていく。
ナギは内面でその言葉に答える。
(好きにしてればいい。……がっかりは、きっと、させない)
そうして。
ナギは光の庭へと、足を踏み出した。
白い少女が七色の光に照らされている。
すらりとした背筋。はきはきとステージの中心まで歩む。
「草の根アイドル、ナギです。……今日は精一杯、真心を込めて歌うわ」
まばらな拍手。真っ白なドレスをキラキラと輝かせて、
「みんなの心に届いて、ポカポカとしてくれれば、いいな」
ちいさく深呼吸。息をゆっくりと吐いて、それから熱のこもった声で言った。
「聴いてください――『G線上のフルムーン』です」
光に包まれた会場に少女の歌が響き渡る。
それは月で暮らす人々を歌った歌だ。
本当の太陽や本当の地球……それどころか本当の宇宙を見たこともない少女たち。
けどそれでも、人の心だけは、地球を満たす日光のように……
満月の中に満ちている。
満ち欠けを繰り返しても、いずれ必ず満月に戻る。
そんな、光射す庭の歌だった。
万という人間を収容できる客席が、一週間で作り上げた少女の歌に聴き入っていた。
奇跡のような時間が過ぎていく。
歌を終えたナギはステージの端、最前列の目前まで近づいて、
「てぃへッ……」
微笑もうとして失敗した。ぎこちない笑みを万単位の客席に晒してしまった。
ぎこちない笑みのまま、しばしの静寂。
軽く死にたくなってきた頃、
ぱちぱち、ぱちぱち……
ステージに立った時と同様、まばらな拍手。けれどそれはすぐに通り雨のような音へと変わり、やがて会場を万雷の拍手が包み込んだ。
「……、……あ…………」
少女のぎこちない笑みは固まって、それから少しして、
「……! …………えへへっ」
年相応の少女の笑顔が咲いた。
拍手が鳴り止む気配は一向に訪れなかった。