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月面上のアリア  作者: 七緒錬
第二章 アイドルカツドウ
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アイドルカツドウ……008

 イベントスペースの最深部にその会場はある。


 万単位の動員ができる〈リュウグウ〉最大の多目的スタジアム。月面移民の計画段階で設計されたこの建物は、はじめはスポーツの大会を最大の目的としていたらしい。もっぱら今日のようなイベントが催されることの多い現在でも、その用途で使われることもままある。


 たとえば運動祭。初等部から高等部までの学園生すべてが参加する。その際は雰囲気を出すために観客席を『盛り上がる観客』という合成映像で満たしたりする。


 この日もそんな運動祭と似たような雰囲気が観客席を満たしている。

 ……本当の人間も多くいるという違いはあまりにも大きいが。


「ぶるっちゃうなー、あははは……」


 フェスの当日、ステージ裏に設けられた楽屋の中、ナギは文字通り震えていた。トリトンの用意した衣服は白い妖精みたいな物で、短いスカートの先には幾段にも折り重なったフリルの刺繍がある。ナギが震えるたびにフリルの先端までぷるぷるしている。


 エントリーしているユニットごとにそう広くはないが個室の楽屋が与えられている。ナギのプロデューサーであるカグヤも同伴していたが、現在席を外していた。


 ひとりきりのナギが見て震えているのは楽屋の壁一面に投影されている会場の様子だ。


(万単位の人間……ってこういうふうになるんだ……)


 月面都市〈リュウグウ〉の人口は全部で四三〇〇人。ここに全員が居たとしても空席の方が多い。観客席を埋めるのはだから、合成映像が半数以上を占めるはずなのだが……


(まったく区別つかないよ、本当の人と……)


 席が明確に分けられているわけでもない。

 ほとんど満員の客席には喜々として歓声をあげる人々の姿。色とりどりのステージの光に照らされた客席には、喜怒哀楽の喜と楽を浮かべる無垢な顔が無数に広がっていた。


(……区別をつける必要なんて、ないのかな)


 最高のパフォーマンスを見せればそれでいいはず。

 ちいさく深呼吸をしながらナギはそんなことを考え、


「……いや、ちょっと待て。待つのだ、わたしよ」


 この一週間は睡眠不足が続いていたが、昨夜は余裕を持って臨むために早めに睡眠を取った。おかげで頭は冴えている。そんな冴えた頭の中で唐突に、我に返ったような気持ちになる。

 考えるのは、


(…………どうしてわたし、こんなハコで歌うアイドルになってるんデスカ?)


 今さらにも程がある問いであった。冴え冴えの頭で考える。


(生徒会長に近づきたかった。切り札を切って失敗した。咄嗟の口実にアイドルのプロデュースという依頼をした)


 誰もがアイドルになれるこの〈リュウグウ〉の中でその口実は、まぁ通じる。

 カグヤがプロデュースを了承することも、まぁあってもおかしくはない。


 しかしそうなると、


(昇格フェスに挑むノリノリっぷりは果たして誰の運命のイタズラであろうか?)


 顎に手を当てて考える。シリアスな表情だ。冴えた頭でどんどん考えを巡らす。

 ゼロコンマで答えが出た。


「どう考えても自分だし! わたしのバカーーーーっっ!!」


 両手で握りこぶしを作ってその場でブンブン回る。ダブルラリアットだ。奇行である。

 目がまわるまでブンブン回り、それから倒れ込む。


 壁一面の中でアイドルたちが歌って踊っている傍らでこれだ、ものすごい落差であった。

 ううぅ、と呻いてから、


「……どうしてだろう? どうしてわたしはこんな大舞台に出る選択を?」


 一から考えてみる。

 はじめ、趣味でステージに立った意図。

 ……それは歌うことが好きだったからだ。


 アイドルという趣味が受け入れられるこの〈リュウグウ〉の中、公的に認められるならば、歌うことが好きな自分もシンガーという趣味に身を投じてみるのもいいと思った。


 結果はあまり人の心を動かせないままで終わっていたけれど、それでよかった。歌うことが好きなことは変わらなかったからだ、歌えば暗い気持ちを吹き飛ばすことができた。


 暗い気持ち。それは何か。

 ……決まっている。


〈ナノチップ〉を埋め込まれて強制平和を享受させられているという、忌まわしい事実だ。吹き飛ばしたい。けれど同時にそのことを、


(……わたしだけは忘れちゃいけないって、そういう気持ちもある)


 忘れてはいけない。けれど目を逸したい。二律背反だ。ひとつの事象に対して矛盾する気持ちを抱いている。


(あぁ、そうか、それで)


 ナギは腑に落ちるものを感じる。

 歌という娯楽で感情のデトックスを、心の換気をすることでバランスを取っていたのだ。

 忌まわしい事実と向き合い続けられるように、と。


(でも……)


 しかしそれを今のナギは崩してしまっていた。

 少年の顔が頭によぎる。

 カグヤ=ウエマツ=マクブレイン。

 熱心なレッスン。気の合う仲間の仲介。きっと本心からプロデュースを買ってくれた。


 最初にあった警戒する気持ちはどこに行ったのやら、気づけばそれを受け……なんやかんやの末に自分から作詞とかしていた。ちなみに出来上がった歌詞は魂のこもったグレイトフルなリリックであると自負している。


 ……自負してどうなる。


「わ、わ、わ……」


 ナギは立ち上がる。両手を水平に広げる。


「わたしのバカーーーーっっ!!」


 またダブルラリアットだ。同時にナギコプターでもある。レッスンのおかげでキレが良い。ジャンプしないままの28トゥループ。へとへとになって倒れ込む。


「……ふえぇ……」


 目をこすりながら壁一面のステージを睨む。

 猫耳のアイドルが歌って踊り、客席が湧いている。

 ちょっとだけ冷めた目でそれを見ながら、


「も、今からでも辞退しちゃおっかなぁ……おっかなぁ……」


 拗ねたように、そんな思ってもないことをつぶやく。


「おっかなぁ……おっかなぁ……」


 セルフでディレイを掛けつつ、ナギは拡張視界の中でメッセージボックスを開く。

 最新の物を二つ並べてみる。そのどちらもがたった一行の簡素な物だった。


   本文:わたしの服を輝かせてあげてください!

   本文:会場で聴いてるっすよ?


 それらの文面を見ると、胸の奥が暖かくなるのを感じる。

 こんな気持ちを抱けるというのに、どうして退くことなんてできる。


 ナギはメッセージを閉じて両手を広げる。今度はナギコプターでなく振り付けの確認だ。無言のまま険しい表情で、何度か同じ動作を繰り返す。何度かそうしているとあっという間に時間が過ぎていく。


 顔を上げて壁のステージを見ると、万雷の拍手を受けて微笑む少女の姿が映っていた。


 特徴的な猫耳。

 けっとしぃ。


 彼女とは何かと縁があるな、なんて振り付けを確認しながら思う。そうしているとMCの声が届いてくる。


『ありがとにゃー! みんなのおかげで、たくさん盛り上がったにゃ! にゃーが月を征服する日は近いにゃー!』


 黄色い歓声。相変わらずの人気者だ、徹底した可愛らしいキャラ作りの賜物だろうか。

 傍目でそんなことを考えているとMCの声は続く。


『そんなにゃーは今日、個人的に大注目しているアイドルがいるにゃ!』


 ピタリと歓声が止まる。

 ……個人的に注目してる?

 そんなことをステージで公言していいのだろうか? しっかりとステージを見据える。



『それは草の根アイドルの、ナギちゃんだにゃ!』



「…………、…………? ?? …………????」


 ナギは宇宙ってどうやって出来たんだろう、的なことを考える無垢な幼児のような顔を浮かべながら猫耳アイドルの一挙一動を見ていた。

 ふたたび唇が開かれる。


『もう一度ゆーにゃ! 草の根アイドルランクの、ナギちゃんに大注目してるにゃ!!』


 ……ご丁寧にもう一度名指しされた。聞き間違えというわけではないようだった。

 なんとなくなくナギコプターを何度かこなした後、その場にへたり込む。

 出て来るのは、


「はふぅ……?」


 そんなあざとい(無自覚)感嘆詞くらいなものだった。

 アイドルけっとしぃは満面の笑みを浮かべてステージを去っていく。彼女の背に拍手を送る観客たちには期待と困惑を半々にしたような雰囲気が満ちているのが判った。


「……………………ふ、ふえぇ……」


 ナギの頭の中は、ただただ真っ白だ。


 けっとしぃ……ランクは三つ上の『期待のアイドル』で、ナギからすれば雲の上の存在だ。接点なんてあるはずもない。そんな彼女がナギの名前を呼んだ……注目してると口にして。


 観客も当然――期待するだろう。ナギのステージを。


 ふらふらと立ち上がる。


「クス……」


 不敵に笑ったのち、


「……ど、……どうしよ……どっ、どどどどうしよぉ…………」


 涙目でそんなことを呟いた。

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