アイドルカツドウ……007
「片翼で泳ぐミルキーウェイ……無数の白銀が……えぇと……ふえぇ……」
三日後の深夜。
レッスン室の片隅で三角座りになってぶつぶつ単語をつぶやき続けるナギがいた。
「苦戦してんなぁ……」
カグヤはそのアブない人みたいな後ろ姿を見つつ、つぶやく。
イオの作曲能力というのは大したもので、本当に依頼してから半日で複数のラフスケッチを上げてきていた。現在はその中からナギが選んだ一曲を編曲中だ。
トリトンもナギからその曲のイメージを聴いて、ステージのための衣装をデザインしている。簡単なスケッチを見せてもらったナギはそちらも心底気に入ったようだった。
無茶なステージをセッティングしたカグヤも黙ってはいない。振り付けの雛形を作ってナギに伝授するほか、舞台演出を担うことにしている。通常の生徒会長としての仕事や月面に出る用事の方も一切の削らずにやっているため、正直きつい。
で、当のナギはと言えば、
「ひ、か、り、さ、す、に、わ……文字数が合わないっ」
イオの上げてきた曲に作詞をしているところだった。
(……まぁ無茶な話だよな)
一週間という猶予で完成していない曲を覚えるという無茶をさせているのだ。さすがのカグヤでも、その上に作詞なんて負担まで掛けるつもりはなかった。
しかし当のナギが尋ねてきたのだ。
『……作詞は誰がするわけ?』
はじめ、ナギが曲から受けたインスピレーションからいくつかの単語を抽出し、そこにカグヤが肉付けをするような形で詞をつけようとしていた。
それを話したところ、
『ぜんぶ、わたしがやりたい』
ナギの方からそう言い出した。
イオにも確認を取ったが、異存はないとのことだった。
ならば任せるのがベストだと判断し、格闘させているところだが……
「庭に射す光の中あなたの影が浮かび上がる……に、わ、に、さ、す、ひ、か、り……」
ぶつぶつ、ぶつぶつ……
まるで終わる気配がなかった。
「っていうか、わたしは光の庭をどうしたい? まずはそこからね……クス……」
ぶつぶつ言ったと思ったらクスクス笑ったりしている。
懸命に作詞するナギ。
そんな姿を見ていると、心にちくりとした感触が湧いてくる。
念のためにイオが作った曲に合わせた詞を用意してあるのだ。ナギの作詞が間に合わなかった場合、それを使えばいい――彼女のプロデュースを担う人間として当然の次善策だった。けれどああも真剣に作詞をするナギを見ていると、次善策を用意するなど、小賢しいことのように思えた。
……間違ってはいないはず。けれど、正しいことでもない。
「……む」
ナギが顔を上げて辺りを見回す。
やたらと目の下がくぼんだ、睡眠時間が足りていない目がカグヤを捉える。
アイドル的にはちょっとまずい陰である。
「ねぇ……」
そんな下瞼をこすりつつ、ナギはカグヤに向けて尋ねてくる。
「現役の時は、全部自分で作詞してたって言ってたよね……」
「……してたけど。でもありゃ時間が余ってたからこそ、できたことだからな?」
「そう……あんたはしてたのよね、作詞……うん……」
カグヤの言葉の後ろ半分、届いてほしかった言葉を全然拾ってくれない。
「スランプの時とか、どうしてたのさ?」
「……や、休んでから書いたよ?」
実際には書けないことがなかった。口に出すのは怖くてとてもできないが。
「え? 休むって何? そういう作詞法があるの?」
休むという概念がない。なんか地球の働き方の改革が必要な企業に勤めてる人みたいだ。カグヤは「うわあ……」とビビる。それから苦笑して、
「……そんな気負って書いたことはないよ。ろくなものにならない」
「む……」
ナギはキッとカグヤを見る。火傷……いや凍傷しそうな視線だ、ヒリヒリしそう。
「だって。作詞で失敗したら、せっかくの曲がもったいない」
「……………………」
カグヤが作詞することにした理由。なんとなくわかる。
イオが作った簡単なメロディとコード進行だけのラフスケッチ。そこに何らかの光明を得たのだろう。
彼女が得たインスピレーションを元にカグヤが作詞するという当初の作詞方法は決して間違った形ではなかったはず。けれど光明を得た彼女自身が詩をつけるというのは、それ以上に正しいようにカグヤは思う。
(だからって、休むという概念を捨ててまで書きたいなんて)
どれだけ気に入ったんだよ、とカグヤは苦笑してしまう。
カグヤは両手を打ち鳴らす。きょとん、とした顔が見上げてくる。
「アドバイス。いる?」
そう尋ねると、ナギはしばしの沈黙を挟んでから、
「……………………言えばいいじゃん?」
初日の時と同様、教わるスタンスじゃない言い様だった。
カグヤは少しだけ笑ってからレッスン室の端に用意してあるボトルを手に取る。二本。片方をナギに手渡した後、カグヤ自身もそれで喉を潤す。塩分にクエン酸の効いたスポーツドリンクの味。ジャージの裾で口元を軽く拭って、
「……有史以来、人類は数多の歌たちと共に、時代を築き上げてきたわけだけど」
「な、なに……? ずいぶんと大げさね……」
眉尻を歪めて困惑した表情を浮かべるナギ。その横顔に向けて言ってやる。
「きみが歌うためだけに作られたのは、それが初めての歌ってわけだ」
「……………………」
「気に入ったなら、その想いを込めることだけ考えればいいじゃないか」
いつの時代とて、歌詞に、言葉その物に貴賎があるはずもないのだ。大切なのは誰がどこで書くか、どうして読むのか、何を思って歌うか……ということだけ。流れゆく四季の名前を読み上げるくらいの気楽さで言葉にすればいい。
少なくともカグヤ=ウエマツ=マクブレインはそうしてきたつもりだ。あまり迷うことなく書けていた理由はおそらくその気楽さなのだろう。
ナギはそんなカグヤの言葉を聞いて、
「……………………とっても参考になったわ。さすが元トップアイドル」
そう呟いて三角座りに戻る。
とても感じ悪い。けれど――
「……アリ、ガト、ゥ」
ぼそりと。ぎりぎりで聞き取れないくらいの声で呟いた。
それにちいさく笑って応え、拡張視界の中でステージ演出のタイムラインを眺める。
光の演出などの用意を進めていると、通話の要求が通知される。
生徒会長という立場上、通話を求められること自体は珍しくないことなのだが――
(こんな深夜に? 誰だろう)
相手の名に目を走らせて、軽く納得しながらレッスン室を出る。扉を閉める際に三角座りのナギの横顔を見た。カグヤのことなど全く意識にないだろう、集中しきった表情があった。
ぱたん、と扉が閉まってから、カグヤは通話を承認。
懐かしい声。
「めずらしいね。どうしたの? ――けっとしぃ」
一週間という日々は、瞬く間に過ぎていった。