アイドルカツドウ……006
その日の夕方を少し過ぎた時間帯、ナギの姿はレッスン室の中にあった。その側には無駄に人のよさそうな顔を浮かべるカグヤの姿もある。
「ふたりに会えたんだね」
授業がない休日、彼は普段は登校している時間を『外』での時間に充てるという。故に休日は夕方から長めにレッスンを受けることができるというわけだった。
「仲良くなれそう?」
いけしゃあしゃあとそんなことを尋ねてくる。
ナギは肩をすくめ、
「……それってステージに必要?」
そっけない態度で答える。カグヤはそれに苦笑し、
「良好みたいで何より。心配してなかったけどさ」
なんて言うものだから、ナギは不機嫌そうな顔を浮かべることしかできない。
……フェスが終わった後、レッスン室に来るまでの時間を使ってイオの曲を聴いてみた。それぞれ違うジャンルの曲で、どれもが高クオリティなのだ。同級生が作ったとはとても思えず、ぶったまげた。
それらの曲を作れるイオに、トリトンの作る衣服。
そしてステージに立つのは草の根アイドル・ナギ。
……正直、最後の一要素が負けてしまっているな、と感じる。
(まったく、気軽に知り合わせてくれるんだから……)
深いため息を吐く。カグヤは咳払いをして、
「アイドルはいつも笑顔」
「……わ、わかってるわよっ」
口角を釣り上げる。大鏡には引きつった笑みを浮かべるナギが映っている。その側には穏やかな顔をしたカグヤ。鏡越しに目が合う。
「今何色のパンツ履いてるの?」
「? ……?? ――っ!?」ばっ、と股関を押さえる。スカートでないので無意味だが。「なっ……何自然体でセクハラかましてくるのよっ!」顔を赤くして言う。
唐突過ぎるセクシャルハラスメント。厳密に言えば〈レイヤースーツ〉一枚なのだが、仮想衣装は下着も再現している。カグヤは大げさに首を振って見せて、
「笑顔って言ったばかりだろうに、どうして崩しちゃうかなー」
「はっ……!」
試されたらしい。
ナギは首を振ってぎこちない笑顔を作る。カグヤはひとつ頷く。
「で、パンツは何色?」
「そこから先は自分の目で確認することね」
「前世紀の使えない攻略本みたいな謳い文句。返しとしてアリだと思う」
「……アリなんだ」
意外と了見の広いプロデュースだと思う。
「それと試しに語尾に『っちゃ』って着けてみ」
「けっとしぃのキャラ作りみたいな物? ……っちゃ?」
「見てきたか。そうだよ、印象深くなるだろ? その練習」
「っちゃ」
「うん、相槌代わりに使うのもアリだと思う」
カグヤはそう言って見せてから、考えるような素振りを見せる。
「? なんっちゃ?」
「うーん…………」
「なんっちゃ、なんっちゃ? ってこれいつまで続けなくちゃいけないっちゃ!」
想像していたよりもストレスのたまり方が激しい。
「とりあえず今日のレッスンが終わるまで続けよう」
「!? うぅ……わかったっちゃ……」
「お? ちょっと『わかっちゃった』って言ってみて?」
「……わかっちゃったっちゃ」
「あははは、かわいいじゃん、あははは」
「プロデュースするアイドルで遊んでるんじゃないわよっちゃ! ふえぇ……」
ナギは自身の中で『っちゃ』がゲシュタルト崩壊し始めるのを感じた。
カグヤはそんなナギを見つめ、
「……よし決めた。ちょっと待っててな」
言うなり、拡張視界でメニューを弄るような仕草を見せる。
「? ……っちゃ」
そう答えると、カグヤは誰かと通話を始めたようだった。
ナギはそう考えて大鏡の前で屈伸を始める。
「んっ……」
曲に合わせて踊るというのを意識するようになるまで、屈伸の効果をバカにしていた節があった。けれどやってみるとどうだ、身体全体に血液が行き渡るのを強く実感できた。
月に出ようが重力を制御しようが人間の身体の作りは変わらないのだから、運動の前などに屈伸をするのは極めて重要だと理解することができていた。
「んしょ、んしょ……っちゃ、っちゃ」
ただ、それまでサボりがちだった為にナギの身体は堅い。カクカクとぎこちない動き。んしょ、んしょ、っちゃ、っちゃ、と屈伸運動を続ける傍ら、どうしたってカグヤの話し声は聴こえてきてしまう。
「そう、例の。……草の根アイドルなんだけど。……うん。……そう」
「……?」
「それで、空きは? ……ある? ホント? オーケー」
ピク、とナギの耳が稼働したような気がした。
「エントリーは……まだ間に合う? 本当に? するともさ!」
ピクピク、と耳が動くような気がした。思わずカグヤの方を見やると目が合う。
するとカグヤはニッと笑って親指を立てて見せる。
(……っ)
慌てて顔を逸らす。
……なんだろう? 口ぶりからすると、いよいよステージが決まったのだろうか。だとしたらどういった内容だろう? エントリーって言ってたな……フェスだろうか?
そんなことを考えながら、身体をギシギシ言わせつつ屈伸運動を続けた。
しばらくしてカグヤが通話を終え、ナギに向き直る。そして言うのだ。
「よろこべアイドル。ステージが決まったぞ」
「フ……」
ナギは不敵に笑おうする。
「す、すてッ……ステキ、な、ステージに、にゃるといいワネっちゃ!」
不敵に笑おうとして失敗したナギは噛み噛みだったし、あまつさえ声は裏返っていた。わたしは何星人だよと思う。月人だが。
「そうか嬉しいか、おれも嬉しいぞ」
対するカグヤはあくまで爽やかだ。
「そ、それでっ! それで、いつっちゃ? いつっちゃで、どこっちゃ?」
カグヤは「うむ、それはっちゃね……」ともったいぶって、
「一週間後っちゃ」
「……あい?」
「昇格フェスっちゃ」
「……ふ、ふえぇ……」
ナギは泡を吹いた。
カグヤは微笑ましそうにそれを見守る。
「……って、見守られてる場合じゃないじゃん!」
「っちゃ。忘れてる」
「……つけてる場合でもないっちゃ!」
律儀に回収しつつ、カグヤの取ってきたステージの条件を吟味する。
……考えれば考えるほどに、
「無謀過ぎるわっ!」
「っちゃ」
「……無謀過ぎるっつってんのっちゃ!」
ナギが取り乱すのも無理はない。
アイドルランクは向けられる関心度で上下するわけだが、一度のステージで簡単に上がる物ではない。それこそ草の根のアイドル活動を重ねる必要がある。定期的に開催される大会にエントリーし、名前を売ることは大きな収穫になるわけだ。
ただ――カグヤが取り付けたこの『昇格フェス』はひと味違う。
ひとつ上のランクを見る層に名前を売る。そういった意欲的な意図で開催されるのだ。
属するランクに求める物『以上のもの』を見せることができれば、無事に昇格を果たすことができる。新進気鋭で良いフェスだ。それはいいのだが――
(……プロデューサーがついて初めて出るステージにするのは、どうかしら!)
草の根アイドルの上のランクは『アイドル一年生』。ステージを成功させるためには草の根アイドルでなく『アイドル一年生』並のステージにしなければならない。
正直に言ってそんな自信はない。その上、昇格フェスその物が関心の高い存在だ。つまりライバルが多い。実際はランク以上に満足させられるステージを成功させたとしても、ライバルたちのステージによってその輝きが薄れることはよくある。
けっとしぃのステージの後に見たアイドルのそれと同じように。
「自信ないの?」
カグヤは意外そうな顔でナギを見る。ナギは言葉に詰まって、
「……ないわけではない。ベストコンディションならヨユーっちゃよ? でも、」
「でも?」
ナギは頭を抱え、
「一週間しかないって無謀を通り越してるじゃん! 記念出場しろってこと!?」
レッスンの中、ひとつのステージを通してやる準備などは一切したことがない。
ステージに必要な楽曲も、振り付けも、衣装もないのだ。
そんな状態で一週間後にフェスに出ろと言う。
あまりにも無茶な話だった。
カグヤはけれど澄ました顔で、
「もしもしイオ? 新曲を頼める? 一週間後のフェスに間に合わせたい」
「アイドルの必死の訴えを無視して無茶なオーダーをするのはやめなさいよ!」
「オーケーらしいぞ」
「オーケーなの!? 心強すぎてわたしは困ることしかできないっちゃ……!」
猶予が一週間ということは、最遅でもその半分程度の時間で仕上げなければならない。なぜなら、振り付けも舞台演出も、出来上がった曲に合わせて作るからだ。だのに、
「今から半日で曲のラフスケッチをいくつか上げるから、選んでくれって」
「頼もしすぎる……!」
イオのポテンシャルの高さに驚くことしかできない。
「で、でもっ! 曲は間に合ったとしても、衣装は――」
「もしもしトリトン? ナギの……あ、うん、オーケー……それじゃ……」
「ちょ……不穏じゃない? 今何を話したの……?」
「いや、今、ナギの型紙を作ってる所だから邪魔しないでくれって……」
「先んじてて普通に怖いわよっ! ひしひしと感じるわよ身の危険をっ!」
穏やかじゃない話だった。
(ん? ……あ、れ……?)
ナギがふと冷静になってみると、
「後は振り付けに、光り物なんかのステージ演出だけど、これはおれがどうにかするよ」
……すっかり外堀を埋められていることに気づく。
(曲も衣装も振り付けも演出も間に合わせるって言われたら、断れないじゃない……!)
狙ってやってるのだとしたら非常に狡猾だ。ナギはキッとカグヤを睨む。
「不安? ナギなら余裕だと思うけど?」
本音で言ってるのか煽ってるのか判らない飄々とした口調。
ナギは観念する他なかった。
「……やってやろうじゃない」
「っちゃ」
「やってやるっちゃ!! ちゃっちゃっちゃあぁ!!」