アイドルカツドウ……005
「しくしく……」
トリトンの匠な指技を受けたナギ(採寸的な意味だ、他意はない)は午後のステージ会場に向かっていた。
「見つけたっすよ」
ふと背中に声が掛けられる。
向き直ると同級生の顔があった。
「……生徒会の?」
「お、当たりっす。覚えててくれたっすね」
同級生の生徒会役員。ナギにとっては忘れにくい相手だ。向こうからしても、目つきの悪いはみ出し者のナギは記憶に残るのだろう。
(……にしても)
見かけたからといって話しかけられるほどの関係ではない。
そう思っていたのだが……
「シフォン=テラサキ……呼びづらいっす。ナギって呼んでもいいっすか?」
「…………構わない、けど」
少女は人懐こい笑みを浮かべる。
「よっし、ならあたしも呼び捨てで呼んでほしいっす。イオって」
ナギが同級生の名前を思い返すよりも早く、少女は自分の名前を口にする。
イオ。確かにそんな名前で呼ばれていた。
「…………それも構わない、けど」
ナギは頬をかく。イオはそんなナギを見てきょとんとする。
「? どうしたっす?」
「……別に」
思わず視線を逸らす。
……まるで友達みたいだな、なんて思ってしまったのだ。
まったく、らしくもない。ナギは自分の頬を触ってみる。
ちょっと熱い。赤くなってないといいが。
「これから午後の部を見に行くっすね? 一緒に行っても?」
「あなたは、」
「イオっすよ、ナギ」
「……イオは、ひとりで来てるわけ? 生徒会の仲間とかは?」
イオは「あー」と頭を掻いて、
「昼前にけっとしぃを見るのは一緒だったっすよ」
「あ、わたしも見てた。すごかった」
「お、おっ、おっ! さっすがナギ、話せるっすね!」
「ちょっと、痛いわよ……」
ガシガシ、と肩を叩いてくる。非常にフランクだ、彼女からすれば自然体なのだろうがナギからすると近すぎて戸惑ってしまう。
「ひ弱っすね、お肉とか食べないとだめっすよ」
「結局〈ルナレーション〉なんだから成分同じじゃない」
「そこはもう少し夢見る少女でいるべきっす」
イオはそう苦笑してから、
「生徒会の皆は違うステージを見に行ったっすよ。友達が出るって話っす」
「……ふうん」
それじゃあ見逃せるはずもない。
「あなたは、」
「ノンノンノン。イオ。イー、オー。オーケー?」
下手くそな英会話のレッスンみたいな口調で名前呼びを強要してくる。
面倒だ……
「…………イオは良かったの? 付き合いとかあるでしょう」
ナギがそう言うとイオははにかんで、
「変なこと気にするっすね。いっす、午後はナギの気分だったっす」
「……そ、そう」
奔放な少女なのだな、とナギは思う。
しかし、
(はじめに言ってた『見つけたっす』って言葉に、今の『ナギの気分』って言葉)
この場でイオと出会ったのは偶然というわけではなさそうだ。
なんの意図があって?
少しだけ考えてから、直接訊いてみることにする。
「……で、なんの用なの?」
「直球っすね」
言いつつ、ふたりはどちらともなく会場に向けて歩みを再開する。
「あたし、生徒会に入る前は保健委員だったっす……っていうか、今もそうなんすけどね、二刀流っす」
「火力でそうね」
「っす」
保健委員。あらゆる委員会の中でも、最も必要がないと言われる存在だ。理由は単純で常に体調をモニターする〈ナノチップ〉があるからだ。休む必要があればそれが当人にアラートを出すし、必要な時には周囲の〈ナノチップ〉に向けてHELPサインを出すようになっている。受け取った者はその後、案内に従って休むよう促せばいい……といった具合だ。
「まー、あんまり仕事はないっす。〈ナノチップ〉が優秀だから」
「……健康さまさまね」
「っす」
苦笑してみせる。
「で……形骸化してはいるけど、できるだけ校内に残ってる必要があるっす」
想像に容易い。いくら『保健の先生』がいるとはいえ保健室を空けるのは問題がある。生徒――というか人間が詰めている必要があるってことだろう。
ナギは頷いて理解を示し、先を促す。
「そすると、暇なんすね、ぶっちゃけ」
「……わかるけど」
本当に随分とぶっちゃけてくる生徒である。
「暇な時間に何をして過ごすかを悩んで、書籍とかゲームとか、色々やったっす」
「生徒会の人間が校内でゲームを?」
「秘密っすよー、ナギとあたしだけの秘密っす」
いたずらっ子みたいな笑み。ナギは「いいけど……」と応える。
「そうした先に行き着いたのが、アイドルだったっす」
非常にありがちな話だった。
「いろんなアイドルを見て心踊らせたっす。アイドルを知ってからは毎日がお祭りっす」
生徒会の少女、イオはそこでふと立ち止まる。
ナギは数歩分だけ先で立ち止まり、振り返る。
「……あらゆるアイドルのステージで共通してることがあるっす」
目が合うと、ポツリと呟くように言う。
「共通してること?」
「ナギにはそれが何か、わかるはずっす」
「……………………」
目を細め、ナギは考えてみる。
共通してること?
華やかな舞台。可愛らしい衣装。七色の歌声……カグヤが以前言っていたように、アイドルの数だけ魅力があるように思う。そんな中から共通項を見つけだすことなんて……
いたずらっ子みたいな顔を浮かべたイオが答える。
「みんな歌ってるっす」
「……………………」
「あ、恐い顔っす。友達できないっすよ? スマイル、スマイルっす」
「余計なお世話よ……」
嘆息するナギを見ながらイオはちいさく笑って、
「……そのことに気づいたあたしは、曲を作ってみようって思ったっす」
まっすぐにナギを見て、イオはそう言う。
「曲を?」
「そっす。人間の声という楽器の音域でメロディを作りコード進行の上に置いてみて、楽曲という形にしていく……そういうことに挑戦し始めたら、暇な時間なんてなくなった。毎日があっという間に過ぎていったっす」
「……………………」
「でも楽曲を作ったら歌ってもらいたいって思うのが人間っす。あたしは欲深っすよ~。まぁツテの類なんてまったくなくて、途方にくれてたっすけどね。……そこで匿名で曲を投下し、気に入ってくれたアイドルに歌ってもらえる、そんなサービスを教えてもらって投稿するようになったっす。一回歌ってもらったらもう夢中っす、重ねて言うけどあたしは欲深っす」
今朝方見た夢でも語るように、楽しそうにイオは話す。
「以来、アイドルのステージでより『歌』を意識するようになったっす。ままいるっすよね、アイドルであることよりもシンガーでいようとするへんてこなアイドルが。あたしはそういう人を、たくさん見たっす。トップアイドルから――草の根アイドルまで」
「――――――――」
キラキラと。
眩しいものでも見るかのように目を細めて、イオはナギを見ていた。
ただただ、楽しそうに。
「……ぶったまげたっす。同級生にこんな娘がいたんだって。驚いたっす」
つまりは――そういうことだ。
少女イオがナギに話しかける理由。
それが『歌』であるなら――不思議なことはひとつとして存在しない。
それに何より、
「匿名で曲を投下してアイドルに歌ってもらう……そのサービスをあなたに教えたのは」ナギは肩をすくめる。「生徒会長ね」
イオはくすくす笑って、
「正解っす。エスパーっすか? なんて。ふふふふ」
ナギは頭を抱える。
(まったく、あいつ……女の子の人生のターニングポイントに立ちすぎよ……)
ため息しか出ない。
(今、話しかけてきた理由も、なんとなくわかったし……)
先日、共に食事をした。
イオからすれば、青春を賭けられる場所を教えてくれたカグヤに、歌に目をつけていたナギの組み合わせというのは、そりゃ印象深く残ったのだろう。
あとは時間が空いた時にでもカグヤに尋ねればいい。そうすれば――
「……それでー、ナギがよければー、あたしに曲を作らせてほしいっていうかー……っす」
言いづらそうにもじもじするイオ。
デザイナー、トリトンの時と同じってわけだ。
抜け目ないというか、なんというか。
ナギは正面からイオの瞳を覗く。
「……イオがどういう曲を作れるか知らないと、返事できないけど……」
「もちろんっす。作った曲をいくつか送るんで、それから決めてほしいっす!」
迷いのない返答。
「ねぇホントにわたしでいいわけ? まだ草の根アイドルでしかないわよ? 今はまだ、だけど」無自覚に無根拠の自信を振りまくことに余念がないナギだ。
「御社が第一志望っす。ナギほど歌を大切に歌う人はいないっす」
「……そ、そう」
ナギは視線を逸しながら答える。顔が赤い。もじもじとしている。「もう……」と満更でもなさそうなため息を吐いて、それから、
「……わかった、そこまで言うなら、あなたの作った曲を聴かせて」
そう答える。イオは笑って、
「あはっ♪ ナギっ!」
ナギに駆け寄り、抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと……」
「気に入ってくれるといいっすー♪ むしろ気に入れっすー♪ んー……くんかくんか」
「か、髪に顔を埋めないでよ……もうっ!」
フランクというか、大げさなスキンシップ。
イオに抱かれたナギは顔を赤くしながら考える。
……衣装に楽曲。
ステージに立つには絶対に外せない物を立て続けに用意された。
選択の余地はあったんだろうか? ……なかった気がする。
そう考えると、釈迦の手のひらで踊る孫悟空の話を思い出してブルーになる。もちろんこの場合の釈迦は生徒会長――カグヤである。
ナギは抱かれたまま、ほぅ、と深いため息を吐くのだった。