アイドルカツドウ……004
しばらくして。
「ま、大したことなかったかな。うんそれなり、光る所はあったかなーって感じ」
モール街。
食堂にて昼食を摂りつつ、ナギはフェスで見たステージをそんな感想で片付ける。なかなかにファンキーな結論である。
(っていうか……)
ナギは拡張視界の中、はじめのけっとしぃのステージを呼び出す。
フリフリな衣装で桃色の髪を揺らし、にゃーにゃー踊る少女の姿。
それが一際輝いて見えたため、後のアイドルのステージが霞んで見えたのは事実だ。決して『光る所はあったかなー』くらいの雑な感想で済ませるべきではないが。
(……なんか悔しいけど、勉強になった)
瞳を閉じる。瞼の裏でステージを思い返してみる。
単純な技量の差こそあれど、しかし。
今日見てきたアイドルの誰しもが、ナギの目にはひどく眩しく見えた。
どうしてか。
きっと、ひとつとして同じステージがなかったからだ。
猫の国を作るとかいうキャラ作りのけっとしぃはもちろんだが、他のアイドルも非常に濃かった。カグヤが言うところの『オーラがある』ということなのだろう。それを肌で、直接感じることができた。
ナギは瞳を開く。一方の自分はどうだろう?
拡張視界でメニューを開いてミラー機能を呼び出す。手のひらほどの大きさの、他人には見えない手鏡が浮かび上がる。覗き込んでみると目つきの悪い少女の姿がある。
(わたしアイドルさくらんぼ、わたしアイドルさくらんぼ)
念じながら口元を緩める。ちなみに念じた言葉はカグヤから授けられた物で意味は不明。口元が緩やかな弧を描く一方で、目元がピクピクと動く。ずっとむかしの映画で見たような普段は温厚な資産家がキレかけてるような顔になる。
「……はー」
まともな笑顔を作ることすら難しい自分。アイドルのオーラなんてまとえるのだろうか。ブルーな気持ちになりながら鏡を閉じようとしたところで、
(ん?)
手鏡の中、背後のテーブルの先。ナギの背中に、伸ばした手を向ける少女の姿があった。手の形は親指と人差指を伸ばした、ちょうど採寸でもするような形。
セーラー服姿で校章は初等部の物。幼い顔立ちに真剣な表情を浮かべている。
(? なにかしら)
振り返ってみる。目が合う。
「……………………」
「……………………」
数秒の沈黙を挟んだ末に、
「はわっ……ったあ、このちくわは当たりですね、ひゃっほい!」
伸ばした手はガッツポーズでした、みたいな雰囲気を装って食事に戻る。親指と人差し指を伸ばしたガッツポーズというのはかなり無理があるが……
ちなみに少女のメニューはおでんだ、きつね色の出汁が非常に美味しそう。
(……まぁ、いいけど)
挙動不審な少女から視線を戻して前方に向き直り、
「……………………、……っ!」
十秒数えてから振り向いてみる。また同じポーズだ。目が合って、
「はわっ……しゃあっ、このガンモにも味が染みててデリシャスメモリー!」
「……………………」
前を向く。
十秒数える。振り返る。指ピーンで目が合う。
「はわっ……やっぱり大根はジャスティス! 彼奴はおでんを統べる!」
「……………………」
前向く。
十秒。
振り返る。
指、目、合。
「ふふぉっ! ふぉふぉっふぉっふぉふぉふぉ!(口の中で昆布を結べそう!)」
もはや意味がわからない。
ナギは嘆息し、席を立って近寄る。
「はわわわわわ……」と目を泳がせる少女の向かいに座りナギは口を開く。言いたい言葉はただひとつだ。ナギは普段は温厚な資産家がキレかけてるような顔で、
「な、ぁ、に?」
まっすぐ目を見て尋ねる。
少女は観念したように、
「すすすすびばぜ〜ん……」
涙目で謝罪してきた。
数分後、ナギはその少女と向かい合っていた。
少女はトリトンと名乗った。
彼女は月面都市で暮らすこどもたちのご多分に漏れず、アイドルに憧れる少女だった。けれど人見知りする性格で、ステージに立つことが怖いのだと言う。
アイドルに憧れはするが、ステージに立つ選択をせずに過ごす少女たち……
(まぁ……いるでしょうね、そりゃ)
動機はそれこそ人の数だけあるが、珍しい話ではなかった。
そういった少女たちは純粋にアイドルを応援するファンとして過ごしていく者もいれば、様々な形でアイドル文化に貢献しようとする者もいる。
たとえば——アイドルが着飾る衣服をデザインしたり。
「……つまり、あなたはデザイナーを目指してるってわけね」
「はい……その通りなんです」
デザイナー。読んで字のごとく——服飾を司る存在。
アイドルに限った話ではない。月面都市では大変な需要がある。
月面都市で暮らす者たちは皆、実在する衣服を身に纏っているわけではない。
彼女たちが身にするのはただ一枚。身体にピッタリと密着する〈レイヤースーツ〉。月面都市での生活に最適化するよう設計されたスーツ、それのみだ。
しかし〈リュウグウ〉では様々な服装を目にすることができる。
これの正体はと言えば〈ルナレイヤー〉が参照した衣服データを実在しているかのようにエミュレートするという、言うなれば仮想衣服だ。〈ナノチップ〉が神経に働きかけ、その仮想衣服を視覚や触覚の元へ描写している形だ。月面都市の外、〈ルナレイヤー〉の及ばない場所に出ればそれらの衣服は消え、身体を覆う〈レイヤースーツ〉だけの姿になるだろう。
休日のナギの身体を包んだ半袖ブラウスにホットパンツが生み出す圧迫感というのも、〈ルナレイヤー〉と〈ナノチップ〉が作っている幻覚というわけだ。
『デザイナー』というのはつまりアイドルが着るためのステージ衣装を設計する者のことだ。笑顔や立ち振舞いに歌唱する歌の他、アイドルを包む衣装がどれだけ印象を変えることになるか……語るまでもない。
故にデザイナーというのは、作曲者などと同様に、なくてはならない存在だ。
それはいい。しかし、
「なぜわたし? 草の根アイドルでしかないよ? ……今はまだ、だけど」
ナギは無自覚に無根拠の自信を振り撒いたりする。
トリトンはそんなナギに向かって、
「人見知りするわたし、ですけど……すごく尊敬してる人がいて……」
「尊敬してる人?」
「はい。その人に相談したんです、デザイナーになるにはどうしたらいいかって」
「……ふぅん。それで? なんて言われたの?」
「いずれナギさんを紹介するって、言ってくれました。それで先走ってしまって……」
スミマセン、とトリトンはちいさくなる。
「……あぁー」
一方でナギの中、話が繋がる。繋がったどころか相談相手まで判ってしまった。
ナギはこめかみを抑えつつ、
「……生徒会長? その相談相手って」
トリトンは驚いたように目を開いて、
「な、なんでわかったんです?」
「エスパーよ。サイコなアイドルでブレイクする予定なの。サイコなアイドルのアイドルカツドウ、略してサイカツを進むわ。わたしの熱いサイコアイドルカツドウ、サイカツを楽しみにしててね」
「すごいですっ! あのあの! じゃあ図形を思い描いて見るので、それをっ」
「嘘よ」
「(´・ω・`)」
トリトンはとても言葉では言い表せないような表情を浮かべた。
(あの生徒会長、ホントになに考えてんの……勝手にそんな約束して)
プロデュースを託した以上、カグヤがデザイナーを決めることに文句はない。けど一言くらい話してほしかった、とは思う。
(やっぱり信用ならないな……まったくもう……ふんっ……)
ナギは不満たらたらで、知らずに眉間に皺を寄せてしまう。ただでさえ悪い目つきのせいでまるで生まれたての小悪魔みたいな表情になる。
「す、スビバゼン……」
対面する少女からすれば、たまったものではない。
(しまった、驚かせる気は……うーん、まいったな)
ナギはごめんと口にしようとして、違う言葉を口にしていた。
「……あなたはいいわけ? わたしで。そう珍しくもない草の根アイドルよ?」
「ナギさん綺麗です、素敵です、願ってもないです」
「………………」
「凛々しくて、かっこいいです。憧れてしまいます」
「……そ、そう。フン……まあいいわ」
褒められ慣れていないナギは、そんな言葉をまっすぐ言われると照れてしまう。
トリトンは「それに……」と前置いて、
「カグヤさんが目を掛けてる人がブレイクしないはずないです!」
「(´・ω・`)」
今度はナギが言葉では言い表せない表情を浮かべる。生徒会長の信用は絶大だ。ナギは微苦笑してしまう。
(……勝手に決められたのは癪だけど、まぁ……いい子みたいだし)
それに、だ。
「ね。……ちょっと立ってみてくれる?」
「は、はい? ……あの、こう、ですか?」
トリトンは言われるままその場で立ち上がって見せる。
上からしたまでじっと見て、
「……ん。やっぱいいね、そのセーラー服。自作?」
尋ねてみる。
ぱあっと表情を輝かせ、それから赤面し、彼女はぶんぶんと頷いて答える。
やはりそうか——セーラーカラーに細かな意匠を見つけたのだ。きっと思いを込めて作られたであろうそれは、既製品より拙さもあるが、愛らしさの方が遥かに勝って見えた。
ナギは手を差し出す。
「? ……あの、ナギさん?」
「……ステージが決まったら、その時は……わたしの服を作ってよ」
トリトンの瞳が潤む。
それが溢れるよりも早く、ナギの手を取った。
「…………はいっ! よろしくおねがいします!」
ナギの手を包み込むちいさな両手。細くて、けれど心強く感じた。
(あぁ——アイドルとしてのわたしの、味方になってくれる人を得たんだ)
とても満ち足りた気持ちのまま、彼女と手を繋いでいた。
「……あの、それで、ですね」
「ん? ……な、なに?」
トリトンはナギの手を包み込んだまま、ナギの顔を覗き込むように見てくる。
……どうしてだろう。ナギはその目がギラギラと光っているように見えた。
「さっそくですが、サイズを測りたいんですが、どうです?」
包み込んだナギの手をぷにぷにと触りながら言う。
「え……今から? ステージが決ってからでも——」
「そんなのだめです!」
力強い静止だ。
「デザイナーは担当するアイドルの身体のことは把握しておかなければいけません!」
「え……そ、そう? ちょっと大げさじゃ」
「大げさではありません! たとえアイドル活動をお休みしている時であれ把握しておき、常に新たな衣装を設計・納品できるように心構えておくべきなんです!」
重い。存外重かった。
別に測ってもらっても良いのだが……彼女の獲物をみつけた肉食獣みたいな目。ナギはどうしてか身の危険を感じた。
「さ、さっき、後ろから軽く測ってたじゃん。ひとまずはあれじゃだめなの」
「……………………」
「だ、だめ……かな……アハハ……」
「……………………」
言うべきことは言ったので答えません、とでも言いたげな沈黙。
すごい“圧”だ。
(あ、あうぅ……)
涙目を浮かべるナギは結局、頷いてしまうのだった。
この後、隅々まで測られた。