人々と都市
大阪梅田の街を歩く。北から東に。道にそって。大通り気取りのアスファルトにそって。とても良い天気な日曜日で、こんな日に一人で歩いているのはある意味で自由で、またある意味で少し淋しい。再開発はまだ続いていて、その途中の現場すら商業は生かそうとする。『ビールを飲みましょう』『肉を食べましょう』歩いている人はもちろん7割くらいは日本人だけど、チャイナや、青い目の外人もしっかり存在をアピールしている。彼らの多くは不思議なくらいタンクトップを着ていて、太陽と親和しようとつとめている。高架下をくぐり抜けると、高さ174メートルのビルと対面。彼らの世界では、中くらいのサイズ。遠くから見ると、多くの人々が窓越しにいる。近くに行くと、その人々の中に僕も入る。今日は深い緑のTシャツを着ていた。昔とは違うって言ったって、まだまだ街中の色彩は地味で、黒と灰色、そして肌色。もしかすると肌色は不適切かも。だって昔とは違うから。それはさておき、色ってのはいっぱいあったほうが良いんだ。おじいちゃんも言っていたこと。
エスカレーターを昇って、ビルとビルをつなぐブリッジを歩いていると、大学の知り合いに出くわした。女、三人。大きな教室だと話し声が目立つタイプ。リーダーのようなポジションに見える女の子は、初めて会ったときより随分可愛くなった。愛されている証。もう二人のうちの一人は、当代流行の韓国人のようなスタイル。残りの一人はララランドのどこかにいたような雰囲気。お互いにおおと言って、挨拶程度に言葉を交わす。口を開けたのはリーダー。
「何しとんの?」
「いや、バイトだね。そっちは?」
「スイーツやねん。」うちらスイーツ同好会やからな。
「なるほどね。パンケーキ、抹茶、みたいな。」
「そんな紋切り型ちゃうで、かき氷、台湾の。」
まるで台湾のかき氷が何かの権威であるような言い方だった。めっちゃうまそうだねと言って、こう付け加える。
「インスタ楽しみにしとくよ。」
「ええよ、期待しとき。」
そしてお疲れ、と言って別れる。人々はもれなく皆疲れている。また歩きはじめると、橋の上でiPhoneに夢中な金髪の男とあわや衝突という場面に。浅黒くてピンクのパーカーを着ているからって、怖い人だと思っては駄目。すんなりぺこりと頭を下げて、お兄さんは進んでいった。ビルに入ったのは何故かというと、少し涼しい所に行きたかったから。回り道というわけでもないし、人も道路よりはいないし。そして正直、これが回り道だったとしても、別にかまわなかった。行きたいところへ着けばいいのだ。お金が生んだ迷路の中で、一人の人間としての僕は、間違いなくちっぽけだった。そんなちっぽけ君は、今度はエスカレーターを2階分降りて、天井の低い食堂街に出る。シャッターを下ろしている店もある。手書きの貼り紙ももちろんそうなのだが、ただのワープロで打ってある文字も、十二分に温かさと庶民さを醸し出していた。どこかでは間違いなく、政策が空回りした月末の金曜日があるのだろうと思う。けれどもここでは、プレミアムな金曜日は確かに存在していた。でもきっとその次の土曜日も、夜の騒ぎは続いているはず。要するに「にぎわってるがな」ということである。
お洒落なお酒を飲ませてくれるお昼からのお店に、一人のおっさんが入っていこうとしていた。バイトの先輩だ。詳しい歳は知らない。三十後半、と言ったところ。もっと裕福なら、間違いなく丸々と太りそうなシルエット。向こうはこちらの視線に気付いたらしく、嬉しそうに駆け寄ってきた。チャーミングな眼鏡がこの人のポイント。
「川西さん、何してんすか?」
「いや、飲むねん。今日、もう終わり?」今日のシフトには、こちらのチャーミングはおりませんで。
「終わりです。少なかったです今日は。」
「で、もう帰んの?」
「はい、まあ、そんな感じです。」
「そうか、まあ明日も、授業あんねんもんな?」
「ええ、9時ぐらいから。」
「大変やな。まあ、また今度飲もうや。」
「はい。川西さんも、あんまり飲み過ぎちゃダメですよ。」
「いやぁ、それはどうかなー。分からんな。」
本当に嬉しそうな顔をして、チャーミングな川西さんは店へと入っていった。とび職のようなズボンは、歩くたびにだぶだぶ揺れた。彼は大学生という僕に、ひとつの敬意を払っていた。僕の後ろに、学業という観念を感じていたのだろう。店の中には角材そのままのような柱と暖かい色の照明があって、客はそこに母性を感じるのだ。そしてアルコールは絶えず消費されていく。
私鉄の駅へと道と店はつながっていて、どこかからどこかへ行く人々ですっかり溢れ返っている。スーツ、アディダス、ヒール、サングラス。皆それぞれに荷物を持っていて、皆それぞれがまったくランダムに動いていた。人混みは嫌い、という人がよくいるけれど、これはまだましな方。高校の時、一度だけ演壇に立ったことがあったけど、きれいに整列した何百という人の顔がじっとこっちを見ているのは、信じられないほど気持ち悪い。これならば目が合っても、せいぜい五、六人というところ。時々凄い美人がいたりする。
駅構内には大きな本屋があって、ある人の言うところによれば「関西の知識層を支えているもののひとつ」らしい。入口のすぐそばに積まれたセラーを横目に流して、レジへと並ぶ人々を半身ですり抜けていく。最早とっくにお手のものだが、暮らし始めたころは、まさしく道を譲ろうとする鈍重な牛だった。今は熱帯雨林の手長猿。僕の身長は180くらいだから、地球温暖化が進んだら、僕の子孫は本当にテナガザルになってしまうかもしれない。もしそうなったら、彼や彼女がすいすいと、枝から枝へ渡っていくのを見てみたい。比較的人が少ない(おじいさんしかいない)哲学や宗教学の本棚の前にいると、色々なタームと概念というやつが入り混じってきて、脳はそんなおかしなことばかり考える。
そっと肩を叩かれて驚きながら振り返ると、ここにもまた、大学の同級生がいる。同級生ばかりだけど仕方ない。最寄りの都会はここしかないから。叩いてきたのは佐藤という男で、感じのいいイケメンなんだけど、静かにしていて、かなり前方で講義を受けているから、顔は知れ渡っていない。もっとも、本人はあまりそれに興味が無いらしかった。彼は自らのまた違う部分に、文字通り人知れず自信を持っている、僕にはそんな風に見えた。教養科目の少人数授業で知り合ってから、比較的取り繕わず話せる人間として、僕は彼に親愛を示していた。彼もまた僕のことを、少なくとも無害くらいには見ていたのだと思う。今日の彼は涼しい水色のシャツを着ていた。高校の頃は確かハンドボールをやっていたと言っていて、細身だが昔はそれなりにあったのだろうという筋肉の面影が見て取れる。半袖から出る色白の肌が、本屋の照明とケンカしているのが、残念と言えば残念だった。
「元気?」
「まあまあ」
「何してんの?」
「ここは人多いけどさ、このコーナーなら少しは静かかなと思って。」
「待ち合わせ?」
「いや、バイト帰りにちょっとぶらつこうかなと。」
「確かに、晴れてるから、なんか帰るのは勿体ないってなるよね。」
「佐藤は?」
「んー、俺はもう少ししたら用事があるんだけど、俺もやっぱりまだ暇でさ。どう?少し歩かない?」
「いいよ。」
もしこれがトーマス・マンの時代で、僕たちがあと五つ若かったら、腕を組んで歩きだしたのかもしれない。そんなとりとめのない思考を涼しさと一緒に本屋に置いてきて、僕たちはもう一度太陽の下に出る、そこは余裕のない物質世界。日傘をさしている女の人がいて、また別の人はソフトクリーム片手に歩いていた。背の高い男は女の腰にぴったりと手を回して、太陽の熱量と彼らのとで勝負しようという算段のようだ。僕と佐藤とは本当になんでもない話をしていた。二週間前の授業でマクロ経済の教授が語った、大学と学生の在り方についてとか、北米大陸で起こっているショーのような政治の出来事についてとか、そういう話だ。別に意見や主張はぶつからない。内容よりも、言葉を交わして時間を過ごしていることの方が意味を持っていた。階段を上って、二人して広い歩道橋を進んでいると、南の方から僕らの下の道に、日の丸を掲げた黒いワンボックスが来た。流している歌は?それは軍艦マーチだった。赤になった信号に止められて、助手席の小太りの男は準備していたかのように演説を始めた。僕たちは声を大きくした。
僕は笑っていった。「元気だねぇ」
「暑いのにご苦労様だよ。」
「何か『都市』って感じがする。」
「田舎には居なかったの?」
「一年に一度くらいしか見なかった。ここは結構頻繁じゃない?」
「そうかも。でもああいう人たちも、意外と生活が大変らしい。」
「そうなんだ。なんか可哀そうだな。」
「でも好きなこと言ってられるんだから、しょうがないのかもね。」
「少なくともツイッターにこもるよりは、太陽の下で叫ぶ人のほうがまだ好きだな。」
信号は変わり、引き続いて流していた唱歌のメロディーを引きずって、車は北へと向かっていった。僕たちは南西に向かっていって、歩道橋がつなげているビルの中へすべり込んだ。エスカレーターを昇る。これが今日何度目のエスカレーターかは忘れてしまった。でも今度はそれまでと違って、凄く高く昇る。屋上へ行くのだ。そこには小さな庭園があって、いくつかの青い花が人の手で生かされていた。11階まではエスカレーターで、そのあとは階段で。階段を歩きながら壁の向こうを見やると、ビルの向こう、川のさらに奥に、〝地域〟が広がっていた。そこにマンションやスーパーがあるのは知っている。高速道路が通り、頻繁に飛行機が離陸しているのは知っている。けれど僕の目に、それらは個々としては映らなかった。それは〝地域〟としか名付けられなかった。最奥には山があって、見事に領域を区切っていた。地域は、さっきまで嫌というほど見た人混みの影と合わさって、独特のアクセントを持ち、独自のルールに従って生きる人間たち、血のように大阪というシティを循環する無数の人間たち、というイメージを脳裏に描かせた。人口減少のこの国で、大阪という都市はそれを懸命に維持していた。どうか大きな地震が来ませんように。僕は演技などせずそう願った。けれどもちろん、こんな話は佐藤にはひとつもしない。それは胸の中にしまっておくことだ。口に出さない何かを持つことが、よく年を取る一つの条件だと、僕はひそかに確信していた。
階段を上りきると、コンクリートによって領土を区分された花々がいた。植物達は、大都会の真ん中で必死に生きていた。いくつかベンチがあったので、僕たちはそのひとつに腰を下ろす。それが汚い空気だったとしても、地上百メートルくらいを吹く風は涼しかった。
「あれ、ナスかな?」いくつかの区画には野菜も植えられていた。
「どれ?ああ、そうだね、たぶん。」
「そうだよね。それであれはキュウリでしょ?」
「そうだね。佐藤詳しいじゃん。」
「俺にだって一応田舎はあるから。」
でも少し土が良くないように見えると僕が言うと、彼は流石農家だなと笑っていた。そこに二十分ほど滞在して、僕たちは来た道を引き返した。三階くらいまで降りてくると、人間は先程より増えていた。もうすぐ夕方だ。せわしなく電車が発車する。次に来るのを待ちながら、人々はディスプレイを覗いていた。僕はその光景を見ていた。
「じゃあこっち行くね。」
「おう、また明日」
軽く手を振って僕たちは別れた。人間の流れの中に溶けこみながら、僕はいつから人と別れたあと振り返らなくなっただろうと考えていた。十二歳、小学六年生の頃、何度も何度も振り返って、お互いに手を振る僕と一人の少年の姿が浮かんでくる。不思議なことに、その前と後のどんな映像も、フラッシュバックされなかった。
21世紀にまず人々を引きつけて離さないもの、それは画面だ。だから企業はこぞって広告を画面に流す。梅田にも数多の広告が流れていて、世界というものは美しくスマホのカメラに収まり、お金を低金利でいくらでも貸してくれて、人のいない無数の観光地で溢れていることが分かる。その中に紛れて、一人の眼つきの鋭い老人がいた。背景は人工的なピンク・青・黄色のストライプ。説明が無かったら、この人は変人だと思われただろう。老人は大学人、文学部の教授だった。講義を聞いたことがある。しかしどうして、歴史学者がこんなところ(法人の広告)に顔を出すんだろう?生粋の文系じゃないか。それは、あえて立ち止まる気にもならない程の小さな疑問だったが、何枚もパネルが続いていたおかげで簡単に謎は解消された。その大体は三つの単語で表すことができる。市民講座、開かれた大学、アイデアの交流。講義タイトルは、『グローバルヒストリー云々…について』。すまして映っている老人の姿を見ると、どうやらそれなりの需要があるらしいことが分かる。大学教授も間違いなく物質世界の一部だった。でもニセモノ知識人が増えるよりマシだな、そう思った。なぜといえば、僕の見るところ、大学で教えている人々は皆、多かれ少なかれ苦悩のシワを額に刻んでいたから。苦悩を持って何かをしている人には、信頼を寄せていいというのが僕の経験。参考にどうぞ。
そういえばあのじいさんは自衛隊のこと、戦争屋って呼んでたな。そんなことを思い出したけれど、すぐさま頭から追っ払った。追っ払おうとした。だってそれは、本質的に僕と無関係だったから。
手際よくそれがどこかに行ったところで、改札口が見えてきた。相変わらず人々は散在していて、流石日曜の四時過ぎと言ったところ。カードをかざして、改札をくぐり抜けた。扉から降りてきた五十代くらいの女性は首尾よく通れず、隣の改札は威勢のいい音を鳴らした。階段を昇って、五分後に来る電車を待つ人々の列に並んだ。そうして僕も、やっぱり画面をのぞいた。ツイッターには知らない人の日曜日が溢れていて、何だかすべてがくだらなく見えた。イヤホンをつける。ユーチューブを開く。僕にとってそこは音楽宇宙であり、ジャズやJPOPやアニメソングなど、無数のジャンルという惑星系があった。宇宙だから、そこには勿論混沌もあったけど、僕は穏やかに、一九四〇、五〇年代の米音楽の惑星系に暮らしていた。そして時々星間飛行をするのだ。それもイーロン・マスクがびっくりするくらいの軽やかさで。
『まもなく、四番線に電車が到着します。危ないですから、黄色い線の内側にお下がりください。』
席に座ることは出来なかった。ドアの近くに立って、最寄り駅に着くまでの十五分を過ごすことにする。列車が淀川の橋を渡るときに流れていた曲のタイトルは、『Manhattan』だった。遠くに去っていくビルの群れ、そして脳裏のニューヨーク。ここはマンハッタンの下位存在だな。そんなこじつけを思いついて、小さく鼻で笑ってみた。二〇一八年だったけれど、手の中のエラ・フィッツジェラルドは存分に歌って、彼女のキャリアを声に示していた。時間は夕方に、そして夜に向かっていった。雲もまた、僕たちの視界の向こうに退却しようとしていた。列車は空を追い抜いて、郊外へと走ってゆく。そこには僕が乗っていた。紙袋を抱えるお婆さんも。もうすぐ最初の駅だ。また沢山の人が乗って来るのだろう。扉から身を遠ざけながら、僕は少々うんざりしていた。