序章 boot up : waiting... ④
「えっと、今年はこっちだっけ」
「そうね」
先月までとは違う階まで階段を上り、新しい教室へと向かう在人たち。
上懸高校では学年が上がるごとに全体的に階が上がるため、去年よりやや教室へ向かうのが大変になる。特に、学年ごとに2フロアを使っているため、ひとしおである。
A組の在人たちは教室のある上側の階まで上り、他クラスの友達との雑談を楽しむ生徒たちを横目に、(挨拶は返しながら)教室へと入った。
「あ、観咲ちゃん。おはよ〜」
「おはよう。みんなも久しぶりよね。一緒のクラス」
「うんうん。これからよろしく〜。」
「ねぇ観咲。あれ知ってる? 駅前にね……」
着いて早々、女子の一団に招かれていった観咲をよそに、在人の方にも顔見知りの男子数人が寄ってきた。
「なんだよ御劔。久しぶりだってのに見せつけやがって。また同伴登校か? 色男め」
「久しぶりだってのにご挨拶だな。知ってて言ってんだろ。三枚目」
「うるせぇよ」
皮肉ったような言い回しで返す在人たちの会話に軽い笑いが起こる。普段からの付き合いはないが、こういった物言いが嫌味と取られない程度には仲がいい知り合いが多くて、在人はこの1年、それなりに楽しくやっていけそうだと感じるのであった。
黒板に張られた席表に従い、自分の席に荷物を置いて駄弁っていると、予鈴のチャイムが鳴った。それを聞いた周りの連中は自分の席に戻っていった。
そして、鳴り終るとほとんど同時に、灯が教室に入ってきた。
瞬間、教室内の男子たちがざわめいて、女子たちが微妙に呆れた空気になる。
「おはよう。今日からよろしく」
「夜霧さんおはよう。さっきも見かけたんだけど、挨拶できなくてごめんね」
「気にしなくていいわ。それより、予鈴もなったし、おしゃべりもほどほどにね」
「は〜い」
灯の挨拶は全体に向けられたものだったが、観咲が代表のように返していた。その様子に男子たちのざわめきが強くなる。
「あの2人が並ぶといいよな。華があるっていうか。流石は〈三大美女〉の2人。俺マジこのクラスでよかったわ」
「ああ、これだけでもう生きててよかったって気がする」
「お前夜霧さんのファンクラブだったもんな」
大げさな……、と在人は思わなくもないが、それを言っても顰蹙を買うだけなので、黙っていた。普段から観咲と一緒にいる在人は他の男子にとっては恵まれた存在なのだ。
客観的に見てこの2人の並びは実に絵になる。何といっても美人な2人はモデルや芸能人もかくや、という雰囲気を会話するだけで醸し出している。お互いがそれぞれの輝きを引き立たせ、女子ですらもそのオーラのようなものに惹かれてしまいそうになっている。
(ま、強いて言うなら……、色気、かな)
などと、冷静な評価を下すのは在人ぐらいのものだろう。
バランスのいいスタイルとはいえ、まだ少女らしさを残す観咲と、全体的にスレンダーで、やや凹凸に欠ける灯では、確かに大人の色気を出すには少し足りない。
「ね、在人。ちょっと失礼なこととか、考えてない?」
会話の途中で在人の方に顔を向けた観咲が口にした言葉に、察しがいいな……、と思いながらも平然と、
「いや、別に」
と返す在人。その言葉を聞いた観咲は、少し呆れたような顔をすると、灯に向き直って軽く挨拶をした後、在人のもとにやってきた。
「まぁ、そういうことにしておきましょうか。お詫びは、今日の買い物できっちりもらえるものね」
「……」
在人はそれ以上言い訳をしなかった。付き合いの長い観咲には通用しないだろうということはわかっていたし、せいぜいデザートくらいにしてくれるであろうことも同じく付き合いの長い在人にはわかっていた。……流れで環奈にも奢らざるを得ないことも含めて。その点だけは、納得がいかないだろう。
「そうそう、お昼なんだけど、学食で女子会を開くことになってね。今日は一緒に食べてあげられないの。ごめんね」
「約束も習慣もないけどな。昼飯を一緒に食うのがお前だけって感じの可哀想な言い方すんな」
可愛らしく微笑む観咲を見て、在人はいやそうな顔で答える。それを見て薄く笑い声をこぼした観咲は、それじゃ、と席に戻っていった。
ちなみに、在人の席は廊下側の2列目、後ろから2番目という上々な配置だ。後ろの席には、まだ来ていないが拓志の席になっている。観咲は窓際の最後尾で、灯はその3つ程前の席だ。さすがに席が近いというさらなるミラクルは起きないらしい。
ふと、在人は隣の席――扉に近いため、廊下側最後尾になっている――を見た。そこにはまだ(?)、誰も座っていなかった。
在人の席の隣には机と椅子が用意されていたが、席表にも名前は載っていなかった。単純に前年度と数が合っていなかったのか、それとも……などと考えていると、
「は〜い。みんな席について〜。予鈴もう鳴ったよ〜。席がわかんない人は、前に来て確認してくださ〜い」
やや間延びした声で指示を出す女性を認識したクラスメイト達は男女問わず嬉しそうだった。
「あれ、もしかしてこのクラスの担任ってサミちゃん?」
「そこ! サミちゃん言わないの〜! せめて、アサミ先生って呼びなさ〜い!」
(((あ、名前で呼ぶのはアリなんだ……)))
妙にほっこりした気持ちでクラスが初めて一つになった瞬間だった。
それはさておき、両手の握りこぶしを上げて顔を赤くし、いかにも怒ってますというアピールは、いい大人のする仕草では断じてないが、この教師は天然でやっているのだから、侮れない。だが、本当に侮れないのはその見た目である。
「まったくも〜……。……はい、そんなわけで〜、このクラスの担任になりました、紫藤朝美で〜す。知ってる人も知らない人もよろしくね〜」
まぁ知らない人はこのクラスにはいないだろう。
彼女は2年前、新任としてこの学校に赴任してきた。在人たちは当時中等部3年だったが、正直新人教師ではなく、転校生ではないのかと疑ったほど、幼い外見である。……いや、同級生よりもやや下に見えたぐらいだった。
性格は少し天然であり、子どもに見えることを気にして、しきりに大人であることをアピールしてくるが、その外見と合わせて生徒たちからはマスコット的な人気が強い。そのため、愛称のサミちゃんで呼ぶ生徒が後を絶たない。
しかし、教師としての実力は高い。担当教科の英語の教え方はわかりやすいと評判で、書類仕事も生徒のサポートもバッチリ。赴任翌年にはクラス担任を任されるほどで、在人たちは前年度から引き続きとなる。
「チャイムまだなのにちょっと急がせちゃってごめんね〜。始業式前にやっておくことがあったんだ〜。えっとぉ……全員揃って……、あれ? ないね〜? その席は〜……、榊君、かな〜? 誰か知ってる〜? あ、御劔君は〜?」
在人と拓志が仲のいいことを知っている朝美は、在人を指名して質問してきた。
「ああ、タクなら――」
バン! と教室後方の扉が勢いよく開かれた。すぐ近くの扉がたてた大きな音に驚いた在人がそちらを向くと、そこには少し息を切らした拓志がいた。
「セーーーーーーッフ!」
大げさなポーズと共にそのまま教室に入ってきた拓志の髪は残念ながら直しきれなかったようで、髪型に大きな変化がなく、代わりにひたすら濡れている。
「いや〜焦ったぜ〜。間に合わねぇかと思った。空いてんのここだけってことは俺の席どっちかだよな。なぁアルト、どっちだ?」
「俺の後ろ。水飛ばすなよ」
「サンキュー! お、サミちゃん、おひさ〜」
「おひさ〜、じゃありませ〜ん!」
さすがに我慢の限界だったらしい。
「もうどこから注意すればいいんですか〜!? 息切れするほどのスピードを廊下で出したことですか? 勢いよく戸を開けたことですか? それともそのイケてない髪型ですか? とりあえずちゃんと拭いてきてくださ〜い! あと、挨拶しっかりサミちゃん言わない!!」
「おお、結局全部言った」
と、在人が妙な感心をしても、朝美の怒ってますアピールは静まらない。
「とは言ってもさ〜、サミちゃん。イケてなくはないこの髪型、学校で梳かすことになるとは思わなくってさ〜。タオルなんか持ってきてないんよ」
「何さりげなく髪型持ち上げてんだ」
「だったら保健室行ってください。タオルくらい貸してくれますよ〜」
「なるほど! その手があったか! さっすがサミちゃん、冴えてるぅ!」
「アサミ先生、ですよ〜。もういいですから、早く行ってきてくださ〜い」
言い終わると同時に、キーンコーン、とチャイムが鳴った。
「なんだ、その手じゃ間に合わなかったのか。サミちゃん、もうちょっと頑張ってくれよ……」
「わたしが悪いんですか〜!? も〜う、いいから早くしてください。遅刻にはしないであげますから〜」
「マジで! じゃあちょっと行ってきますわ!」
鞄とギターケースを机に置いて保健室に向かおうとする拓志に、
「ただし、後で廊下の掃除もしてもらいますからね〜。滑ったりしたら危ないんですから〜」
「マジで!?」
「マジで〜す」
笑顔で告げる朝美に対して、若干不満そうに廊下に出ようとした拓志だったが、思い出したように振り返って、教室に着いた時から思っていた疑問を朝美に尋ねた。
「ちぇ〜。あ、そうそう、廊下に立ってる女の子がいるんだけど?」
拓志からもたらされた情報に、クラス内がどよめく。女子の情報量には信頼のある拓志も知らないということは、
「編入生の子ですよ〜。みんなに紹介しようと思って、早めに来たのに〜。榊君のせいでチャイム鳴っちゃいましたよ〜」
みんなの予想通り、編入生という一大ニュースだった。
「とりあえず、茅根さ〜ん。入ってきてくださ〜い」
「はい」
凛とした声の後、前方の扉が開いて、姿勢よく入ってきたその女の子に、クラス中の視線が集まる。その佇まいだけで、少し身が引き締まるような雰囲気が、彼女にはあった。
「いいね〜。ちゃんとチェックしないと……」
「榊君は〜、早く保健室に行ってくださ〜い」
鞄からメモ帳を取り出そうとする拓志に、そう指示する朝美。
「え? いや、でも自己紹介とか……」
「始業式にも遅れちゃいますよ〜。恥ずかしいですよ〜」
「うっ。……わかりましたよ……」
笑顔で脅し(?)をかけられ、肩を落とした拓志は、在人にメモ帳を渡して、
「アルト、任せた」
と、何かを託して教室を出た。
「……」
在人は無言でメモ帳を机にしまうと、正面に向き直った。
「え〜と、御劔君、大丈夫ですか〜?」
「全然大丈夫です。気にしないで始めてください」
「そうですか〜。じゃあ、えっとですね〜……。……よい……しょっ……と」
そう言うと、朝美は自前の台座を置いて、それに乗って黒板に名前を書き始める。朝美は普段の授業でも、後ろの方でも見やすいよう、高めの位置に書くときは台座を使用しているのだ。
「……よし。は〜い、ちゅ〜も〜く! 彼女は編入生の〜、茅根冬華さんで〜す。じゃあ自己紹介、お願いしますね〜」
「はい」
しっかりと正面を見据えたまま、彼女は口を開いた。
「家庭の事情で、今日から共に学ばせてもらうことになった、茅根冬華だ。よろしく頼む」
端的な物言いがきつい印象を与えるものの、その物腰にはマッチしている。竹刀袋を背負っているため、まるで剣士、といった雰囲気であった。
「みなさん仲良くしてくださいね〜。始業式前なので〜、質問タイムは後にしてくださ〜い。茅根さんの席はですね〜、あの端っこの〜、鞄がない方ですので。とりあえず席着いちゃってくださいね〜。あ、後のことは〜、隣の席の御劔君にお願いしてますからね〜」
「え!? いや、聞いてませんが!?」
ナチュラルに聞き覚えのない仕事を託された在人は、突然のことに抗議の声を上げた。
「? いいじゃないですか〜。お隣さんなんですし〜。それに〜、優しい御劔君はちゃ〜んとお願い、聞いてくれますもんね〜?」
「……えぇ〜……」
どうもこの教師の純真な目でのお願いに弱い在人は、困った顔で諦めることにした。空いた隣の席の真実はわかったものの、どうせなら教えておいてくれてもよかったのに……、と心の中でため息をつく。ちなみに、朝美の『純真な目』は在人以外にももちろん効果がある。相手は(断る勇気が)死ぬ。
そうこうしているうちに、長い髪をやや右側で一つにくくったポニーテールを揺らしながら、冬華が自分の席に近づいてきていた。そのまま竹刀袋を壁に立てかけ、座って鞄を机にかけた。
「すまないが、よろしく頼む」
在人の方を向いて軽く頭を下げる冬華に、
「……ああ、まぁ……よろしく」
微妙そうな表情から軽く崩したような笑顔で、在人は答えた。