序章 boot up : waiting... ③
張り出されているクラス分けのA組に比較的早く名前を見つけた後、他のクラスメイトのラインナップを見て、在人はまたか……、と呟いた。
「あら、いいじゃない。これで記録更新ね」
「こっちもだ。また1年よろしくな!」
観咲と拓志はにこやかにむこう1年分の挨拶をしてきた。
実はこの3人は中等部入学以来毎年同じクラスになっている。在人と観咲にいたっては幼稚園以来の記録なので、14年目になる。確率論にケンカを売るような数だが、知らないやつしかいないよりはよっぽどましだった。
「そうだな。またよろしく」
「おう。さてさて、そんじゃ、他にはどんな奴がいますかねっと……。ん? おおっ! あれはもしや!」
他のクラスメイトをチェックしていた拓志は、大げさなリアクションである名前に反応した。
「どうした? 可愛い女の子の名前でも見つけたか?」
「イエス! ほら見ろって、夜霧さんだよ、夜霧さん。うちの学年の〈三大美女〉が2人もそろっているなんて、このクラスはもうアタリと言ってもいいんじゃねぇか?」
「落ち着けって。
まぁでも確かに、割と知り合いもいるみたいだし、楽しくやれそうな感じだな、このクラス」
「だよなだよな。……幸先は悪かったが、クラスは上出来! これも半分はお前の功績だ。お前の友達でホントよかったぜ!」
拓志は自分の髪の毛を軽く触って若干へこんだ後、笑顔で在人の背中を叩いてきた。
「痛いわ! てか、俺の功績ってなんだよ。知らねぇぞ俺は」
「何言ってんだよ。お前の幼馴染みパワーのおかげだろ?」
「だから知らんって!」
「まぁまぁ」
拓志の言いたいことは在人にもわかっていた。在人たちのクラスには、同学年の中で〈三大美女〉と称される女の子がいる。そして、その内の1人は叶芽観咲だった。だからと言って、もちろん在人には関わりのないことであるが。
「お? 噂をすれば。お〜い、夜霧さ〜ん」
拓志の呼びかける先を見ると、青味がかった、観咲よりも長い黒髪の持ち主が、こちらを向いていた。彼女はこちらに近づいてくると、
「……おはよう、御劔君、榊君。何か御用?」
と、2人に問いかけた。
彼女は夜霧灯。〈三大美女〉の一角で、観咲とはまた違った層の人気を持つ才女である。
ややきつめの形の目にクールな態度。眼鏡をかけて、まさにデキる女、といったその立ち振る舞いに違わず成績は優秀で、学年順位のトップに名前があるのを、在人たちも何度か見ている。生徒会に書記として所属しており、ファンの期待とは裏腹に(それを期待しているファンももちろん承知しているが)、周りとはきちんと接するので信頼も厚い。在人たちもよくお世話になっていた。
「今年は同じクラスだからさ。よろしく〜ってことで。いやホント、夜霧さんと一緒のクラスで嬉しい限りだよ!」
「ああ、そうだったわね。よろしく、二人とも」
「よろしく。……もしかして生徒会の仕事だった?」
在人は灯の手元の資料らしき紙束を見て申し訳なさそうに訊いた。
「そうね。でも別に大丈夫よ。職員室に届けるものだけど、急ぎのものではないから。後は講堂の様子を見に行くくらいね」
「入学式の準備か。大変そう?」
「今のところ問題はないと聞いているわ。気になるなら手伝ってくれてもいいのだけれど?」
「……本当に手が足りないなら手伝うけど」
入学式の準備にはいくつかの部活が駆り出されている。その後の部活勧誘でパフォーマンスの場所を確保する条件になっているのだ。そのため、毎年人手は十分であることは在人も知っている。
「オレもオレも! 夜霧さんの頼みとあらばいくらでも使ってくれ!」
「あら、ありがとう。そうね、御劔くんには会長のこともあるし、悪い気がするけど、榊君には色々お願いしようかしら」
灯のご指名を受けて、その言葉の内容を深く考えずに、拓志は嬉しそうにしていた。
「おい聞いたかアルト! 夜霧さんはお前よりオレが頼りになるってよ!」
「都合のいい耳してるな……」
「榊君は素行のことで色々とあったもの。少しくらい役に立ってもらわないと」
「あ、はい。そうっすね……」
拓志は今日の髪型のようなミスをこれまでに何度もしているので、生徒会からマークされている。といっても内容が大したものではないため、大事にはならないでいるが、注意とは生徒会の仕事であるため、灯はよく拓志に迷惑を受けていることになる。
ふと、在人は疑問に思ってそれを口にした。
「そういえば、タクの髪型はセーフなのか?」
「……言わなければスルーしたのだけれど……」
灯はわずかに苦い顔をして、
「どうせ周りから批判されてすぐ梳かすと思っていたのよ。後で見てもそのままならさすがに注意せざるを得ないのだけれど、その髪型自体が半分罰みたいだから、今は見逃すつもりだったの。これから部活の勧誘も始まるでしょう? さすがに榊君程度の問題は増やしたくないのよ」
さすが主席と言うべきなのかはわからないが、とりあえず正しい推理だった。
「……そんなにダメ?」
「風紀的にも、センスの面でも」
「……」
正直な感想に拓志は落ち込んでいた。女の子にアピールするつもりが逆に憐れまれてしまったのだから、そのダメージは大きい。
「それじゃあ、私は行くわね。榊君は髪をなんとかすること。余計な手間をかけさせないでね」
そう言って、灯は職員室の方へと歩いて行った。
「う〜ん。さすが。クールでいいよな。な?」
「はいはい、そうな」
在人は投げやりな返事をしつつ、反省足りてないな……と、去っていった友人の苦労性ぶりを不憫に思って、苦笑いを浮かべた。
「あれ、夜霧さん? 何? 拓志君、また迷惑かけたの?」
と、先ほどの会話に混ざっていなかった観咲が当然のように訊いてきた。
「いやいや、観咲ちゃん。オレがいつも迷惑かけてるみたいな――」
「大体そんな感じだ」
「ちょっと!?」
在人には特に否定する理由が見当たらなかった。
「やっぱり。ダメよ、拓志君。彼女いい人だから相手してくれるけど、あまり苦労を押し付けるのはかわいそうよ」
「え? オレとの会話ってそんなに迷惑?」
「そういや観咲、今何してたんだ?」
「ねぇ、あの……ちょっと……」
「久しぶりに同じクラスになった友達がいたから、よろしく、って」
「そっか。
ん? てことは、俺も知ってる人か?」
「まぁそういうことになるわよね。ほら、紗代ちゃん。茶道部の」
「ああ、あの子か。確かに久しぶりな気がするな。
……俺ももう少しちゃんと見てくるかな」
「………………」
「後でわかるからいいじゃない。とりあえずそろそろ教室に行きましょう? 結構みんな集まってきたし」
「そうだな。なんというか、目立つ奴もいるもんな。やっぱり、とっとと行くか」
2人は、膝をついてうなだれる拓志を見て、さすがに可哀想……とは、思わなかった。
「ほら、行くぞタク。今更そんなことで落ち込むなって」
「大丈夫よ。みんな、わかってるから」
拓志は、ピクッと体を震わせると、ゆっくり立ち上がって、顔を上げないまま、
「……先……行っててくれ……。……とりあえず、髪、梳かしてくる……」
と言って、重い足取りで昇降口へと向かっていった。
その道すがら、拓志の髪を見て何人かの生徒が若干引いていたが、それが拓志だとわかるとちょっと納得したような顔になっていたのが、なるほど、「わかっている」ということなのだろう。
「ちゃんと、元に戻ると思う?」
「……戻らなかったとしても、みんなわかってくれるだろ」
許されるかは別の問題だが、と付け加えて、在人はその後姿を見送った。
観咲と一緒に教室に向かうと、在人は廊下の途中でやたらはきはきした声に呼び止められた。
「おや、おやおや。そこにいるのは御劔君に叶芽君じゃないか。相変わらず、仲が良さそうじゃないの」
2人が振り向いて声の主を確認すると、そこにいたのはこの上懸高校の生徒会長を務める大園咲耶その人だった。
「咲耶さん。おはようございます」
「おはようございます。……何か御用ですか?」
しっかり挨拶は返しながらも、在人は面倒そうな顔で尋ねた。
「そんな顔をしないでほしいな。いや何、見覚えのある姿が見えたものでね。単純に挨拶しようと思っただけさ」
豊かな胸を支えるように腕を組んで、笑いながらそう言った。
上懸高校随一のスタイルを持つ彼女は、女性にしては高い身長も相まって壇上に立たなくてもその存在感を発揮する。仕事ができることも含め、一種のカリスマ的存在として、昨年の秋に生徒会長に就任するより前から人気があった。自信のある大きな態度とは裏腹に、気さくで誰とでも分け隔てなく接するため、下級生の女子も数多く憧れている。
しかしこの会長、なかなかの派手好きであり、自身の思い付きで突発的に様々なことをやらかす破天荒ぶりをことあるごとに見せてくる。以前体育祭を町全体で行った際には、各競技を街中に設置したり、実況設備を整えるために運営側は大変な苦労を強いられた。おかげさまで盛り上がったものの、準備段階の苦労は、実際に駆り出された在人からしたら、思い出したくもないものだった。
「……本当ですか? また何かやろうってんじゃ……」
「信用してくれたまえよ。私たちの仲じゃないか」
(どの口がそんなことを言うのだろうか……)
実は在人と観咲はなぜか咲耶に気に入られており、中等部の頃から色々と目をかけてもらっているのだが、それ以上に各種厄介ごとに巻き込まれるので、在人はこういう時につい警戒してしまうのだ。まぁ、頼りになる人には違いないわけで、何かとお世話になっている都合上、あまり強くは断れないのだった。
「ああ、そういえば2人とも、また同じクラスになったようじゃないか」
「……まさかとは思いますが、手をまわしたとか、ないですよね?」
「まさかまさか。たかが生徒会長にそんな権限あるわけないじゃないか」
確かに、いくら生徒会長であるとはいえ、一生徒であるところの咲耶にクラス分けへの干渉は権限を越えている。しかし、在人と観咲は咲耶なら可能だと思っている。
「咲耶さんには、ありそうよね?」
「ああ」
そして、その言葉の意味は咲耶も十分理解している。
「私に、というより、私の爺さんに、だろう?」
「似たようなもんじゃないですか」
彼女の父が現当主である大園家は、大園ホールディングスという会社を有する、上懸市随一の名家である。元々はこの一帯の大地主として力を持っていたが、当時進められた宅地開発の流れに乗り、様々な事業に手を出した結果、総合的な複合企業が誕生した。上懸駅前の娯楽施設には大抵何らかの関わりを持っており、上懸市民では知らない者はいない程の一族となっている。
一方、母体が地主であることもあり、経営方針は基本的に地域密着型。そのため、地域の行事などには積極的に出資しており、特に前党首であり会社の創始者である咲耶の祖父、大園総源氏はその人柄もあって、住民に親しまれている。多少無茶をしても盛り上がれば許される風潮はこのあたりの信頼から来ている。
そしてこの総源という人物は上懸高校の校長も務めており、派手な行事にはよくスポンサーとなっている。というより、自分で企画することも多々ある。咲耶の性格は間違いなく遺伝と言えるだろう。
「校長先生、咲耶さんには甘いですものね」
「ま、私は愛され体質だからね」
「「……」」
論点をずらした冗談に冷ややかな目で答えられた咲耶が、その空気に耐えられなくなって、若干震えた声でリアクションを求めた。
「……な、何か言ってくれてもいいんだよ?」
「いえ別に。特に悪いことではありませんし」
「私もいいと思いますよ? 愛され体質ってキャッチフレーズ。後で新聞部の子に、新入生向けのやつに載せてもらえるように言っておきますね」
「いや、うん。私が悪かった。イメージが崩れるからやめてくれ」
普段から持ち歩いている扇子を、口元を隠すように広げ、目を逸らしながら話す咲耶の、頬が少しだけ赤いことに気付いた2人は、
(……珍しく恥ずかしがってる。何だか可愛らしいわ)
(……この人、自分のイメージとか大事にしてたのか……)
などと、失礼なことを考えていた。
「まぁ、ミス・ラブリーの話はもういいとして」
「それは、何だか意味が違うんじゃないのかい? あと絶対呼ばないでくれよ」
「仕事の方はいいんですか? 夜霧さんはそれなりに忙しそうにしていたようですが」
「ああ。もうそれほど大変なものは残っていないよ。彼女を含め、みんな優秀だからね」
そのみんなの中には自分のことも含まれているんだろうな、と思いながら、在人は彼女の台詞に納得した。
「まぁ新入生の勧誘競争が始まることを考えると、少々憂鬱だがね」
薄く微笑みながらそう語る咲耶の顔には、何かを企んでいる、と書かれているかのようだったが、観咲は楽しそうな顔で、
「ふふっ。とてもそうは見えませんよ? 今度は何をされるんですか?」
と尋ねた。
実のところ、厄介ごとに巻き込まれるのは主に在人なので、観咲は比較的楽しむ余裕がある。そのため、在人よりもこういったイベントを楽しみにしているきらいがある。
自分も純粋に楽しみたいと願いながら、在人は心の中で身構えた。
そんな気持ちを知ってか知らずか、
「いや何、大したことではないよ。仕込みももう済んでいる。ただほら、万が一けが人とか出たら、まずいだろう?」
「けが人が出そうな企画はやめてくださいよ……って、ん? ちょっと待ってくださいよ。
それ、夜霧さんに話、通しました?」
咲耶の扇子を持つ手が一瞬ピクッとしたが、表情は崩さずに在人に聞き返した。
「ふむ。どうして、そう思うのかな?」
「そんな企画出されて、夜霧さんがあんな穏やかにしていられるはずないですからね……」
大抵の場合、各種取りまとめをさせられるのは灯であり、彼女の忙しさの半分以上はこの仕事(?)のためである。
現生徒会メンバーは咲耶が選んだ、それぞれの個性を生かす運営をしているため、手伝い程度ならともかく、基本的にそれぞれの仕事の領域には手を出しにくい。つまり他の役員は別の仕事に適性があり、その言い方をすれば、彼女は事務・交渉特化型の中間管理職なのだ。
生徒会の仕事は、ある意味当然だが、書類の確認や各種団体との折衝役としての仕事が多い。それを会長が積極的に増やしていくのだから、実際に担当するものとしては、気苦労が絶えないことだろう。
今回の話で言えば、安全管理が必要になるような内容なのだ。灯が監督者なら、あれほど余裕を持った態度ではいないだろう。
「仮に隠しているんだとして、愛宮ちゃんが夜霧さん相手に隠し通せるとは思えませんから、思い付きか、まさかの全員に隠しているか、いずれにせよまた夜霧さんに怒られますよ?」
咲耶は扇子を勢いよく閉じ、大きく笑って、
「ははははは。流石、やるねぇ御劔君。やっぱり君、私のところで働かないかい?」
「なにごまかそうとしてるんですか。どうなっても知りませんよ?」
結局、灯の心労は仕事と一緒に増えることになりそうだった。観咲は同情するかのように苦笑を浮かべていた。
「まぁ心配いらないさ。灯くんは優しいからね。なんだかんだで手伝ってくれるから本当に助かっているよ」
やや大げさに頷きながら言う咲耶からは、リアクションに反してふざけた印象はない。どうやら感謝しているのは本当らしい。
「会長。おはようございます!」
「おはようございまーす!」
ふと、通りすがりの女生徒たちが黄色い声混じりに挨拶してきた。
「やぁおはよう。また1年頑張りたまえよ」
「はい! ありがとうございます!」
会長に挨拶してもらえちゃった〜、と嬉しそうに去っていく女生徒を見て、在人たちはいつの間にか人通りが増えていることに気付いた。
「ふむ、どうやら少し長くなってしまったようだね。それじゃあ私は失礼するよ。君たちも教室に向かうといい。また近いうちに、ゆっくり話でもしようじゃないか」
そう言って踵を返して去っていく咲耶。教室とは方向が違うので、まだ何かやることがあるのだろう。
咲耶を見送った2人は、改めて教室に向かって歩いて行った。