序章 boot up : waiting... ⑩
「くあ……。さて、今日はおとなしく帰りますか」
翌日、HRも終わって放課後になると同時に、在人はあくびをした。今日の授業は教材の説明やら今後の方針やら、どうしても退屈なものばかりだったため、仕方なかった。
「気が緩みすぎではないか?」
隣の席から声がかけられる。背筋をまっすぐ伸ばした冬華の姿は、育ちの良さよりも性格の真っ直ぐさを表しているようだった。
「そう? ま、今はあまり気張っても仕方ないしな。今日はどうするつもりなんだ?」
「部活に出ようと思っている。今はまだいいと言われたのだが、これからお世話になる身だからな。何か手伝えれば、と」
「ああ〜、そうか。それは……頑張ってな」
「ああ、それでは、失礼する」
勧誘期間はさながら戦場といった状態になる。在人は冬華の意思を尊重しつつ、あれに積極的に関わることに心配な気持ちがあった。
「大丈夫かね……」
「大丈夫に決まっているでしょう? 彼女は在人と違って、咲耶さんの手足じゃないんだから」
帰り支度を整えた観咲がいつの間にかやってきていた。
「そりゃそうだが……、いや、待った。別にあの人の手足じゃないぞ、俺は」
「はいはい、そうね」
特に約束していなくても、用事がなければ2人は一緒に帰ることが多い。この自然さもまた、噂の一因であることは言うまでもない。
話しながらも荷物をまとめた在人が立ち上がると、スピーカーから校内放送が流れた。
「本日の勧誘活動は中止になります。担任から説明があるまで、教室にて待機してください。また、教職員は校内の風紀に注意しつつ、職員室に集まってください。繰り返します――」
放送を聞いた生徒たちがどういうことだろうか、とざわつく中、在人は教室内に残っていた灯を見た。彼女は驚いていたようだが、すぐに険しい表情になったことで、状況を確認した。
「ねぇ、在人。これって……」
観咲の言葉に頷く在人。生徒会所属の灯と、生徒会を手伝うことがある在人と観咲が理解したメッセージが、今の放送に含まれていたのだ。
教職員は基本的に校内の風紀には気を配っているし、改めて指示をするならばもっと具体的な内容でなければ伝わらない。今回で言えば、生徒を教室に戻すように、などだ。
つまりこれは、風紀を乱す要因が校内に現れたことを意味するマニュアルの台詞。
(不審者……?)
教師の声が廊下に響いている。まだHRが終わったばかりなので、担任教師の多くは教室の近くにいたようだ。
そんな中、在人と観咲、灯の携帯にメールが届いた。送り主は咲耶だ。
『至急、生徒会室に集合』
咲耶は基本的に饒舌で、会話でのやり取りを重視するところがある。そのため、彼女のメールは要件の伝達のみの簡潔な内容ばかりになる。
普段なら少ない内容に警戒心を覚える在人も、今回はその緊急性を理解できていた。
「私たちも行った方がいいの?」
在人達は生徒会役員ではない。言ってしまえば、咲耶の使いっ走りである。在人たちにとっては冗談ではないが。
観咲が言うのは、部外者が関わっていい内容なのかわからない、ということだ。いくら生徒会長直々の呼び出しとはいえ、雑用以上の業務には正式な役員のみが関わるべきだし、事実、2人は生徒会業務の中枢とも呼べる部分には関わっていない。業務の中枢にいる場合は、咲耶の思い付き系のものばかりなのである(つまり、正しくは生徒会業務ではない)。2人が緊急時のマニュアルを知っているのは、この際に確認しておく必要があったからだ。
「知ってるやつに声かけてんだろ。手があった方がいいだろうし」
一応、具体的な内容が気にならないようぼかした言い回しをしつつ答える。誰かが聞いているわけではないだろうが、そういう含みに自然と気を遣うようになったのは、それこそ咲耶のせいかもしれない。
(まぁ、今放置されても不安ではあるんだけど……。……その辺に気を遣った、ってのは考えすぎ……、いや、買いかぶりすぎ、か?)
随分と失礼なことを考えつつ、教室から出てきた灯の後を追って生徒会室に向かおうとした在人達だったが、その途中、ドカン、と大きな音に足を止めさせられた。
近くの教室で生徒たちがざわめく声が聞こえる。在人は驚きというよりも、ある種の戦慄のようなものを感じていた。
(ちょっと遠かった、けど、方向的には並木道の方。てことは、まさか爆発物か?)
あくまで音からの推論だったが、廊下の窓からうっすら黒煙が上がっているのが在人には見えてしまった。
「在人?」
観咲が生徒会室に向かうことを促す。観咲と灯も黒煙に気づいており、険しい表情をしている。
教室からは、音に気付いた生徒が出てきており、迅速な対応を必要とすることはよくわかっていた。だから、在人は一瞬迷ったものの、方針を決めた。
「俺は様子を見てくる。咲耶さんには後で連絡するって言っといてくれ」
「な……。何を言ってるの? 危険よ!」
灯が焦ったように声を上げるが、在人は真面目に言葉を返す。
「一年とはまだこういう連携ができないだろ? だったらここからが近い。心配しなくても、大したことはしないし、できないよ」
じゃ、よろしくな、と言い残して昇降口に向かう在人。
確かに、すぐに現場に向かえる人が中継するのは行動としてはありだ。なんせ今回は緊急事態。対応する人員が今、秘密裏に集められている。誰がどこにいるかもわからないなら、とりあえず近い人が現場の状況を確認すべきだが、昇降口に近い教室にいる今の一年生は、入ったばかりで、新役員なども勧誘期間後に入ることになる。中等部の生徒会などは知り合いもいるが、いかんせん別系統だ。教師が向かっている保証もないとなれば、在人の判断は、在人という生徒の安全性を度外視すれば正しかった。
灯が言葉をなくしたところで、
「もう。……私も行くわ。念のため。咲耶さんには焦らないで連絡を待ってもらって」
そう言って、観咲も在人の後を追っていった。2人ならば、もし何かがあっても対応できる可能性が増える。そう思ってのことだろうとは灯もわかっていたが、
「はあ……。仕方ないわね!」
勝手に決めないでほしい、と心の中で怒りながら、生徒会室へと急いだ。
昇降口で観咲と合流した在人は、一瞬文句を言いかけたが、観咲が言うであろう言い分を予想できたことと、そんなことを言い合っている場合ではないことから、言葉を飲み込んで並木道に向かった。
すると、入ってすぐに侵入者の姿をとらえ、木の陰に隠れた。
まだ2人の目にはぼんやりとしか見えなかったが、どうやら不審者は3人のようだった。
(さて、どうするか)
相手は爆発物に相当するものを所持している可能性が高い。ちょっかいをかけるにしても慎重にやり方を選ばなければならない。
まず、制圧はなしだ。在人の戦闘能力はそれほど高くない。手数を少なくして意識を刈り取る真似はもちろんできないし、3人同時に関節を決めるには物理的に手が足りない。かと言って手数を増やすのは3人を捌く自信がないし、当て逃げは論外だ。爆発物を使われかねない。
となれば、もちろん情報収集と時間稼ぎがメインになる。差し当たって必要な情報は、目的と具体的な爆発物、と在人は方針を固めた。
「観咲、とりあえず軽く挑発して逃げてみる。報告は頼むな」
「あら、援護はいらない?」
小さめな石を手で弄びながら小首を傾げる観咲。案外格好よさがサマになっているが、それはまずい、と在人は思った。
「いらない。こっちに注意が向きかねないことはしないでくれ。……気持ちだけ、受け取っておく」
最後の台詞は、もう不審者の方を向いた状態で言っていたが、相手に向き直る、というよりも観咲から目をそらすようにも見えてしまいそうな動きだった。ほんの一瞬、石を弄ぶ手が止まる。
「……そう。なら、ちゃんと気を付けること。いいわね?」
「ああ。もちろん」
そう言って木の陰になるように進んでいく在人を見送り、観咲は石を手に持ったまま携帯電話を取り出した。




