相棒はかなりのコミュ障
「ささ山城さん、先に入ってください」
「いや、やはりここは、レディファーストが常識だろう」
宿屋へと辿り着いた俺達の間では、先ほどまでの和やかムードが嘘のように、醜い争いが繰り広げられていた。
争点はただ一つ、どちらが先に宿屋へと入るかだ。
何をそんな事でとお嘆きのかたもいようが、これは極めて重要な案件なのだ。
先に入るということはつまり、先に宿の従業員に話しかけられるということだ。
当然、その流れで宿のチェックイン交渉もすることになる。
常人には分からないだろうが、異国の宿屋で見知らぬ他人に自分から話しかける、その行為がどれだけ俺達の精神を削る事か。
具体的に言うと、清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟を必要とする。流石にそれは言い過ぎか。
「いえ、その、あれです……ねんこう………? そう、ねここ! 猫子情熱? がいいと思います!」
「年功序列な、なにその子猫過ぎすぎるみたいな四字熟語……。とっ、とにかく行くのだ小森ちゃん、これも修行の内と心得よ!」
「い~や~で~す、後生ですから放してください~。 もう…………でないと、この場で、その……泣きますよ?」
宿の入り口に向けて、小森ちゃんの背中をぐいぐいと押していくと、意外にも強い抵抗が返ってくる。
この矮躯のどこにそんな力が有るのか、どんだけ嫌なんだよ……。
「さすがにそれは卑怯だと思うぞ、女の涙は条約違反ものだろ!」
女の涙は核兵器に匹敵するくらいの最終兵器だ、そう易々と使われると男の立つ瀬がない。
「ふっふふ~、逃げる為なら手段を選びませんよ~私は。さあ、分かったらすぐに放すです」
「くっ、この短い間に随分と太々しくなりよって、なんて恐ろしい子!?」
とまぁ、そんな馬鹿馬鹿しくも熾烈な戦いを制したのは、
「いい加減におしよ、あんた達!」
「ひぅ!? …………きゅう」
俺達のどちらでも無く、扉を開けて勢い良く外に出て来た、宿の女将さんでだった。
ちなみに最後の悲鳴は、小森ちゃんが気絶した声だ。
小森ちゃんの顔は、今もまだ女将さんのふくよかな胸の膨らみに押し付けられて埋もれたままで、呼吸が苦しそうだ。
おっと、手を緩めるのを忘れてたぜ。
危うく窒息死させるところだ、主犯は女将さんで共犯が俺だ。
あくまで俺は共犯止まりだと自分を弁護しつつ、小森ちゃんの肩を掴んで支えながら、女将さんと話を続ける。
「お騒がせして申し訳ありません。城の衛兵さんにこちらの宿勧めて頂き訪ねたのですが、部屋は空いてますでしょうか?」
「なんだい、そうやってちゃんと話せるんなら、最初っから普通に入っておいでなよ」
「はは、それは他でもないこの子の為なんです。心を鬼にして試練を課しているのですよ」
まっ半分は嘘なんだけどね。残り半分は本当に嫌で押し付けていただけだ。
他人と話すのは苦手だし嫌だが、いざ話さなければならない状況に放り込まれれば、上辺の話くらは合わせられる。
伊達に10年以上も会社に勤めていたわけではないのだ。
「へー、まあ良いけどね。泊まるんならサッサと入りな」
「了解いたしました、サー!」
呆れて宿へと戻る女将さんに続いて、小森ちゃんを押して一緒に宿へと入る。
小森ちゃんいい加減起きてな、重くは無いんだけど、掴んでる肩がポッキリ逝きそうで怖いんだよ……。
宿に入って受付らしきカウンターまで進むと、幸いなことに小森ちゃんも気が付いた。
「…………このまま運んでくれると、楽でいいですね」
「ちゃんと自分で立とうな」
「なんでしたら、おんぶでも良いんですよ」
「なーあんたら、いつもそうなのかい?」
「ひぅ!?」
女将さんが話し始めると、途端に俺の背中に隠れる小森ちゃん。
なんだろなこの小動物は……。
「いつもというか、今日初めて会ったんですけどね」
「ほー、そりゃ懐かれたもんだね。よっ、この色男!」
「いやぁ、それは無いです。たぶんこの子、俺の事を同類だと思ったんじゃないですかね」
「アッハッハッハ、なるほどね~、確かにそんな感じだわ」
自分で言うのは良いけど、人に言われるとこうグサッと来るね。
この子とおなじかぁ……。まあ、俺のほうが倍以上も生きてて、入り口でのあの騒ぎだからな。
うん、これからはもっとしっかりしよう。
「それで、貸すのは2人部屋でいいのかい?」
「えーっと、1人部屋もありますか? ちなみにお値段のほうもお教え願います」
「1人部屋が銅貨30枚、2人部屋が銅貨40枚だね。1人当たり銅貨5枚で朝夕の食事も付けられるよ」
振り向いて「どうする?」と聞くと、僅かな沈思の後にこう答えが返ってきた。
「…………2人部屋、食事付き、二晩」
「良いのか?」
「はい…………あっ、えっちぃことは、まだ駄目ですからね」
「言われなくても分かってるから!」
言葉足らずの俺も悪いが、俺ってそんなにエロそうに見えんのか? …………ん、まだ?
いや、たぶん俺の聞き間違いだろう……下手につついて深みに嵌るのも嫌だし放置に限る。
問題の先送りも俺の得意技の一つだ。
「というわけで、2人部屋を食事付きで二晩お借りできますか?」
「あいよ! なら、銀貨1枚ね」
腰の革袋から銀貨を1枚取り出して支払い、カギを受け取って2人部屋へと向かった。
俺達が借りた2人部屋は、ベッドが二つ横に並んだだけの6畳間ほどの部屋であった。
俺はローブを脱いで剣帯を外し、ショートソードをベッドの端に立てかける。
対して、小森ちゃんはローブを着たままでベッドにダイブし、そのままゴロゴロし出した。
余程疲れていたのだろうと思うか、だらしないと思うかは、見る人次第だ。
ちなみに俺は羨ましく思った。誰も見て無かったら俺もそうしたのに、と。
これでも大人だから見栄もあるのだ。
身軽になってからベッドの端に腰を下ろし、小森ちゃんに話を切り出す。
「それで小森ちゃん、一緒の部屋にしたのは、情報共有とこれからの事を話し合おうって、そういう事だと考えてもいいかな?」
「えっ? …………あぁ、そうですそうです。でも……その……ちょっとだけ、休んでからにしませんか?」
「ああ、そうだね。まだ日も高いから、話は夕飯を食べてからにしようか、それまでは休憩ってことで」
「了解でーす。では、お休みなさい……」
小森ちゃんはそう答えると、すぐに眠りについてしまった。
やれやれ、きっと本当に疲れていたんだろうな。
俺も疲れたし、一眠りしようか……。
となりで現役JKが眠っているというのに、不思議とすんなり眠ることができた。
目覚めると、開いた木戸からは夕日が差し込んで来ていた。
眠ったのは2時間くらいだろうか、身体の節々が少し痛むが、身体の調子は悪くない。
そして目の前には、俺が目を覚ました原因が居た。
「起きてください、山城さん! たいへんなんです、ピンチなんです。うぅ、お~き~て~くださいよ~」
「う~ん、なんだ小森ちゃんか。むっ? そんな真っ青な顔して、いったいどうしたんだ!?」
「今、ととっ、トイレに、行ってきたんですが」
「なんだ、花子さんでも出たんか?」
「違います!」
「じゃあ、スライムでも出たのか? それはたぶんテンプレの奴だから心配無いぞ」
「それも違います! その…………かっかっ、紙が見当たらないのです。女将さんに言って出してもらってください!」
何を焦っているのかと思えば、そんな事か。
どうりで内股でぷるぷる震えているわけだ。
というかそんなピンチなら、それくらい自分で言ってくればいいのにな。
「残念だけど、トイレットペーパーなんてこの世界に無いと思うぞ、お城のお手洗いに置いてあったのも葉っぱだったしなー」
「そっ……そんなぁ…………うぅ、私はどうすれば……」
「ああ、一応少しなら分けてあげられるぞ? 1ロールだけ持ってきてるし」
「それは本当ですか!? あぁ、素晴らしいですぅ……やはり私の目に狂いは無かったですね」
さすがはチートアイテムだな。
ここまで喜ばれると複雑な気分なんだが。
もしかして、今までで一番喜ばれたんじゃないか?
てことは、俺の価値ってトイレットペーパー……まあ、今はピンチらしいから後にしよう。
「ちょっと待っててくれよ、今用意するから…………それにしても、今までこっちのトイレは使わなかったのか?」
「それが、私達も今朝呼ばれたばかりなんですよぅ」
「むむ、こっちの常識を教わったとか言ってなかったか?」
「そんなの、1時間くらいでちょろっと基本的な知識だけ聞いただけ、って、あっ……ヤバいです、ちょろっとなんか、出ちゃいそうです」
「うぉーーっ! もうちょい我慢しろよー! …………ほい、これだけ有れば足りるだろう!」
「あ、りがと、です。この、御恩は、かな、らず」
「良いからいってこい!」
そうして彼女を送り出し、一息つく俺であった。
そろそろスキルを出そうと思っていたのに、想像以上のヒロインのポンコツっぷりに話が進まない。
まあなんか書いてて楽しくなってきたので、このまま突っ走る所存。