第四話【学園からの脱出Ⅰ】
――誰だろう?
雨の音が外で響く中、唐突に寮の扉からノックの音が聞こえてくる。
幸村は退院したばかりのカイトに促され、扉へと近づく。
「……え?」
扉の前に立っていたのは、生徒会長である天月蓮だった。
雨に濡れていて、何やら表情が暗かった。
いつもの上から物を言っていた彼女だが、今目の前にいる彼女はまるで別人だ。
「すまない。部屋に上がっても良いか?北條幸村君」
どうして君付けか。そう思ったが、濡れた彼女を放っておく事は幸村はしなかった。
「とりあえず、どうぞ。それ以上濡れたら風邪引きますよ」
彼女は気力の無い笑顔を見せて、幸村の横を通って行った。
「……ありがとう」
幸村は後頭部を掻き、困ったように溜息を吐く。
「何か温かい飲み物でも持ってきますね」
幸村の言葉に、彼女はコクンと小さく頷く。
「誰が来たんだ?」
階段を下りながら、カイトがそう幸村に聞いてくる。
「……生徒会長」
「は?」
幸村の言葉を聞き、カイトはポカンとしている。
そんな馬鹿な、とでも思っているのだろう。
カイトは確認の為か、客間を覗きに……。
「……まじだった」
「嘘吐く理由ないじゃないか」
カイトはどうやら、蹴られた時の事を脳裏で思い浮かべたらしい。
コップを持ち、彼女の傍へと向かう。
「……どうぞ。熱いので気をつけて下さいね」
彼女はコップを両手で持ち、ゆっくりとホットココアを飲んでいる。
その様子を眺めてた幸村へ、カイトが耳打ちしてくる。
「おい、これはどういう状況だ?」
「僕に聞かないでくれる?」
「でもさ……」
内緒話のように、幸村とカイトは話す。
「とりあえず、生徒会長さん。お風呂にでも入ったら?」
二階からひょこっと顔を出して、カレンが言う。
「そうだね。生徒会長、身体が冷える前にどうぞ。カレン、案内頼んで良いかな?」
「良いけど……覗いちゃ駄目よ?」
「覗かないよ。カイトはともかく……」
幸村の言葉につられ、カレンと共にカイトを流し目で見る。
「何でだよ!お前ら、俺を何だと思ってるんだよ!」
「カイトは僕と違って、欲望には忠実だからねぇ」
「私も入るからって、覗かないでよ?」
「誰がお前のなんか見るか!――ブフッ」
カイトがそう言った瞬間、小さな悲鳴と共に声が聞こえなくなった。
「いつもの事なんで、気にしないで下さいね」
幸村はカレンに蹴られたカイトを放っておいて、話を進める事にした。
「君は友達と仲が良いのだな」
彼女はまた、力の無い笑顔でそう言った。
「カレン、そろそろ案内して。それぐらいにしてあげないと、カイトが泡吹いてる」
「……あ。あはは」
「こ、殺す気か……」
ピクピクと死にそうな魚のように、カイトが床へと突っ伏していた。
カレンは生徒会長と共に、浴室へと向かって行く。
数十分後で戻ってきた二人は、完全に寝間着姿となっていた。
生徒会長はカレンのを着ているのか、寝間着が大変な事になっている。
いつも制服で気づかなかったが、生徒会長は着やせするタイプなのだろう。
「ちょっと幸村?エッチな目で、生徒会長を見ないの!」
「あだっ、~~っ!」
カレンに目を突かれ、幸村は言葉にならない悲鳴を上げていた。
「し、失明するかと思った……」
「幸村、お前もちゃんと男で安心したぜ」
カイトに肩を叩かれ、親指を立てて二カッと歯を見せてきた。
「……一緒にしないで」
数分後、時計の音だけが響く室内。
一つのテーブルを囲み、生徒会長である彼女と対面する形で座っていた。
「えっと、一体何があったんですか?」
幸村が恐る恐る、彼女に聞いた。
彼女、天月蓮は溜息を吐く。
「私は生徒会長失格だ。こんな時間帯で、下級生の寮へと押し入ってしまうとはな。迷惑掛けてすまない」
「あ、えっと。それは気にしなくて良いですよ」
幸村は蓮の様子を伺いながら、そう言葉を選んだ。
「今までの蹴られたりするのは、迷惑行為じゃないのか?」
「ちょっと、空気読みなさいよ!」
隣でカレンとカイトが、小声で話す。
「僕が知りたいのは、あなたの心境ではないです。何があったのかを聞いてるんです」
「ちょっと幸村?そんな冷たく……」
幸村の言葉を聞き、カレンは慌てて口を挟んだ。
「いや、構わない。二ノ宮カレン君、君は優しいのだな」
「は、え?いえ、とんでもないです」
蓮の言葉を聞き、カレンは戸惑う。
「君の言う通り、何かあったのは正解だ」
蓮はココアを一口飲み、言葉を続ける。
「……科学者達が動き始めた」
「科学者?いつも私たちを検査してる、あの科学者たち、ですか?」
カレンの言葉に、蓮は頷く。
「科学者達は、私たちの能力を検査。または使いこなせる様に育成するのが学園の表向きな目的だ」
「表向き、ですか?」
幸村が、言葉を拾う。
それを頷き、蓮は自分の言葉を続ける。
「――それは建前だ。本当の目的は、能力を持つ者たちの細胞を使うのが目的だ。何に使うのかまでは、調べられなかったが……」
「ここの寮生は幸い、私たちだけ。他の寮生に、この事は?」
「まだだ。私も逃げていてね。思い当たるのは、君たちの寮しか思い浮かばなかった」
ザッザッザッザッザ。
雨音とは別に、カレンとカイトは足音を察知する。
その音は、迷いも無くこの寮へと近づくのがすぐに分かった。
「……カレン」
「分かってるわ。アンタは下がってなさいよ。怪我が治ったばかりなんだから」
「見くびって貰っちゃ困る。これでも医務室の中で、能力のコントロールを練習してたんだぜ?練習の成果、見せてやるよ」
「――やめておけ。君たちでは、科学者に勝てない」
カレンとカイトが入り口へ向かおうとした瞬間、蓮はそう言って二人を止める。
「僕たちはモルモットと言う事。なら、僕たちに対する対策も、何かあるのは間違いないと思うよ。迂闊に動くのは危険だ」
幸村は座りながら、そう呟く。
「だけどよ。このままじゃ」
「そうよ。もし生徒会長の言ってた事が本当なら、私たちは人体実験されるのよ」
「だとしても、だよ。生徒会長が逃げてきた、と言っていた。なら、生徒会長でも勝てなかったっていう事にならない?」
幸村の指摘で、カレンとカイトは蓮へ確認の視線を流す。
その視線に答えるように、蓮は無言で頷いた。
「マジですか。あの鬼の生徒会長が」
「それは困るわね。私はともかく、カイトと幸村は能力がまだ完全じゃないわ」
「彼らは銃も使う奴らだ。そして科学者側には、執行部の姿も見た。君たちでは、現状手も足も出ないだろう」
銃を使うのは、自衛隊のような者たちだろう。
だが幸村は、執行部が気になった。
「執行部って、何です?」
「私も最近知ったのだが、どうやら……科学者側に付いた能力者のようだ。力の制御も中々の者だったし、生半可な覚悟で挑めば確実に死ぬ」
「そうですか。とりあえずですけど、逃げません?」
幸村は指を下に指し示し、その場の全員に促した。
……寮、地下坑道。
「まさかこの地下を使う日が来るなんて」
「そうだね。僕も想定してなかったよ」
歩を進めながら、幸村とカイトが話す。
その後ろをカレンと蓮が着いて行く。
「ていうか、何で寮の地下にこんな道があるのよ」
「いやぁ、僕とカイトで作った抜け道っていうか、秘密の遊び場みたいな場所だったんだけどね」
「あ、馬鹿っ!」
幸村がそう言った瞬間、慌ててカイトは幸村の口を塞ぐ。
だが、遅かったようだ。
「ほう?私が無断で遊ぶなと注意をしているのにも関わらず、あまつさえこんな場所まで作っていたとな」
「生徒会長……ここで能力は使わないで下さいよ?」
ニヤニヤと笑顔を作る蓮に対して、カレンが足を止めて言い聞かす。
「それもそうだな」と言いながら、蓮は発動しかけていた能力を抑える事にした。
「どうやら落ち着いたみたいですね」
幸村が背中を向けたまま、そう言った。
そしてそのまま、言葉を続ける。
「……最初見た時は、どうしたんだろうと思ってましたが。僕が考えてる程、あなたは堕ちてはいないようです。安心しました」
「……なっ。わ、私だって悩む時はあるんだ。私だって人間だ!そのくらいは……」
幸村の言葉に動揺したのか、あたふたと蓮は言い返す。
その様子を口を塞いで、カレンとカイトは笑いを堪えていた。
「さて……この後の事ですけど、どうしましょうか」
幸村が地面に座りながら、改めて会話を始める。
「この地下坑道は、僕とカイトが作ったと言いましたが、実は細かい所が違うんです。元々この学園の地下には、炭鉱の為の道があり、それを僕とカイトが手を加えた道に過ぎません」
幸村の言葉をカイトが続ける。
「っていう事はだ。俺たちがこの道を使って、外へ逃げようとしてるのは科学者側も予想しているかもしれないって事だな?」
「そう、そういう事」
「じゃあどうするの?戻るの?」
「私と君なら、戻っても多少は時間を稼げるが……足音を出していた者たちがどういう力を持っているのか、それすら私たちは分かっていないのだ。迂闊な行動は避けた方が良いだろう」
戻ると提案したカレンだったが、蓮の意見は最もだった。
地下坑道が繋がっている道は三つある。
一つは中等部校舎、二つ目は、幸村たちが暮らす寮。そしてもう一つは……。
「第三体育館?それって」
「私たち高等部が使う、訓練用の体育館だな。だがここは」
蓮とカレンは、顔を見合わせる。
「だがここは、人体実験が行われている場所だ。科学者がいる事を考えた方がいい」
「……人体、実験……」
蓮の言葉に、カイトは唾を飲み込む。
「とにかく、ここにいても情報が足りません。その第三体育館を制圧出来れば、何か分かるかもしれません」
「正気か?一歩間違えば、命を落とすぞ。それでも行くのか?」
幸村の考えを確かめる為、蓮は幸村を睨んだ。
「正気です。戦う考えではなく、逃げる考えで行きましょう」
幸村の表情を見て、蓮は頷く。
それに促されるように、カイトとカレンも頷いていた。
「じゃあ向かおう。第三体育館に」
だが幸村たちは気づいていなかった。
この選択が悲劇を招き、地獄を味わう事をまだ知らない。