霧の魔女の断罪と英雄
バラード王国の城下町の広場に首吊り縄が用意された。高い壇上へ伸びる階段は一歩踏み出すだけで咎人の心を凍てつかせる。
だけど、彼は違った。
金の髪に青い目が基本なこの国で唯一よく澄んだ井戸水のように美しい青色の髪に、琥珀のような綺麗な目を持つ彼はみすぼらしい咎人の服をまとっていても美しく、気品高い。
「ルドルフ・ランバルド。」
「はい」
ルドルフと呼ばれた男は手を後に繋がれたままに名を読み上げる貴族の足元に跪く。
「貴様の罪状は王族に対する謀反を企てたことだ。とても許されるものではない」
「はい、理解しております」
ルドルフはそんな貴族の侮蔑すらも受け入れて目を閉じる。もうすぐ人生が終わる。この短くも長かった十七年の人生が。
「…謝罪もないのか、罪人め」
「ございません」
だがルドルフは目を背けることはしなかった。美しく、睫毛に縁取られた琥珀の目が貴族の男を見上げその目は細められる。
まるで、微笑んでいるかのように。
王族に対して謀反を起こしたことを罪だと告げられ、ルドルフは納得している。してはいけなかった事だと理解していた。
だが、それでもする必要があったのだ。愛するこの国のために。愛する人々のために。
ルドルフは微笑む。どこまでも優しい笑みで。
「…この者を刑台へ」
「はっ」
刑執行人に腕を無理やり引っ張り挙げられ縄のかかった場所へ連れてかれる。足元には踏み台となる木の椅子が置かれており、宛ら人生に飽いて自殺する者達のようだとルドルフは思う。
それでも計は続けられ、美しいルドルフの白い首に縄がかけられた。
まだなんの問題のない縄。それは首に回っているだけだ。だがひとたび足元の椅子を倒されれば紐は引き、首が締まり、無様で不格好な死体が出来上がるだろう。
それでもルドルフは微笑んだ。確固たる死を前にして、優しく子供に微笑むかのように。
「…なぜそんなに微笑むんだ」
「死に際に泣くとか、後悔とか浮かべても意味無いだろう?なら笑ってやるさ。この国も王も私とともに死んでいく人々のことだけを私は憂いて死んでいく。」
ルドルフは刑執行人の問いかけにも笑みを浮かべたまま答える。刑執行人は顔を歪めた。彼は王や国を軽んずる発言をしたルドルフを咎めることなく「そうか」とだけ述べ、また遠い空に目をやる。
「申し訳ないとは思っている」
不意にルドルフが口を開く。刑執行人はルドルフに目を向けることはしなかった。ただ空を睨みつけるように目に力を入れた。
「助けきれず、申し訳ないと。…王でも貴族にでもなく…」
その先に続く言葉を刑執行人は聞くことは出来なかった。「死刑、執行!」そう声を張り上げ伝えられた命令にただ、従がおうと手を椅子に伸ばす。
だが、その手は予想外に空を切る。ルドルフが自ら椅子を、蹴飛ばしたのだ。
かたんと椅子が倒れルドルフの首に括られた縄がギシギシと悲鳴をあげ始め、ルドルフも苦しげに顔を歪め始める。
刑執行人は唖然とその様子を見る。そして軈てそのこわごわとした目から涙を流すのだ。死にゆく──自分たちの英雄たらんとした存在を見送る餞として。
「ぐ、う」
「ル、ドルフ様」
死の音がする。終わりの音がして、夢も希望も消えていく。
───ブチッ
そんな、予感がした時。ルドルフの首にかけられた縄が切られる。そしてあたりに霧が立ち込めた。
《 問おう。 罪人を裁くものよ。 問おう、罪人を見送るものよ。 》
女の声が当たりに響いた。深い霧の中王族や貴族達がガヤガヤと話し出す中でも、その声はよく響いた。
《 なにが、正義か。 なにが、罪なのか。 》
刑執行人もその声に混乱したがまず探したのはルドルフの存在だった。この混乱に乗じて逃がすことは出来ないかとルドルフを探してその傷だらけの手が辺りをさまよう。まるで目をなくしたもののように。跪くと、歩けぬ赤子のように当たりを探し、そしてやがて人の手を握ることに成功する。
ほっと息をつく彼の目の前には確かにルドルフがいた。気絶をしているのか倒れ込んでいる彼。そしてその彼を大事そうに愛おしそうに抱きしめる妙齢の女性がいたのだ。美しい青い髪は波打ち、美しい琥珀の目が細められている。だがその声は強張り怒りを顕にしていた。
「あな、たは」
刑執行人の言葉に彼女は答えることは無かった。ただ、柔らかなルドルフの髪を撫で付け、首についてしまった縄のあとを悲しげに見つめる。
《 子を、奪われるのを助けるのが罪か。 食に困った者達に仕事を与えるのは罪か。 》
白い霧に幻影が映し出される。沢山の人たちの幻影が。そう、周りが理解した理由は分かりきっていた。
どれも、既に死んだ者達だったのだ。
戦争や、無益な殺生で帰らぬ人となり、会えなくなってしまった人達だった。
《 子を守らんとして何が悪い。 自由を与えようとして何が偽善か。 何が罪か。 》
刑執行人は涙を流す。目の前に嘗て自分の手によって処刑することとなった娘が微笑んでいる。幸せそうに、嬉しそうに。今にも彼に抱きつき、その小さな体で好意を伝えようとばかりに。
《 王族と言うのなら。 王らしく導けばよかったものを。 出来ぬのなら、出来るものにやらせれば良かったものを。 》
だが、その幻影すらも消えてしまう。色んな場所から悲鳴が上がり、懇願の声がする。
「テル…テルにあわせて!あわせてよおおお!」
「ぼうや、ぼうやぁ」
「フィオナ!消えないでくれ…」
刑執行人も思わず声を荒らげる「ルミナ…お前は幸せだったか。」その問いかけに消えゆく少女は答えない。ただ優しげで嬉しげな笑を浮かべたまま掻き消えていく。
すすり泣く声がした。処刑台の下に集められた人々たちから。王族たちからの声がかけられる、落ち着くようにと。
だがその声に対して彼らが抱くのは怒りだった。
身勝手な王族と貴族に対しての。
《 問おう。 愛しきものを失った者達。 汝たちにとっての罪とは何か 》
《 問おう。 無情な権力者たち、愛しきものを守らんとするその意思は罪なのか。 》
《 答えよ、愚かなる者達。 お前達の本心を。 》
何か魔力でもこもっているのかその声を聞いた者達は口々に言葉をこぼしていく。それは王族も貴族もなく。
「当たり前だろう。仇なすものが悪い」そう貴族のものが言った。
「娘は恋人と別れ貴族の愛人となるために連れてかれた…無理やり別れさせられ壊された娘は…結局貴族に殺された!」と子をなくした母親が泣き叫ぶ。
「王族は、何よりも敬うべきものだ」と王は告げた。
「王族たちは私たちから子を取り上げた! 戦争の為だと、土地を増やすためだと言って! でも結局土地を手にしても潤ったのはアンタらの財布だけだろ! 俺達の息子は帰ってこなかった!」と戦争に駆り出された息子の父は怒鳴りつける。
そして刑執行人も口を開く。
「娘も、貴族に慰め者になることを拒んで刑に処された。それも…私の手によって…貴族は何もしてくれない、王族は何もしてくれない! 私の手が汚れていくのに! 罪のない者達の命が私に背負わされていくのに! 彼らは私の娘も奪った!」
愛しかったルミナ。大切だったルミナ。可愛らしく、もう少しで成人だったのにと刑執行人は涙を流す。
王族や貴族達は喋らないように口を自分の手で抑え出すも、その愚かな口からは本音という真実が告げられる。
「貴族の愛人となれることが何よりも誉れだろうに!」
「戦争をせねば人は増えすぎる増えすぎては統治することも困難になっていくのだ!」
「拒むことこそ罪! 平民の身でありながら貴族たる私に異を唱えるなどと───」
こぼれる言葉は全てを答える。彼女の前では嘘もなにもなくなるのだ。彼女は再び口を開く。
《 答えよ。 汝らにとっての罪とは何か汝らにとっての咎人は誰か 》
「私たちのことなんて虫けらと同じに見ている王が憎い…」
「坊やを返して、返してええ」
「性処理のために私たちがいるんじゃないわ! 最低!」
「俺の娘を返せ!」
「俺達の金を返せ!」
「俺達の、幸せを…かえせ!」
怒鳴り込むその声に王族と貴族は口ごもる。顔が見えていない。それだけで、容易く本音が飛び出してくる。胸にしまっていた思い。願っていた思い。いずれ来るはずだった幸せたち。
《 その、答えを──》
「だめだ。…ベルダンディー」
不意に女の声が途絶える。それは女に撫でられていたルドルフの声によって閉ざされた。
「泣かないで」
女の目からポロポロとこぼれる涙を拭いルドルフは立ち上がる。刑執行人はいつから彼女が泣いていたのか理解出来なかった。だが、その頬には何度も涙を流したあとが薄らと目視でき、熱くなっていた心が冷えていく。
そんな彼にルドルフは困ったように微笑んだ。
そしてルドルフは口を開く。
「初め、俺がこの国はとても幸せな国だと思っていたよ」
「たくさんの笑顔があって、たくさんの人があって、お腹いっぱい食べられて。だけど、それは一部だけだった」
霧が少しずつ薄くなっていく。真っ白だった世界が着々と色を取り戻していく。
「少し目を向ければ。 そこには死体があった。 飢えて死んでしまった子供の死体さ。 その子のお兄ちゃんはね、ずっと泣いてた。 ごめんねごめんねって」
色が戻る世界に浮かぶ青い二つの存在はよく目立った。混乱の渦の中で唯一のんびりと優しく語りかけるようなその言葉を発する存在に全員が目を向けた。
「僕がもっとご飯分けてればよかった。 君の分も食べてごめんね。 死なせてごめんね。 ごめんね。 彼はずっと言っていたよ。目の前に俺がいることも気付かず動かなくなった弟を抱いてね。」
それはひどく悲しい光景だ。目をそれしたくなるような、そんな胸が悲鳴をあげるような光景。それでも、彼は続ける。
「俺に気づくとナイフを向けてきたよ。震えることのない手で。そりゃそうだよね、俺の服はほかの人からしたら豪華で、俺は彼からしたらよく肥た存在だ。自分が弟が餓えていたとき、俺は知らずに食事をとっていたろうね」
「そしたら一気に恥ずかしくなった。自分を着飾った服も、自分が食べてきた食事も、自分が今まで持っていた幸せの国っていう幻想も───蓋を開けたらこの国はどこまでも腐っていた」
霧が完全に晴れれば彼の姿が良く見えた。青い髪を風になびかせ、琥珀の目に憂いを浮かべ、首の赤いあとが痛々しい少年とも言える彼はまだ続けた。
「奴隷商人が付け狙い、間引きと称してボードゲームのように行われる戦争。売られていく子供たち捕まりいなくなる子供たち。 俺はこのままだとダメだと思ったよ、このままだと俺もみんなもダメだって思ったよ」
民衆の目がルドルフに向けられる。期待や希望の満ちた目が向けられる。
「このままだと子供を産むのが怖くなる。いつ取られるかわからないわが子を生んでしまうのが忍びなくなる。そしたら人はどんどん減っていくね、そしたら作物を育てる人もいなくなって、狩りをする人だっていなくなって。軈て国は滅ぶよ。」
だから、彼はたったのだ。だから彼は微笑み嘆いた。けれど、出来ずにこうしてこの処刑台へと押しやられたのだ。
「みんなで考えるよ。ベルダンディー」
《 … 》
「どうすれば安心できるか、昔自分が思ってたような幸せな国にどうやれば出来るか、だから」
《 …ルドルフ 》
「俺達から選択することを奪わないで、まだ、裁かないで」
ルドルフの言葉に彼女は微笑んだ。そしてその姿が薄れていく。霧のように薄れ、その場から彼女は消えていった。
唖然とその場にいた者達は彼と彼女を見ていた。同じ色をした二人を、そして軈て民衆は武器を手にする。ルドルフも処刑台から飛び降り武器を手にする。
刑執行人もその役を脱ぎ捨てて、武器を手にして───ここから始まった。一度は失敗した謀反が…革命が。ルドルフが選ぶことを彼女に願ったことによって。
後に人々は語る。罪を犯すと霧の魔女が裁きに来ると。霧の魔女は英雄を愛していて、英雄のようになれば霧の魔女は女神になってくれるのだと。
その女神の名は─────。
これにて終了です。
お試し作品になっています。気が乗ればルドルフ視点を書くかも知れません。