38 とある侯爵の呟き その4
38 とある侯爵の呟き その4
テオドールの友人と言うベイツ殿の言葉に驚いて固まっていると、スフェーン伯爵がベイツ殿に問い質していた。
「ご子息とご友人だなんて、どういう事だ、ベイツ」
「いやあ、ルークを訪ねて来たんだ。そのご子息に色々と話を聞いてね。だから今日はここへ来てみた。あの人にちょっと文句でも言おうと思って」
テオドール、一体何を話したんだい。
スフェーン伯爵は呆れたように、ベイツ殿を軽く睨んだ。
「馬鹿なことを言うものじゃない。まったく、お前は……。グリーンウェル伯を尊敬していたくせに、その言い草はなんだ」
「尊敬はしてる。あの才能にはね。けど、他はつまんねぇ。くだらない当主になんか納まってから、どうでもいい事に振り回されて……。学生時代、講師としてのあの人は凄かった。俺のくだらない発想を真に受けて理論形成できる人なのに。なのに何で当主なんだ。跡目を継ぐのは誰でも良かっただろ。だから板挟みになって苦しんでんだ」
スフェーン伯爵が注意するが、ベイツ殿は不満を吐き出した。相当、グリーンウェル伯爵の才能に惚れ込んでいたようだ。
そんな拗ねた様子のベイツ殿に、スフェーン伯爵が叱りつけた。
「ベイツ! いい加減にしなさい。いや、すみませんゴルドバーグ卿。こいつは研究馬鹿でして。今の発言は忘れてください」
「ええ、もちろんです。ベイツ殿も、息子から何を聞いたのか知りませんが、忘れて頂きたい」
この様子では、変な方向に飛び火しそうだ。それは御免被りたい。
「そちらはよろしいんですか? あの人は全くわかっていませんよ。はっきり言わないとわからない人です」
「だからこそです。この事は、私共の問題です。それとも息子から頼まれましたか?」
「いいえ、ご子息は何も。今後の交流を頑張るとしか」
そうだろう。
愚痴として零したのかもしれないが、テオドールなら他人を頼るような事はしない。
ましてや、今日知り合った人物に頼む事は、決してない。
「でしたら、余計な事は慎んで頂けると有り難いです」
ベイツ殿を見据える。もし、グリーンウェル伯がテオドールの破談を聞いてしまったら、きっと気に病んでしまう。
ただでさえ、誤解を生むのが得意な人だ。話すのであれば、場所ぐらい選んで貰いたい。
「……申し訳ありません。気を回しすぎました。確かに余所者が口を出していい話じゃなかった。許してください」
頭が冷えたのか、ベイツ殿が謝罪する。
「息子を思ってくださっている事には感謝しています。――どうしてそこまでとも思ってしまいますが……」
「違いますよ、ゴルドバーグ卿。こいつは単に、グリーンウェル伯に執着しているだけなのです。あの方のやる事なす事が気にくわないだけの子供なのです。何の話か私は知りませんが、こいつはただ、ご子息の事を理由にしたいだけです。あの方と話をしたいがためのね。どうかお許しください」
と、スフェーン伯爵が口を挟んだ。
「兄貴……」
「本当のことだろう」
スフェーン伯爵に睨まれ、ベイツ殿がバツが悪そうに目をそらす。
なるほど。思わず苦笑が漏れた。
「でしたら、なおさら息子を理由にはしないで頂きたいですね。お願いします、ベイツ殿」
「誓って。申し訳ありませんでした、ゴルドバーグ卿」
ベイツ殿が真面目に謝罪してくれた。
◇
周囲が騒ついた。グリーンウェル伯爵が近付いて来たからだろう。
良かった、会う事が出来た。向こうから来てくれて、本当にありがたい。
グリーンウェル伯爵は、細面の神経質そうな印象を持つ人だ。確かに四角四面で真面目な分、融通がつきにくい人だが、責任感が強く、任された仕事には真摯に向き合う人でもある。他人に理解されにくい、損をする事が多い人だけれど、真っ直ぐな人である事に違いはない。信頼の置ける人物だ。
なのに、ベイツ殿の顔が顰められている。
「お久しぶりです、グリーンウェル伯爵。お元気そうで何よりです」
お互いに手を差し出して、固く握手した。
「……お久しぶりです、ゴルドバーグ侯爵。相変わらずですな」
本当に相変わらずだ。固い声で言うグリーンウェル伯に思わず苦笑してしまう。
おそらく、噂の事で謝罪したいけれど、どう言えばいいのか逡巡してるのだろう。いつも自身の言い方が悪く受け取られてしまう事に悩んでいたから。本当に可愛いらしい性格をしている。
しっかりと握手だけして、次にグリーンウェル伯爵はスフェーン伯爵と挨拶を交わした。
この人はあまり人前で話をさせない方が良い。今は周囲に仲が悪くないという事だけを示せれば良いのだ。
「なんでいっつも偉そうなんだ、この人は」
ぼそりと呟くベイツ殿は、拗ねた子供のようで、何処か微笑ましい。
「……君も相変わらずのようだな」
グリーンウェル伯がベイツ殿に視線を向ける。瞳の奥には親しみが見えるのだが、いかんせん、細められた目は何故か睨みつけているように見えてしまう。
「どうも。ええ、相変わらずですよ」
約束通りベイツ殿は握手を交わすだけで、テオドールの話はしないでくれた。
ベイツ殿も、グリーンウェル伯爵に話をさせない方が良いとわかっているのかもしれない。
◇
「ゴルドバーグ侯爵、今、宜しいでしょうか」
グリーンウェル伯爵がスフェーン伯爵を伴って離れた後、若い、まだ二十歳にもなっていない青年が声を掛けてきた。
「君は確か、アンバー子爵の……」
「はい。ザカライア・アンバーと申します。ミュリエルの兄です。この度は、申し訳ありませんでした」
ザカライア殿が頭を下げる。
ああ、この子が。素直そうな良い子のようだ。グリーンウェル伯爵の事を誤解しないで見て欲しいと、切に願う。
「貴方が謝罪する必要はありませんよ。私共が無理を申し上げたせいなのですから。今日は子爵殿は……?」
「来ております。ですが、お顔を合わせ辛くもあり、私がご挨拶させて頂こうと思い、まかり越しました。ゴルドバーグ卿、私の事でご子息にご迷惑をおかけしました事、本当に申し訳ありません」
そうして再び頭を下げる。
「頭を上げてください。今回の事は誰も悪くありませんよ。貴方が気に病む必要はありません」
「そう言って頂いて、感謝致します。私も父も、ただの噂だとわかっております。ですが、それをわかろうとしない者達がいることも否めません」
「口さがない者は何処にでもいますからね。私も息子も貴方のお立場はわかっているつもりです。どうかお気になさらないよう」
「ありがとうございます。ゴルドバーグ卿、――三年、待って頂けますでしょうか。ミュリエルが魔術開放式を迎えるまでには、必ず魔法省で実績を出すつもりです。私が揺るがなければ、ご子息と妹が結ばれた事で何か揶揄されても撥ね除ける事ができるでしょう。どうか、ミュリエルを見限る事はやめて頂けないでしょうか」
意を決した表情で、ザカライア殿が私を見据える。
有り難い。
「ザカライア殿。見限るも何も、私共はミュリエル嬢をそんな風に思っておりませんよ」
「ありがとうございます。……昨日からミュリエルは泣き続けていて、食事も取らない程です。抗議しているのでしょうね。父は口も利いて貰えない状態です」
「それは……ミュリエル嬢は大丈夫なのですか? 子爵殿も……」
「大丈夫です。さすがに今日は食べさせましたし、父も説得を続けております」
「そうですか。――ザカライア殿、ミュリエル嬢にご伝言をお願いしてもよろしいですか」
「ええ、もちろんです」
「息子は――テオドールは諦めておりません。お父上に納得して頂ける為に頑張っています。ですから、ミュリエル嬢も元気な姿で再会できるよう、きちんと食事を取るように。お父上と仲良くされて、待っていてくださいと、お伝えください」
「ありがとうございます。必ず伝えます」
謝罪を何度も口にして、ザカライア殿が去って行った。
◇
夜も更けていくに従い、宴もたけなわになってくる。久しぶりのセリーナとのダンスが終わり、私は一息ついていた。セリーナのダンスに感化されたのか、ホール中央では入れ替わり立ち代り踊る人達で溢れていた。
ご婦人達がセリーナを取り巻き、先程のダンスを褒めそやす。中には皮肉や嫉妬もあるが、概ね好評のようだ。社交界に再び受け入れられたとみて良いだろう。
良かった。セリーナも目的を果たせたようだ。
これからだ。これからしっかりと挽回していく。
私達も、テオドールに負けていられない。
セリーナはご婦人達の誘いを受け、会話に花を咲かせている。
ふと見ると、入り口付近の壁際で佇むベイツ殿を見かけたので、また話しかけてみた。
「ベイツ殿。踊らないのですか」
「いやあ、俺――私は、苦手なもので。……先程は申し訳ありませんでした。どうも私はあの人を前にすると、感情的になるようで」
と、ポツリと零した。
「息子と友人になったそうですが、経緯を詳しく聞いても?」
「そんな大層な話じゃあ、ないんですが……」
と、話してくれる。
店に来た事。グリーンウェル伯のご子息と友人になり、ベイツ殿とも誼を結んだことなど。
「――そうだ、ゴルドバーグ卿。ご子息に、俺の事は何も仰ってないんですよね。もちろん、場所も」
「ええ。子供に話せる内容ではないでしょう」
それだけ、重要な事をこの人物は担っている。
軽々しく言えるものでもない。
「そうか……そうですよね……。だったら、何故、結界警備装置が作動してなかったんだ……?」
何だって?
「――あれ?」
「何か」
ベイツが指差す先に、少女がいた。ライラック公爵令嬢だ。部屋着姿でこっそりこちらを伺っている。
「どうしました、カトリーナ嬢。このような所にいてはいけませんよ」
大人の社交界は、まだ七歳の令嬢には早すぎる。
彼女の後ろには侍女が深々と頭を下げていた。
どうやら、見学したいと我儘を言ったようだ。神童と呼ばれてはいるが、この辺りは普通の女の子のようだ。
「す、すみません、ゴルドバーグ卿。少し、見ておきたかったもので。はしたない真似をしました」
「カトリーナ、こんな所で何をしている。もう寝る時間だろう。早く寝なさい」
カトリーナ嬢に気付いたライラック公爵が、やって来た。
カトリーナ嬢は、公爵に慌てて謝る。
「はい、お父様」
「ゴルドバーグ卿、ベイツ殿、娘が失礼した」
「――ベイツ?」
公爵の発した言葉に、カトリーナ嬢が反応し、怪訝な顔をする。
「はい、カトリーナ嬢。初めまして、ベイツ・スフェーンと申します」
ベイツ殿が挨拶した。
「ベイツ・スフェーン……。あの、魔導具の暴発とか、刃物とか、その、身辺にお気をつけください。特に、お店では」
その一言で、私達の顔が強張った。
「カトリーナ……それは、どういう事かな」
公爵が訊ねる。
「えっと、あの、申し訳ありません。何となく思っただけですので、他意はございません。失礼します!」
そう言って、部屋に戻ろうとして、振り返る。
「あの、ゴルドバーグ卿。奥様とのダンス、素敵でした」
「あ、ああ、ありがとうございます」
そうして、侍女に連れられて、カトリーナ嬢は行ってしまった。
「ライラック公爵……今のは……? お嬢様は一体……?」
声が震えているのが自分でもわかる。
何故、初対面なのに、ベイツ殿が魔導具を扱っている事がわかったんだ。それに、身辺の心配をするなんて、彼が王から密命を受けて研究していたのを知っていたのか。ましてやお店などと……。
「ここでは話せない。部屋を用意する。行こう」
青ざめている公爵の先導で、私達は場所を移した。
「聖女の再来……まさか、嘘だろう? 本当に本当だったとは……」
身震いしながら、ベイツ殿が呟いた。
同感だ。
まさか、聖女伝説が本当の事だったなんて。
読んでくださってありがとうございます。
ブクマありがとうございます。
評価ありがとうございます。




