37 とある侯爵の呟き その3
37 とある侯爵の呟き その3
ライラック公爵の招待を受け、夜会と向かう。
馬車の中で、セリーナが手を握りしめているので、そっと包んだ。
「君のせいじゃない。私が目測を誤っただけだ。まだあと一年、フレドリック殿下の魔術解放式まで、猶予があると思い込んでいた。君が気にする事じゃない」
「いいえ。私は務めを怠っていましたわ。テオドールに助けられ、ウェンディと一緒にいる事で癒されていただけで、あの子達に何もしてあげられておりませんでした。今度は、私がテオドールを助ける番です。そうでなければ、あの子が可哀想です」
セリーナが思い詰めたように、唇を引き結ぶ。
確かにセリーナは、四年前の詐欺事件から社交界を遠ざかっていた。詐欺師を信頼し、頼りにしたせいで、私達に迷惑を掛けたと思い、しばらく塞ぎ込んでいたからだ。その後、懐妊して、ウェンディを産んでからは育児に専念していた。子供達と一緒に過ごしたお陰で、セリーナは穏やかな時間の中でゆっくりと心を癒していた。
それが間違っていたとは思わないのに、また自身のせいだと責めている。
「あの子は我儘を言わない、素直で優しい良い子です。そんな子がただ静かに泣いているなんて、誰も責めずに受け入れるなんて、それでいいはずありません。それに、さっきのあの子の顔をご覧になりまして? 昨日、あんな事があったにも関わらず、私達に笑顔を見せて……。ミュリエル嬢はあの子が初めて見せた我儘です。叶えてあげたいのです。私は母親なのですから」
ああ、責めていたんじゃない。強くなったのか。
か細く、頼りなかった部分が抜けて、元々あった芯が強くなった。
母親というのはすごいね。
「そうだね。あんな悲しい顔をさせてしまったのは、私だ。できる限りの事をするよ。助けられてばかりじゃ、親失格だからね。あの子達を守るよ」
「ええ」
◇
ライラック公爵邸へ到着し、夫妻と挨拶を交わす。
今夜はライラック公爵主催の夜会だ。公爵の夜会は招待客も多く、目的の人物が来る可能性が高い。多くの人々が入り乱れる中、探し歩いていると、後ろから声が掛かった。
「ゴルドバーグ侯爵、お久しぶりです。ご夫婦揃ってとはお珍しい」
声を掛けて来たのは、スフェーン伯爵だった。夫人も隣にいる。
スフェーン伯爵は、王都魔導研究所の所長だ。三十代前半の、思慮深い学者肌の人で、どこかおっとりとしていて親しみやすい雰囲気のある人だった。夫人の方もおっとりしていて、似た者夫婦とはよく言ったものだ。
「これはスフェーン伯爵。お久しぶりです。最近はお見かけしておらず、研究所の方がお忙しいとお聞きしておりましたが、ご健勝の様子で何よりです」
「はは、忙しいのは卿も同じでしょう。それに私には今の状況は天国でしてね。研究の甲斐があるってものです。本当にありがたい」
「本当ですわ。もうこの人ったら、研究の事ばかりなんですのよ。たまには帰って来てくださらないと、娘に忘れられてしまいますわ。少しはゴルドバーグ卿を見習って頂きたいものですわ。本当に仲が良ろしいのですもの。ねぇ、セリーナ様」
にこにこ笑いながら夫人が言うので、セリーナが付き合ってあげている。
「グレース様もスフェーン伯と仲が良ろしいでしょう。そんな事仰っていらしても、愛されていらっしゃる事は私達にもわかりますわ」
「まぁ、ですが、時々私の事を忘れているんじゃないかと思ってしまうくらいなんですのよ。夢中になったら他には目もくれないのだから。困ったものですわ」
「そんなことはないだろう? 私が愛しているのは、君だけだよ」
「いいえ、私は誤魔化されたり致しませんわよ」
「ふふっ、では私がお話をお聞き致しましょうか。私も久しぶりの夜会ですので、聞いて頂きたい事が山ほどございますの」
「おやおや、私達のいないところで内密の話かい? 恐ろしいね」
「ええ、そうなんですのよ。ですから殿方は来ないでくださいませね」
そう微笑んで、セリーナはスフェーン伯爵夫人を連れて、離れて行った。
私と伯爵は苦笑して見送った。
「スフェーン伯、こちらこそ、こちらの都合を了承して頂いた上、陛下にも進言して頂いた時の事は忘れておりません」
聖女のティアラを返納した時、王都魔導具研究所が後押ししてくれたお陰で、返納自体は滞りなくできた。真っ先に賛同してくれたスフェーン伯には感謝しかない。
「いえいえ、私共は研究機会を作ってくださった卿に、感謝しています。魔法省もそのはずなのですが……」
当時、長官になったばかりのグリーンウェル伯にも聖杖を返納するよう圧力があった。
聖杖を賜った事を誇りに思っていたグリーンウェル家当主の立場と、研究させて欲しいという宮廷魔法省の声の高まりを認めたい長官としての立場で、苦しんでいたと聞いている。
そのせいか、ばったり出会ってしまった時に、「貴方には五家の誇りというものがないらしい」と、つい口をついて出てしまったのだろう。すぐに謝罪をして貰ったが、周りにいた者達から色々広がってしまった。口さがない者達は何処にでもいるものだ。
――本当に、儘ならない。
「仕方がない事です。それは皆様わかっていらっしゃる。ただ、私達はするべき事をするだけですよ」
「そうですね。その通りです」
お互いに苦い笑みを浮かべていると、男性が近付いて来た。
「――兄貴、ようやく見つけた。もう、探したぜ」
二十代後半の、飄々とした雰囲気を持つ男性だ。どことなく、スフェーン伯爵に似ている。
「ベイツ、ゴルドバーグ卿の前だ、控えなさい。騒がしくて申し訳ない、ゴルドバーグ卿。弟のベイツです」
「ゴルドバーグ卿!?」
ベイツと呼ばれた男性は、私をまじまじと見つめて破顔した。そして両手で握手される。
「いやあ、初めまして、ゴルドバーグ卿! お噂は兼ね兼ね。本当に感謝しています。俺――いや、私はベイツ・スフェーンと申します。チャーリー・スフェーンの弟です」
ああ、例の研究をしている責任者の名前が確か、ベイツ・スフェーンだった。そうか、この男性が研究しているのか。
「オーウェン・ゴルドバーグです。こちらこそよろしく」
「そして、ご子息テオドール殿の友人です。どうぞよろしく」
……え? 今、何て……?
「テオドールの友人?」
「はい、今日、私の店に来てくれたんですよ。いやあ、楽しいお子さんですよね。ルーク……ええと、グリーンウェル伯のご子息と一緒にドーナツ食べてましたよ」
「グリーンウェル伯爵のご子息と」
「はい。仲良く話していました」
……テオドール。
君は、どうしてたった一日で、私より早く成果を出すんだい?
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