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32−暗い気持ちのままで

クリスマスー冬の一番華やいだイベント。この日をどうやって心に残る素晴らしい一日にするか、それが恋人たちの一番の関心ごとに違いない。プレゼントはその象徴だ。


麻衣子はハルに何を贈るべきか悩んでいた。ゴルフは共通の趣味。やっぱりゴルフに関する物にしたい。思いついたのはキャディバッグだった。

確か3年ほど使っているといっていた。扱いが乱暴なのでちょっと崩れてきた感もあり、そろそろ替え時かなとつぶやいていたのを覚えている。


麻衣子は幾つかのショップを回り、悩んだ結果ひとつのバッグに絞った。

クリスマスイブの前の日から、泊りがけでゴルフにいくことになっている。

多分午前中に仕事を切り上げて、昼過ぎに出発するはずだ。

そのときにバッグを取りにくればいい。


どんな顔をするだろう?ハルは喜ぶだろうか、いや絶対に喜ぶ。

無邪気な笑顔を思い浮かべると、胸の底がぎゅっと絞られる感覚がした。

麻衣子の顔も自然とほころんだ。


あと1週間もすればクリスマス。カレンダーに目をやりながら、夫にはなんて言おうと

思っていた。カオリと2人で前日から宿泊でラウンドするからという言葉を

何度も反芻しながら、明日には切り出そうと決心していた。


ふと気がつくとテーブルの上に置かれた携帯が点滅している。開くと伝言が1件入っていた。


「この伝言聞いたら、折り返し電話くれる?」ハルからだった。


時間を見ると10分もたっていない。麻衣子ははやる気持ちで番号を押した。


「マイ?ごめんな。実はクリスマスの一泊ゴルフいけなくなった。仕事が押してて

休めそうもないんだ。本当にごめん」


麻衣子は言葉に詰まった。急に回りの空気の温度が下がって冷たく感じた。


「もしもし?マイ?聞いてる?」


「・・・うん、仕事だったらしょうがないね。会うことだけでもできないの?

その日が無理だったらその前後で」


「ちょっと難しいかな。それでさ、多分年末は早く休めるから、泊まりは無理だけど、29日、ゴルフに行こう」


「29日は大丈夫なの?」


「うん、それはなんとかするよ」


「わかった。残念だけどしょうがないね。クリスマスプレゼント、買ったんだけど、

渡す時間もないよね」


「プレゼント?何?」


「キャディバッグ」


「おお〜どんなやつ?」


「気に入るかなぁ?どうしよう?大きいし、自宅に送ろうか?」


「うん、住所後でメールで連絡するから、自宅に送って。あっ、送り主はオレにしておいてよ」


「わかった」


電話を切るとため息がこぼれた。

大したことない、仕事だもん、しょうがない、と聞き分けの良い言葉で答えたものの、

なんで仕事なんだと理不尽なグチがでそうだった。

せっかく楽しみにしていたのにと遠足を前にして病気になった子供のように泣きたくなった。


キャディバッグだって、それを手にしたときのハルの喜ぶ顔が見たいのに、送ってしまったら

その大事な一瞬だって見ることができない。送り主は自分にしてと言われたことも麻衣子の

神経に棘を刺した。それくらい自分だってわきまえている、麻衣子の名前を送り主に

するわけないではないか、念を押すようにああやって口に出されると、麻衣子は少なからず傷つけられた気分になった。


次の日、麻衣子は久しぶりにサークルの掲示板を覗いた。


ラウンドのお誘いというトピックスに目をやる。トピをたてたのはミエというナースの

女性だった。数人のやりとりがあったが2名しか集まっていなかった。ミエは誰かいませんか〜?と書いた後、「ハルさん、今度一緒に回ろうと約束したじゃないですかっ!一緒に行きましょうよ」と付け加えていた。


それに対してハルが答えていた。「今、仕事が忙しいんですけど、しょうがないなぁ。

じゃあ、参加します!」


麻衣子は自分の目を疑った。一瞬、自分の見間違いではないだろうかと思った。

だがハンドルネールはハルと確かに書かれている。


ラウンド予定日は3日後だった。クリスマスイブではないが、麻衣子には忙しくて

会うことすらできないと言っていたのに、他の人とゴルフには行けるのか、それも

どうして自分を誘うことすらしないんだ。


麻衣子は考えていくほど、心の底にあった小さな怒りが形になってくるのを感じた。

あんまりじゃない、と声にすら出てしまった。


ハルの携帯を鳴らした。麻衣子が電話をかけることはほとんどない。緊急の用事だと分かるはず、そう思ったとおり、ハルはすぐに応えた。


「あのさ、掲示板見たんだけど」


「えっ?掲示板って」


「ミエさんがラウンド予定たてたじゃない。ハル行くの?」


「うん、携帯にもかかってきてさ、誘われたら断れなくて。ゴルフバカだから」


と苦笑気味な返答だった。


「それ、ひどくないっ!?」


「えっ?何が?」


「だって仕事が忙しくて私には会えないって言ってて、他の人とゴルフに行くなんてひどいよ。クリスマスだって仕事でキャンセルになったんだよ。ゴルフに行けるなら、私と会ってくれたっていいじゃない。」


麻衣子は自分の感情を止めることができなかった。声が上ずっているのを自分でも感じていた。感情が高ぶっているせいだ、冷静になれと、頭のどこかで見据える自分もいる。

でもだめだった。いくつものの憤りがひとつの塊になってあふれ出ようとしていた。

ハルは黙り込んだ。


「ゴルフ行きたいなら、私といってくれればいいじゃない。どうしてなの?」


ハルの沈黙は続いた。麻衣子は電話を握り締めたまま答えを待った。顔が見えない分、ハルがどんな表情をしているか分からず、その数十秒か数分に過ぎない沈黙の間、麻衣子はふと、自分はまた取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと不安に襲われた。

電話の向こうは深い暗闇で誰もいないのではないかと馬鹿な考えが思い浮かんだら

声が聞こえた。


「分かったよ。ゴルフには行かないよ」


きっぱりとハルは答えた。平坦な口調だった。


「誰か別のヤツに頼むよ。それでいいだろう。じゃあ、まだ仕事があるから」


麻衣子は何と答えるべきか逡巡した。だが麻衣子の言葉を待たずに一方的に電話は切られてしまった。


麻衣子は携帯を手にしたまま、しばらく呆けたようにたたずんでいた。


中途半端な幕切れ、一方的な終わり方、悪かったねとかゴメンねとかそんな言葉があれば

麻衣子だって、いいのよ、と物分り良く応じることができただろう。なのにこの終わり方は

なんだろう?手を振りかざしたものの、行き場がなくった手をもてあますかのように、

麻衣子の心はすっきりと晴れなかった。


ハルはゴルフ好きだから、本当は他意もなく、ただゴルフがしたくて応じただけだったのかもしれないのに、頭から怒りをぶつけたのは、間違いだったのかもしれない。

さっきまでの怒りはとっくに静まっていた。かわりに麻衣子の心には状況を何とか好転させたいというあせりが出てきた。


麻衣子はしばらくしてからメールを送った。


「さっきは怒ってゴメンね。ゴルフ行きたかったら行っていいよ」


返事には「もう他の人に代打で参加するよう頼んだから」と一言だけだった。


麻衣子は良かったと思う反面、何かに打ちのめされたようにも感じていた。

自分は正当なことを伝えたはずだ。何も間違ったことを言ってはいない。なのに

ハルの反応は、麻衣子の予想を裏切っていた。


ハルが謝って、麻衣子が許す、そのシナリオ通りには進まず、麻衣子がハルを責めただけで

後ろめたい気持ちにさせられてしまった。


やっぱり会わなくてはだめだ、麻衣子はつぶやいた。

メールや電話では心が通じない。29日に会えるから、そのとき、2人で楽しく過ごして

お互いの気持ちを取り戻そう。


その年の12月は寒く、東京でも初雪を観測していた。ラウンドの1週間前から麻衣子は

毎日、天気予報のチェックをしていた。

曇りマーク、雨マーク、雪マーク、一日ごとに予報は変わる。そのたびごとに心は一喜一憂するかのごとく上がったり下がったりした。


冬の雨はかなりきつい。雪は問題外。とにかくせめて曇りで一日持って欲しい。

麻衣子は祈るような気持ちで過ごしていた。


当日、朝起きると、空はまだ暗くしんしんと冷え込んでいた。

ベッドから抜け出してテレビをつける。窓の外は真っ暗でまだ夜のしじまに包まれている。

天気予報は雪の予想をしていた。少し風も出ているようで窓の外の木の枝が揺れている。


舌打ちしたい気持ちだったが、麻衣子は出かける支度をはじめた。

まだ雪は降っていない。とにかくゴルフ場まで行けば、その後中止になったとしても

ハルに会える、それだけでもいい。会うこと、それが1番の目的だった。


その時、携帯のバイブが鳴った。ハルだった。ドアで遮られているとはいえ、夫は眠っている時間。人目をはばかるように声をひそめて話した。


「なんか雪みだいだよ」


「ゴルフ場クローズするのかなぁ」


「わからないけど、積もるかもしれないし、やめよう」


「・・・・そうね」


「オレ、これから寝るから。じゃあ」


それで会話は終わりだった。会いたいからこっちにこいよ、とか会いたいからどこかまで行くよ、とか心の底でそんな言葉が返ってくるのを期待していた。


今日会わなかったら、次に会えるのは来年になってしまう。前に会った時から2週間は経っていた。麻衣子はこみ上げてくるものを感じた。


同じ気持ちではないんだ。


急に鉛を飲み込んだような重たさが締め付けた。


ベッドに戻っても眠れるはずもなく、麻衣子はじっと身を横たえたまま携帯を握り締めていた。もしかしたら会いたいというメールが入るかもしれない。そんなかすかな希望など

打ち消すように携帯は沈黙したままだった。


「残念、逢いたかったのになぁ」と涙マークをつけたメールを送った。


ハルからの返信はなかなかこなかった。


天気は予報どおり雪となった。積もるほどではないが、都内の道路にも木々にもうっすらと

白っぽいもので化粧され、都会には珍しい風景となった。


重たい気分で何もやる気がせず、ぼんやりと過ごしていた麻衣子の元にハルから

メールがきたのは夕方だった。


「こっちは雪が積もってるよ。今日は家にいて正解」


と笑顔のマークがついたメールが入った。


その画面をじっと見た。その裏には何か気持ちがあるだろうか?いや、そんな短い

言葉には何も感じるものなどかけらすらなかった。


逢いたい、逢いたい、逢いたい、でも気持ちは届かない。


麻衣子は目をつぶった。別に何か失ったわけでもない。

天気のせいだからしょうがないじゃない。不可抗力というやつなんだから。


でもよりにも寄って、今日雪がふらなくてもいいじゃないと誰にもぶつけられない憤り。

麻衣子の心はどんよりとした鈍色の空の色のように、晴れ晴れとしなかった。

そしてその気持ちを引きずったまま、新しい年を迎えようとしていた。

































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