30−脆い不倫関係
その後、カオリは毎日のように麻衣子に電話をかけたり、会ってとくとくと渡辺の話を繰り返した。
しばらくカオリが静観しようと連絡を経つと、渡辺が逆にカオリを追いかけてきた。
メールや電話を何度もかけてきてカオリを説得するようだった。
妻にはばれてないから、大丈夫だから、というのが渡辺のセリフだった。
カオリ自身、追われている状況にまんざらでもない様子だった。
「ばかにしている、私のことをなめてるのかな」と批判する言葉を口にしても、その口調が
少し上ずって、顔が紅潮していることに麻衣子は気づいていた。
しかしロープの上を綱渡りしているような危なっかしい状況で、2人が連絡を取り合うことがさらなる展開を呼び込んだ。
「昨日、奥さんから電話があったの」
「ええっ!?で、なんて?」
「2度と夫に会わないでくれって。スクールもやめてくれって言われた」
「渡辺さんと付き合ってることを認めたの?」
「認めるわけないじゃない!最初にどんな付き合いをされてるんでかって聞かれたから
ただのコーチと生徒ですって言ったの。でもそんなはずないでしょうっとしつこく言うのね。
こっちも相手が何か握っていていってるのかどうか分からないし、ここでごめんなさいなんて謝ると、責めてきそうだったから、逆に何を勘違いされてるのか分かりませんが
それは誤解ですって言い切った」
「奥さんは信じたのかな?」
「さぁ〜ねちねちと言うの。彼、どうも携帯を奥さんに見られたらしい」
「え〜奥さん、そんなことするんだ。渡辺さんもカオリのメールとか消してなかったの?」
「消してるはずなんだけどなぁ。私も不思議なのよ。いくら私の名前があったとしても
コーチと生徒だから問題ないし。なんで私だと分かったのかなぁ」
「渡辺さんはどう言ってるの?彼は奥さんをコントロールできなかったのかな?」
「どうだか、まったくアイツときたら、頼りなさすぎる。奥さんに頭が上がらないんだろうな。その電話の後、話しようと思ったけど、今度はアイツが逃げててつかまらないの。
レッスンの時につかまえて話そうと思ったけど、私を避けてた」
「カオリ、もう係わり合いにならないほうがいいよ。カオリだって自分の家庭にもし何か
あったら困るでしょう?この間もばれたら終わりだって言ってたじゃない。潮時だと思う
もう会わないほうがいいよ」
「・・・・・」
カオリは黙り込んだ。
「麻衣子は自分が幸せだから、人のことを簡単に言うのね」
予想もしない言葉が返ってきた。
「ハルさんとラブラブで仲良いモンね。余裕があるから、そうやって上から目線で言うんでしょ」
「そんな・・・カオリのことば心配だからそう思っただけだよ。ハルのことは関係ない」
「そういうけど、もし麻衣子がハルさんと別れなければいけない状況になって、はい、分かりましたって即、割り切ることができるの?」
麻衣子は返す言葉を失った。
ハルと別れるーそれは今の麻衣子にとっては考えられない、考えると恐ろしくなる気がして
そのことは頭のどこかにあっても見ないようにしてる事柄だった。
だがいつかは別れる、いつだか分からないけど、不倫の関係には終わりがある。
カオリだってそれは理解しているはずなのに、土壇場になるとじたばたしてしまい、心が納得しないのだろうか。
2人はお互いにうつむいたままテーブルをはさんで黙りこくってしまった。
隣のテーブルにいた若い母親らしき女性がベビーカーにのせた子供がぐずっているのを
あやしている。麻衣子が何気にそちらを見ると、カオリもじっと見ていた。
麻衣子もカオリも子供がいれば、こうやって子供の世話に追われながら、夫以外の男性に
想いを寄せる時間も余裕もなかっただろう。
当たり前のように子供ができると思っていたのに、二人とも恵まれず、心のどこかにある空洞が何かをいつも渇望していた。本当は渡辺だってハルだって、誰であろうと、そんな先のない
不倫恋愛などしていても満たされるはずはないのだ。
不倫でなくなれば、この関係を進展させれば・・・でもハルはどうだろう?
愛してると口では言うものの、そこにどれだけの程度の愛があるのだろう?
「カオリが渡辺さんとのことをきっぱり割り切ることができない気持ちも分かるよ。
でも奥さんの攻撃も怖い。奥さんがどんな人か分からないけれど、もしカオリのだんなさんに
知れ渡ることになったらカオリだって困るでしょう?」
「それは困るけど・・・とにかく一度あいつを捕まえて話をしてみるわ」
その話はそこで終わりだった。第三者である麻衣子がこれ以上突っ込む状況でもなかった。
それにカオリのイライラした様子や麻衣子に突っかかるような言動にも閉口していた。
「そういえば、この間の飲み会で麻衣子はすぐ帰ったじゃない?
あの後2次会行ったんだけど」
カオリはそこで言葉をくくると麻衣子を直視した。口元が少し上がっている。揶揄するような目つきが麻衣子にいやな予感を与えた。
「ハルさん、ずいぶん飲んでたわよ」
「そうなんだ。カプセルホテルに泊まったって言ってた」
「ふ〜ん。とにかくべろんべろんに酔っ払って、女の子に絡んでたわよ」
「えっ?そうなの?そんなに酒癖悪かったかなぁ」
「ほら、若い子がいるじゃない。ミエちゃんとかいうナースの子。あの子にべたべた。
向こうも調子よく合わせてたよ。ちゃんと捕まえてないと取られちゃうかも。
ハルさんってゴルフうまいし、ちょっとやんちゃで、話もおもしろいし、絶対に
もてるタイプだと思う」
笑いながらタバコの煙を勢いよく吐き出す。完全にあしらうような態度だ。
ますます麻衣子は気が滅入るのを感じた。どうしてカオリはこんなに人の気持ちを逆なですることばかり言うのだろう、と同時に麻衣子の中で小さな不安が広がった。
ハルとは週に2度は顔を合わせている。会わないときはメールがくる。でも1度返信したら
それで終わり。夜に電話をしたりメールを交わしたりはなくなった。
「多分酔っぱらってただけだと思うけどね。まぁ、気にしなくてもいいかな」
とってつけたようなカオリの言葉は何一つ慰めにもならない。表面は気にしていない振りをしながら、麻衣子の心の中にはさざ波が立っていた。