29−カオリの不倫がばれる
翌朝、連絡はついたもののハルは明らかに不機嫌だった。
「あれだけマサと一緒に帰るなといったのに、なんでだよ。アイツに何かされなかったか?
オレはいやなんだよ。何もなくても一緒に帰るだけでも」
「私だっていやだったけど、むりやりタクシーに乗ってくるんだもの。でも乗ったら
酔っ払ってたらしくてほとんど寝てたよ」
本当は麻衣子をしつこくゴルフに誘ったのだが、それは伏せといた。
「それよりハルはどうしたの?昨日は家に帰らなかったの?」
「ああ、あれからカラオケいって、その後はよく覚えてないけど、どこかでまた飲んで、最後は1人でカプセルホテルに泊まった」
「誰が一緒だったの?」
数人の名前を挙げた。その中にはカオリの名前もあった。
「カオリもいったんだ。帰るとき一緒に帰ろうかと探したんだけど、見当たらなかった」
「かなり酔ってたみたいだった。あれは危ないなぁ」
「何が?」
「いや・・・・・」ハルは言葉を濁した。
「とにかくマサには気をつけろよ。アイツはマイのことが好きなんだからなっ」
断言するように言い放つと一方的に電話は切られた。
これもハルの嫉妬からくるもので単純な思い込みに過ぎないのだろうけど、それにしても
麻衣子にしたって理不尽に責められるので気持ち良いものではない。
だからといって麻衣子が反論するとハルはそれを反抗と捉えて余計に話しを複雑化しそうだった。麻衣子の理屈づけの意見のひとつひとつに対して、ハルは諭すか、攻撃するか、
言いくるめるか、あらゆる手法で麻衣子を屈服させようとする。
しまいには「オレの言うことを黙ってきいていればいいんだ」と声を荒げることもあった。
そうすると麻衣子は萎縮して何も言えなくなる。今まで近くに感じていたハルが、突然
見知らぬ人のように思える。自分が知ってるハルではないようだ、いや、
本当はハルのことなど、何も知らないのではないかという考えに行き着く。
本名、会社名、住んでるところ、兄弟の有無、出身校、ゴルフと釣りとお酒が好き、
それらは知っているけれど、彼の家族のことは一切知らない。
ハルの口から出たこともない。休日どう過ごしているのか、子供の名前はなんていうのか、
子供と何をして遊ぶのか?父兄参観や運動会には行くのか?家族旅行はどこへいくのか?
妻とはどんな会話をするのか?
麻衣子が知っているのはほんの片側のハル、もう一方の生活に密着したハルを知らない。
最初の頃は自分のことを思いやって家族のことには触れないのだろうと思った。
それもあるだろうが、ハルは家族を顧みない、家族をないがしろにしその上にあぐらをかいた
とんでもないワガママな男ではないのだろうか?
麻衣子の前にも付き合った女性がいる。どうしてそうなったのか聞くと、
「子供を生むと女って母親になるんだよな。セックスできなくなるんだよ。ありきたりだけど
拒否されてから、よそに目がいったということかな」と答えた。
麻衣子と似たような状況で、よくある話だが、皆が皆、だからといって浮気に走ることはあるまい。麻衣子と同様、ハルもお互いの家族を裏切りながら、理由付けして自分を正当化している気がした。
だが麻衣子はそれでも今だけだとしても、自分を向いてくれているハルが好きなのだ。
この感情にどうやってもウソはつけない。
そしてこの関係ができるだけ長く続くことを望んでいる。
時折、麻衣子はハルと一緒になったらどうなるのだろう、と夢想さえした。
ハルのために酒の肴を作り、ハルの服を洗濯し、一緒にゴルフにいったり、お酒を飲む。
少なくとも自分とちゃんと向き合って話をしてくれる気がする。
ケンカしても、ぶつかり合っても、無言の壁で背中を向ける夫よりは100倍も
人間らしい関係だと思う。
カオリはそんな麻衣子を一笑に付した。
「ばかだなぁ。何考えてるの。家族あっての恋愛でしょう。ハルさんだって家庭を壊すつもりなんかないよ。楽しくやらなきゃ。あんまり重くなると男はいやになるよ」
頭で理解していても心のどこかに空虚さを感じて寂しくなる。この寂しくなるという感情がハルを好きだという気持ちの表れに違いない。
カオリにどう自分の気持ちを伝えたら分かってくれるだろうと思い巡らしていると
突然予想もしない話を始めた。
カオリの恋人である渡辺の妻にカオリの存在を知られたというのだ。
「なんでばれてしまったの?」
「2人でいるところを、娘に見られてしまったようなの。娘は中学生で、私が彼を送っていく途中、車の中で2人でいるところを見られたみたい」
「車に2人でいるだけで疑うの?」
「いつも警戒して家から離れたところで彼をおろすんだけど、そのときキスしちゃったのよね」
「ええ!?」
「油断してた。娘は具合悪くて学校を早退して家に戻る途中だったのよ。
娘が彼に攻撃的な態度を取るから、叱ったら、お父さんは好きなことをしてるくせにって逆切れされたらしいの」
「奥さんにも知られたんだ」
「うん、それで家の中は大荒れらしい」
「カオリの方は大丈夫なの?」
「とりあえずね・・・私の方には何も言って来ない。多分浮気だといって奥さんを丸めこもうとしてるんじゃないかな?だから連絡は控えてる。もしかしたらこれっきりかも。家庭を壊す気なんてないんだもの、ばれたら終わりだよ・・・・」
「そうだね。ばれたら終わりだよね」
麻衣子はつぶやきながら自分にも当てはまることだと思っていた。
カオリは渡辺と会えないことを悲観しているのか、それとも自分の家庭が脅かされることを
心配しているのか、所在なさげにしている。せかせかとタバコに火をつけては、数回すっただけですぐ消してしまう。そんな動作を繰り返していた。
「これからどうするの?」
「分からない。でも私だって彼のためにずいぶん尽くしてきたよ。お金のこと言いたくないけど、彼のためにかなり使った。本当なら奥さんに言ってやりたいくらい。でも法律で守られた妻は強いから、私が悪者になるのよね。あぁ〜なんだかばかばかしい。このまま黙って別れてあげるのもくやしい」
本気で腹を立てているようだった。その言葉の中に、渡辺の妻に対してすまない気持ちも
彼の家族に与えたであろう苦しみにも何の感情も抱いていないようだ。
「カオリ、でもこれを機にすっぱり別れたほうがいいよ。いつかは別れる付き合いだったんだし」
このまますんなりカオリが別れを受け入れておけば、そのまま渡辺と2度と会わず、きっぱりと別れていれば・・・・・
物事に「たられば」はないけれど、麻衣子は後々、そのことを痛切に感じるのだった。