25−暗い予感
朝から雲の動きが早かった。あっという間に薄暗くなってきたかと思うと
ぽつぽつと降り出した雨は、足を早め本格的な降りとなってきた。
喫茶店を出たところで、麻衣子とハルは途方にくれたように立ちすくんだ。
お互いの顔を見合わせる。ハルは顔を崩して微笑みかけると「走ろう」と麻衣子の手をとった。
駐車場まではほんの数分。ハルと麻衣子は手をつないだまま、飛び跳ねるように駆けた。
時折、小さな水溜りからしぶきがあがる。
片手を頭にかざして少しでも髪がぬれないように、でももう一方の手はハルとしっかり繋がれたまま。
温かな体温の伝わり、引っ張るように走るハル、必死で付いていきながら麻衣子の心は踊った。
車のドアを開けて、車内にすべりこんだ。二人とも息が少し上がっている。
麻衣子はバッグから小さなタオルハンカチを取り出して濡れたハルの顔や頭を拭いた。
「結構、降ってるね〜ハル、ほら、拭かないと」
「オレはいいよ、マイ、オレが拭いてやるよ」
そう言うと、ハルは麻衣子の髪や腕やあちこちを拭いていった。
顔を拭こうとしてじっと見つめ、クスっと笑うと、麻衣子に軽くキスをしてきた。
「ぬれねずみみたいで可愛い」
クスクス含み笑いをしながら、麻衣子の頬やおでこにキスをしてくる。
そしてじっと目を合わせると、ゆっくりと顔を近づけて、唇に長いキスをした。
雨音がガラスを叩いている。雨粒はガラスを流れ落ちて、幾つもの筋が後から後からつくられていく。遠くに道を行きかう人々が煙ったようにぼんやりと揺れていた。
二人はむさぼるようにお互いにキスを交わし、合間に見つめ合って、小さく微笑んだ。
ハルは麻衣子の手を握ったまま、その手をいとおしそうになでる。
そのまま手に唇をつけると、「愛してるよ」とつぶやいた。
外の社会から遮断された車の中。静かで二人だけの空間。通い合う気持ち。
麻衣子は幸福で満たされた気分で一杯だった。
その時、静寂を破るように麻衣子の携帯の着信音が鳴った。
見ると新規メールありと書いてある。それは大学時代の男友達からのメールだった。
「明後日、予定どおり大丈夫?」
年に1,2度会う同級生、同じような職種についたので情報交換や仕事の話を相談したりする仲で男女の関係もなくずっと付き合ってきた。数日前に「昼メシでも食べよう」と誘われて
久々に会う約束をしていた。
「誰?」
「うん、友達」
ハルは少し黙ると視線を麻衣子からはずし、いきなり切り出した。
「明日もこの調子だと雨だな。明日のゴルフ、明後日に変更しないか?」
「えっ!?」
「雨のゴルフはいやだろう?」
「・・・でもハル、急に休みを変えて大丈夫なの?」
「うん、オレは大丈夫」強く言った。
「・・・・」麻衣子は少しの間、逡巡した。ためらうように「でも明後日、友達と約束があるんだけど」と言った。
その言葉を聞いたはずなのに、ハルはそのことには触れずに、麻衣子に視線を戻すと、
「明後日にしよう」と決め付けるように言い放った。
これほどハルが強く自分の意見を押し通すのも珍しいことだった。有無を言わせない強引さが見える。
「わかった・・・友達に変更してくれるよう言うよ」
麻衣子は携帯を開くとすばやくメールを打った。「都合悪くなったので、また別の日にしてね」
折り返しすぐメールが返ってきた。「了解!じゃあ、また連絡するね」
その間ハルの視線はずっと麻衣子に注がれていた。何も悪いことをしてるわけではない、
そう自分に言い聞かせても、じっと見つめる視線が強すぎて麻衣子は落ち着かなかった。
携帯を閉じて「大丈夫。明後日にしよう」とハルに答えたものの、麻衣子はすっきりとしない気持ちだった。ハルを目の前にして、こんなメールを打つこともいやだったし、
ウソをついて友達との約束を果たさないこともいやだった。
それにもっと腑に落ちないのは、今までにないハルの強引さだった。
仕事をそれほど自由に休むことなどできないはずなのに、どうしたというんだろう。
少々の雨のゴルフなんて大したことでもない。
先ほどの幸福な気持ちが一瞬で冷たく萎んでいく。
ハルの横顔に浮かぶ強く引き締まった口元には微笑みはなかった。
明後日、楽しいゴルフが一転して、麻衣子を突き落とす事態が起きるとは
このときは想像もしなかった。