21−ダブルデート
梅雨明け宣言して本格的な夏が始ると、東京ではいきなり連日真夏日が続いていた。
だが東京から200kmほど離れた高原のゴルフ場では、都会のうだるような暑さはどこにもない。日なたにいると、さすがに夏の日差しを感じるが、日陰に身を置くと、
照り返すような暑さがすっと抜けて、風が渡るとほてった体を冷やしてくれる。
各ホールを高い樹木でセパレートされたコースの景観は素晴らしく、
麻衣子は時々携帯のカメラで写真を撮りながら、「きれいだなぁ」とつぶやいていた。
ティーグランドではハルとカオリの恋人である渡辺というプロが話しをしている。
クラブを持ち上げたり、軽くスイングするハルを見ながら、渡辺はアドバイスでもしているのだろうか?
ハルはニコニコしながら、年上である渡辺に丁寧な応対で接している。
渡辺もハルのそういった態度を好ましく感じているようだ。
愛想もよく、適当にユーモアがあり、明るい印象。
調子良いという薄っぺらさはなく、自分の意見をはっきり述べるので、
意思の強さがところどころ感じられる。
麻衣子は不意に自分の身内や仲の良い友人にも紹介してみたくなる。
実際にそんなことは不可能にしても、ハルだったら誰もが受け入れて好感をもってくれそうな
そんな期待を持ってしまう。
もしかして、妊娠が事実となっていれば、そんな状況もあっただろう。
だが現実とはならなかった。
多分ハルの言葉で安心したのだろう。その安堵が麻衣子のリズムを戻したのか
数日後、麻衣子は妊娠していない確証を知った。
その時の気持ちをどう表現したらいいのか、一言では表せないほどの複雑な心境だった。
良かったという安心感がまず最初に起こったが、その気持ちの裏に落胆する感情があるのを知って、愕然とした。
麻衣子は思った。もしかすると自分は心のどこかでハルの子供を生むことを
期待していたのではないだろうか?夫との間に子供が望めない。子供が欲しいという
気持ちはどこかに押し込まれていたが、それがこの一件で形を現した気がした。
安堵感の裏にひそんでいた自分の欲望にうすら恐ろしい思いもする。
何故なら、もし妊娠していたらどんな荒波が待っているか想像を絶する。
それに立ち向かう勇気があるのだろうか?一時の気の迷いではないだろうか?
でもハルともっと強く結びつきたいという感情が歴然とあった。
それほどハルは麻衣子の心の大半を占めるようになってしまったのだ。
「麻衣子、どうしたの?ぼんやりとして」
カオリが伺うように話しかけてきた。
「なんでもない。こっちは涼しくて最高だね」
「ホントホント、東京じゃあ考えられないね。でも良かったぁ。お天気が良くて。
せっかくの旅行だから、これで天気が悪いと最悪だもんね」
「そうだね。渡辺さんもよく承諾したね。前に奥さんの締め付けがすごいって言ってたじゃない。いけるかどうか心配してたんだ。私もカオリと一緒でないとやっぱり家を出にくいし」
「うん。初めてなんだ。今回はプロの仲間とラウンドレッスンの仕事が入ったと
ウソついたみたい。二人だったらむずかしかったかもしれないけど、ハルさんがいるし
男性が一緒だと万が一のとき助かる」
「カオリ、なんかすごくうれしそう」
「そりゃそうだよ。お泊りなんて5年の間で初めてだもん」
「そっか・・・・」
「麻衣子はさ、ハルさんと映画いったり、飲みにいったり、普通の恋人みたく
付き合ってるじゃない?私たちとは違う。うらやましいよ」
カオリの声が低くなった。
渡辺もハルも二人がそんな会話をしてるなど、想像もしていないだろう。
渡辺が勢いよくショットを放った。
「ナイスショット!」
「さすがプロだねぇ〜球筋が違うよ」
「そうだね〜そこに惚れたってのもあるかな」カオリは機嫌を直したように笑った。
渡辺は一度も会社勤めなどしたことがないらしい。
狭いゴルフの世界だけで生き、テレビに出られるほどの成績はだせず
長い間レッスンプロという職業に甘んじながら、試合に出て、わずかな望みを託す。
人に教える立場にいるからか、話しもよどみなく、流暢な言葉使いで相手をひきつける。
だが時折みせる暗い表情が彼の屈託を表している気がしていた。
前夜、食事をしたときに、彼は一度も財布を手にしなかった。
席をたつと当たり前のように、カオリが伝票を手にし支払いを済ました。
その間、渡辺は憤然と立っているだけで、顔には何の表情もなかった。
麻衣子の回りには、彼のようなうさんくささや卑屈さをうまく隠しながら世渡りをしている器用さを持ち合わせたタイプはいなかった。
だがゴルフをしているときの彼はやはりそれなりに一目を引くし魅力もある。
少し崩れた感のある危うい男性というのは、女心をひきつけるひとつでもあるかもしれない。
食事の後に酒を飲んだとき、それぞれ現実の生活からかけ離れて身をおいている状況と旅にでた開放感から、かなり酔いが回るのが早かった。
カオリは赤い顔をして渡辺に寄りかかるように身を寄せていた。
時折、髪をかきあげる動作をしながら、流し目で渡辺を見る。不自然なぐらいに甲高い声は甘さを含んでいて、その目には欲情の炎がチラチラ燃えている。
カオリの女の部分を見ると、何故か自分の方が恥ずかしくなる。
渡辺が酔った勢いか、二人のなれそめをおもしろがって話した中に「こいつはオレを誘惑してきたんですよ。気がついたらベッドにいて上に乗っかてました」の言葉に、麻衣子は苦笑いをしたものの思わず下を向いてしまった。
カオリは酔って気分が高揚し、鈍感になっていたのか「いや〜ね〜」と語尾を上げる甘える声をあげた。その手は渡辺の腿の上に置かれたままだった。
麻衣子は男女の湿った濃密な関係を明らさまに見せ付けられたようでたじろいだ。
渡辺のカオリをなめているような態度にも、渡辺に甘えながら媚を売るカオリにも
少しばかりの嫌悪感を抱いた。
でもそれは一瞬だった。横を見るとハルはただ笑っていた。
その屈託のなさをみると救われた気持ちになる。麻衣子は今ハルと一緒だという現実だけを
見つめていこうと思った。