20−まさかの不安
「来月、夏休みとって1泊のゴルフ旅行でも行きたいな。それぐらいは行けるんだろう?」
コーヒーを飲みながらハルが言った。
「うん、前泊とかは大丈夫。そういえばカオリが一緒に2対2で行かないかって言ってた。
カオリの彼はプロだから、ハルも一緒にゴルフしてみたくない?」
「へぇ〜それはいいな。話、進めといてよ」
「うん、聞いとく」
もうすぐ梅雨明けだとテレビでは伝えていた。だが今日はもう真夏の日差しが
アスファルトをじりじり照りつけている。ポロシャツからはみでた引き締まった
ハルの腕はゴルフや車の運転でもうすでに日焼けしている。
そのたくましい腕を組みなおして、ハルはまっすぐと麻衣子を見つめた。
「もし1年、付き合いが続いたら、記念に成田から飛行機にのってどこか行こうか?」
ちょっと映画でも観ようかと言った風にさりげない話し方だった。
麻衣子の驚いた顔を見ると、うれしそうに「どこの国に行きたい?」と聞いてくる。
調子を合わせて、「ハワイかなぁ?ゴルフもショッピングもできるし」とはしゃぐように答えると、
ハルはまじめな顔で答えた。
「本気だよ。絶対に二人でどこかに行こう」
好きな男と二人きりで海外旅行、夢の話だ。
「ステキだね」
「どうした?なんだか言うほどうれしそうじゃない顔してる」
「そんなことないよ。そうできたら良いけどね・・・」
「うん、そりゃ、マイの方の事情もあるだろうから、オレが一方的には決められないけど。
でも二人で行きたいんだ」
ハルの家の事情はどうなんだと聞いてみたかったが、麻衣子は言葉を飲み込んだ。
それを聞くと、封じ込めているハルの家族への罪悪感が顔をもたげる気がする。
聞かないこと、見ないこと、それが麻衣子を現実から逃避させている。
「約束しよなっ」
こうやってハルは自分の気持ちをまっすぐにぶつけてくる。
最初の戸惑いはどこへいったのか、ハルの気持ちがこうやって言葉で表されると
麻衣子はゾクゾクと快感すら覚えてくる。
1年後、どうなっているだろう・・・・と思いを巡らせていると、ここ数日、
麻衣子を不安にさせている事柄が暗い雲のように心の中で広がった。
「あのね、実はね」
そう言いかけるとハルは麻衣子に視線を戻した。
「アレがまだこないんだ」
一瞬、ハルの表情が止まった。
「どのくらいこないんだ?」
「今のところ2週間だけど・・・・」
「それじゃ、まだ分からないだろう?」
「でも私って今まで正確な方で遅れたことなんてほとんどない。こんなことなかったから
・・・・・」
後の言葉が続かなくて麻衣子はうつむいた。
「もう少し待ってみて、心配だったら病院にいくしかないだろうな」
「うん・・・・でもどうしよう。もし、もし・・・・」肝心の言葉が出てこない。麻衣子はその言葉を口にすることが怖かった。そしてハルの反応を見るのも。
「もし、できてたら」とハルが言った。静かな声だった。
「生みたいんだろう?」
麻衣子は顔を上げて思わず見返した。
「マイは子供いないもんな。欲しいだろう」
その言葉の意味をどうとらえたらいいのだろう?生みたいといって生めるという
そんな簡単な理屈でいいはずがない。ハルは言葉を続けた。
「生みたかったら生めよ。今みたいな余裕のある生活はできないし、貧乏な暮らしに
なるだろうけど」
「どういう意味?」
「オレはマイのことを幸せにしたいという気持ちがある。生活面では金銭的に苦しくなるし、
今みたいに遊んだりはできなくなるけど、マイに覚悟があれば、その気持ちを尊重するし、
できるだけのことはする」
それは麻衣子が子供を欲したら、ハルは認めてくれるということだ。
そしてその責任を一緒に負うという意味ではないか。
麻衣子は呆けた様にぽかんとしていた。そんな答えが戻ってくるとは想像もつかなかった。
でもその後に心に広がったのは安堵感だった。じわじわと広がる暖かな気持ちが
麻衣子の胸の奥を衝き、不意にこみ上げてくる感情が襲ってきた。
視界が揺れる。麻衣子は自分の目尻から涙が頬を伝わるのを知った。