16−カオリに知られる
二人のことは秘密の関係。
前の上司との関係だって誰にも打ち明けたことがない。
肩を並べてあるいているときも、腕を組んだことも手をつないだこともない。
誰かに見とがめられたときに対処できるように、微妙な距離を保っていた。
不倫の関係なんてそういうもの。
だがハルときたら、何も気にしていないかのように、平気で肩を抱く、手を握る、
電車の中ですら入り口の横でぴったりと体を密着させて、麻衣子を包み込むかのようにする。
お酒が入ると、エレベーターの中、薄暗い階段、細い路地、それらはすべて二人の甘いキスと抱擁の場所となった。
サークルの中でも秘密にしてあったものの、ハルは無頓着に「ばれたっていいよ。マイはいい女だもん。マイのこと自慢したいくらいだから」と言い放つ。
「ばれたら、ほかのみんなが困っちゃうよ。だから内緒にしようね」と説得するのは麻衣子の方だった。
だがカオリには知られることとなった。ハルの友人を含めて4人でゴルフにいったとき、なるべく普通の装いで接したつもりだった。ハルの友人だって二人のことは知らないだろうと思っていたからだ。あくまでも「サークルの仲間」の役割を徹していた。
ハルはそんな麻衣子をどう扱っていいのか、もてあますような困ったような顔つきをしていた。スコアもガタガタ。明らかに元気がない様子でうなだれている。
コースを歩きながらハルは「マイ、冷たい」とボソっとつぶやいた。
「だって・・・・他の人もいるし。」
「でも冷たいのはやだな」
「わかったわかった」麻衣子は子供をあやすようにハルの腕をポンポンと叩いた。
「なんかすごく寂しくなった。マイはいつもやさしいのにって」
大きな体をしているくせに、肩を落として寂しい表情をしているハルを見てると
すぐにでも胸に頭をあずけて抱きしめたくなる。
心を広げて素直に麻衣子に気持ちをぶつけてくるハルにどうして冷たくしたんだろうと後悔してしまう。
「ごめんね、帰りにどこかでお茶でも飲もう」そう伝えるとハルはようやく機嫌を直した。
そんな二人の様子をじっと見ていたのだろうか、カオリは麻衣子にこう言った。
「もしかして二人はなんかあるの?」
抜け目ないカオリだから気づくこともあるかもしれないとは思っていた。
だがこうストレートに尋ねられ、もごもごと口ごもると肯定の意味としかとられない。
「ふ〜ん、あたし、ハルさんていいなぁって思ってたのにな。麻衣子にとられちゃった」
冗談か本気かとも迷うような言葉が続いた。カオリを覗うとからかうような目をしてはいるが
口元が歪んでいる。責められているようで少したじろいだ。
「まっ、仲良くね〜そうだ、これから二人で会うときとか私を使ってもいいよ。お互いさ、便利じゃない?それに4人でゴルフ旅行とかもいけるし」
カオリに知られたことは、しょうがないとしても、まだ他にも知られることには抵抗がある。
だがゴルフ旅行という言葉に少し心が動かされた。
どこかに二人で泊まる・・・・カオリと一緒ならば、不可能と思われたことが現実になる。
次の日、待ち合わせの場所に行くとハルは携帯でメールを打っているところだった。
麻衣子を認めると、うれしそうに微笑んで軽く手を挙げた。
「今、カオリさんからメールきたんだ」
麻衣子は思わずハルを見返した。何の用事だったんだろう?
「なんて言ってきたの?」
「ん・・・たいしたことはないけど・・・ええと、マイのことで何かあったらいつでも
私に相談してね〜だって」
ハルの顔は相変わらず笑ったままだ。
「時々メールのやりとりしてるの?」
ストローでアイスコーヒーの氷をつつきながら、ハルの顔を見ずに、なるべく口調が変わらないよう慎重に話した。
「オレからは出さないけど向こうからたまにくるかなぁ〜なんてない内容だけど。
まぁ、きたら返事するけどね」
心の中で揺れ動くものがあった。それは薄い雲のように麻衣子の心に影を落とした。
氷をまたつついた。言葉が早口になる。
「でも私のことで知りたいことがあったら私に聞いてね。カオリじゃなくて。だって彼女に聞いて彼女の言うことと私の言うことが違ったらどうする?」
思いがけない問いだったのかハルの顔に狼狽がよぎった。
「そりゃ、マイの方を信じるよ」
「じゃあ、カオリとは私の話をしないでね」
「うん、分かった。オレ、カオリさんはマイの友達だから仲良くしようと思ってるだけだから
愛想よくしてるけど、それ以上の気持ちはないから」
なんだかハルを問い詰めたような形になったことは好ましくないことだった。
だがカオリの不気味な行為が麻衣子を少しいらだたせた。
私とはほんの半年ほど前に知り合った仲ではないか。親友と呼べるほどの歴史の積み重ねも
心の寄せ合いもない。なのに何を知っているのか、それをダシにしてハルと近づこうとでも言うのか、そんな策略が見え隠れしている気がする。
「マイ、なんか怒ったの?」
ううん、とかぶりを振った。もう話は終わった。蒸し返したり、カオリを妙に意識するようなことは言いたくない。
「オレ、マイに嫌われるのだけが怖いんだ」
その一言で麻衣子はにっこりと微笑んだ。自分を無条件に愛してくれるハルのまなざしが
しっかりとマイを捉えている。
二人別々の生活がありながら、こうやって心を寄せ合うひと時。
この満たされた時間があるから、私は他の時間をやり過ごすことができるんだと麻衣子は思う。
その証拠にハルとの逢瀬の後は、夫に優しく接することができる。それは罪悪感からだけではないだろう。やはり幸福な時間がもたらす暖かな気持ちが人を優しくするのではないだろうか?
勝手な理屈だというのは百も承知。二人とも「生活」を見せて付き合っているのではない。
現実から逃避している関係だから、それ以上は望まない。ハルの人生を欲しいとも思わない。
お互いに足りないものをこの関係を続けることで補って心を潤わせてるんだ。
麻衣子は誰に言うこともなく心の中でつぶやいた。