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10−二人で会う

携帯にメールが入ったのは午後、食事を取りぼんやりとテレビを見ていたときだった。

開いてみると、送信者の名前にハルがあった。


「今日、渋谷で打ち合わせに出てるんですが、もし時間が空いていたらお茶でもどうですか?」


そんな文章が目に入った。


麻衣子はしばらくその文章を何度も読み返した。

特に何か意味があるわけではない。たまたま近くにいて、ヒマだからその時間つぶしの相手に麻衣子を思い出した、そんな風にとれる。


「別にお茶くらい、どうってことはない」


自分に言い聞かせるように、麻衣子は心の中でつぶやいた。

待ち合わせの場所、時間などそのやりとりするメールのめんどうさが億劫だった麻衣子は

携帯の番号を鳴らした。


「こんにちは、マイさん、メール読んでくれました?」


「こんにちは〜渋谷にきてるんですか?」


「そうなんですよ。どうですか、もし時間あったらお茶でも・・・・」


麻衣子は努めて明るくてきぱきと喫茶店の場所と名前を伝えた。そうすることがたいしたことがないんだと改めて自分に言い聞かせていたのかもしれない。


「わかりました、2時くらいにはいけるんで、じゃあ、よろしく!」


ハルは元気よく答えた。


電話を切った後、小さなため息をつくと麻衣子の中で揺れ動くものがあった。


「ただのサークルの仲間じゃない。お茶なんてどうってことない」


そういう思いと裏腹に、この誘いに乗ることで何かその先につながる変化への予感が感じられた。


それが浮き立つような思いではなく、これでいいのだろうかと自問自答するような不安ともいえる暗い予感だった。無意識の抵抗だったのかもしれない。


人は何か行動を起こすときに、無意識にためらったりすることがある。


それは理性や常識の概念とかそういった判断力ではなく、心の奥底になる意識しない感情が

何かを感じ取っているのではないのだろうか。



麻衣子の心を表すかのように、雲が広がり、今にも雨が降り出しそうな天気に変わりだした。

それが一瞬、出かける気持ちに影を落とす。


寸前になって麻衣子は断りの電話を入れようかと思った。

その時そうしていたら、この後の麻衣子の人生は違ったものになっただろう。


だがそうはしなかった。


一度約束したことを断る、それは麻衣子の気質に反するという理由もある。

しかし大きな理由はやはりハルと二人で話をしてみたいという欲求だった。

そう思うと心の底にある得体の知れない不安はすぐに消えた。


麻衣子は振り切るように勢いよく家を飛び出した。



ハルは先にテーブルについていた。


そこはオープンカフェになっていて、ハルは外の道路に向かって並んでいるテーブルの席で

コーヒーを飲んでいた。まだ3月とはいえ、曇り空の寒い一日。

ほとんどの客は店内にとどまり、外の席に座っているのはハルだけだった。


ゴルフウェアではなく、黒いジャケットに薄いピンクのシャツを着て、麻衣子を認めると

顔一杯に笑みを広げた。


なんて無防備な笑顔、麻衣子はつられるように微笑んだ。


服装が変わっただけで、印象が大分変わってしまう。

ゴルフ場以外でこんな風に二人で会うことの意外性も麻衣子に新鮮な驚きを与えた。


「すみません、いきなり呼び出したりして」


ハルはいつものように礼儀正しく麻衣子に声をかけた。


仕事の打ち合わせがあってとか、このあたりも変わったなとか、そんな話をしながら

やはり共通の趣味であるゴルフの話題に移っていった。


どちらが言い出したかはわからないが、麻衣子がクラブの悩みを相談したり

ハルがアドバイスをしたり、そんなやりとりを続けているうちに、ゴルフショップにいって

クラブ診断をしようという話に流れていった。


「オレ、一緒に行きますよ。いつがいいですか?来週の火曜日とかどうですか?」


麻衣子の反応を伺うかのように、息をひそめる短い沈黙があった。

確かに上級者であるハルについてきてもらった方が心強い。

ハルを見返すと屈託ない笑顔が返ってきた。だが見つめる目は麻衣子に注がれていたままだ。


その視線の強さに麻衣子は思わずうなずいていた。



約束の火曜日の前日、ハルからメールが入った。


「明日は大丈夫ですか?3時くらいでどうでしょうか?もしその後、良かったら

軽くゴハンでもどうですか?」


そんな内容だった。


ハルが麻衣子にそれとなく興味を持っていることは感じ取っていたが、これはあからさまに

デートに誘っているんだろうか?


麻衣子が主婦であることをハルは知っている。その麻衣子を誘うのは普通のことなのだろうか?


これが麻衣子が結婚してから一度も男性と二人きりで食事をしたことがないのであれば

当然戸惑っただろうし、迷いも出たかもしれない。


だが麻衣子は長く会社勤めをしてきたせいか、残業後の疲れを一杯のビールで癒すため

同僚と飲みにでかけたり、たまたま帰りが一緒になって、食事をしたりすることもあったので男性と二人きりでいることにそれほど抵抗感がない。


それは男女の関係というより仲間意識からくるものであった。


ハルという男性を深く知っているわけではない。

まだ未知数の男性。


このとき、夫が晩御飯を家で食べることになっていたら、約束もできなかった。

だがこの日は接待で遅くなるという話を聞いている。


そんな偶然に後押しされて、麻衣子は応じることにした。

彼がどういう心積もりなのかは、これから見極めればよいと考えていた。



待ち合わせの日、麻衣子はほんの数分遅れた。


小走りに待ち合わせ場所に向かい、横断歩道を渡ろうとすると、あいにく信号が赤に変わった。


確かここを渡ると待ち合わせであるビルの前に出るはずだった。


背伸びして先を覗うように見るが、ビルの名前がよく見えない。

もしかするともう少し先だったかな、と麻衣子はそのあたりをキョロキョロと見回した。


その時、「ピィーッ」という音がした。


音のした方を見ると、少し先の道路の反対側にハルがたっていて指笛を鳴らしていた。

そして麻衣子を認めると、手を軽く振った。


顔が笑っている。今までも何度か見た、顔一杯に広がる無邪気な笑顔。





麻衣子の心の中で何かがはじけたような気がした。



人が恋に落ちるという瞬間はどんなときだろう?

その忘れられない一瞬は、相手のふとした動作や言葉がおこす魔法のようなもの。


他の人には感じないものでも、それが特定の人の心の琴線に触れたとき、今まで思いもよらなかった感情が沸いてくる。


麻衣子は立ち止まって通りの向かい側にたつハルをじっと見つめていた。

































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