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「お久しぶりです。アリスさん」
強面から発せられた挨拶は、驚く程に緊張していたものであった。それこそ、ラグがクラーツァに対して抱いていた緊張を、クラーツァはアリスに抱いているようである。
そんな、ラグの恐怖対象である相手の恐怖対象、アリスは歯に衣を着せぬように言った。
「あの時のチビが軍師に不必要な巨体になって私の前に現れるとは、時とは不思議なものだな」
たらり、ラグのどこからか冷や汗が流れた。とても権力を持つ相手に向けて言う軽口ではない。近所の悪ガキに向けて揶揄うおばさん程度のもの。お願いだから勘弁してくれとラグは心の中で何度も思う。
「もうあれから20年ですよ。私たち人間にとって、その長さは貴重な宝物とも言える程。貴方には米粒としか思えないかもしれないでしょう。しかし、20年もあれば人間の子供は大人になります。今の私を泣かせようとしても無駄ですからね」
思ったよりも素っ頓狂な返しに、アリスは二本の指を立て、
「その返しは二点だ。貴様の父であれば、まず私の事をチビやらガキやらと呼び、最後は人外とまで吐き捨てだろう。残念ながらマゾヒストでもないし、最後のは事実でもあるから、米粒程度の感情も湧かないだろうけどな」
二人だけの異世界にでも放り込まれた気分だ。ラグにとって二人の会話は奇妙なものである。そして気持ちの良いものでもない。何よりも、アリスが少しだけ楽しそうに誰かと話す姿など、会ってから片手でも数えられるほどしか経験がない。立ち竦んで傍観するしか出来ない。
そんなラグを見たのか、それとも最初から気にしていたのか、クラーツァは急にラグを異世界の名を付けられた二人の会話に引きづり込む。
「しかし、時が変えたのは私たちだけで無く、貴方もでは?貴方が助手を雇うなんて何よりも奇怪な事だ。私の知る歴史の中、何度も出て来た名探偵である貴方が、隣に人どころか吸血鬼を置いていた事など一度もない筈だ」
急に放り込まれた異世界の先で聞いた話は、ラグにとって初耳な事であった。スパルタな吸血鬼から察するにそんな事だろうとは思ってはいたけど。
だが、ラグは目立つ事はしたくない性格だ。それが軍の人間相手となれば尚更である。ただでさえ身元も不明な自分が、怪しい過去を持っているなんて事もあり得てしまう。それに加えてこの吸血鬼だ。少しでも落ち着いた人になりたいと思うのは必然とも言える。
簡単に言えば、目の前で探るような目をアリスに向けるクラーツァに少しだけ焦りを覚えたのだ。
アリスはその質問に、即答とも言えない、僅かな間を空けて答えた。
「漸く、奴の息子らしくなったな、ヴァイス・クラーツァ。話があるなら聞こう」
”アリスが答えなかった”
それだけで誰かの喉が鳴った。
今のクラーツァの言葉は、アリスにとって回避の出来ない正論。
ラグの存在をアリスは言葉にして返せなかった。
出会って一年。アリスが誰かとの会話において、言葉を詰まらせた事は一度も無い。
椅子に座って仕事モードに移り変わった探偵を見る。
先程の動揺も忘れてしまったのか、無かった事にしたのか、綺麗さっぱりと切り替わったアリスがそこに居た。
そこで漸くラグの助手魂に火が付いた。
探偵が仕事モードに切り替わっているならば、自分だってスイッチを入れるべきであると。
ラグは視線をアリスからクラーツァにかえた。それはもう、助手としての事である。