第三話 理由
洗い物が片付くと、私達はリビングに戻ってきていた。私がお水を飲んでいると、カインは黒い大きな箱のようなものに近づいていく。あれはなんだろう。形の悪い貝みたいだけど、細い足のようなものが四本ついている。生き物には見えないけれど・・・。
カインはその側にある椅子に座って蓋を持ち上げた。そこからは白と黒が交互に並んだものが出てきた。それに指を乗せ、押すとポーンと澄んだ音がした。
「あっ、それ知ってる!ピアノっていうんでしょ?カイン、弾けるの?」
私の問いかけにカインはただ笑って、ピアノに向き直った。一呼吸おき、流れるように綺麗な音が生まれてくる。細い指が右に、左にピアノを鳴らす。とっても、素敵。
目を閉じて身体を左右に揺らしていると、カインの笑う声がした。
「ロゼッタ、楽しそうだね。音楽は好き?」
「うん、私達にはあまりないものだから・・・。時々海の上を通る船が音楽を流すんだけどね、それを聞きに行くと他の人魚達にも会えることがあるの」
「普段は他の人魚には会えない?」
「私達、数が少ないの。それに私は階級が低いから」
一瞬音楽が途切れ、目を開けると丁度カインが手元に視線を戻す所だった。
「人魚には階級があるの?」
「勿論。人間にもあるんでしょう?」
流れていた音はゆっくりになり、やがて余韻を残して終わってしまった。カインは身体ごと私に向き直る。
「人魚にもあると思わなかった」
その答えが可笑しくて、つい笑ってしまう。カインは不思議そうに首を傾げた。
「ごめんなさい、笑ったりして。でも、どんな生き物にも階級って少なからずあるでしょ?なのに、人間はそれを自分達の特権のように感じているのかなって」
カインは納得したように頷き、私を見つめた。暫くその意味が分からなくて見詰め合っていたけれど、カインは私が説明するのを待っているのかもしれない、と思って口を開いた。
「多分、私達のも人間達のも、階級ってそんなに変わらないと思う。王がいて、それを補佐する人たちがいて、知識人がいて、富裕層、貧民層がいて。人間とは違うのは、お金がないことかな」
「金がないなら、その区別は何?」
私達の話になると、カインって突然興味が沸いてくるみたい。今だって、身を乗り出して私の話を聞いてる。
「富裕層とか貧民層とかって区別するのは住んでいる場所の深さなの。深いほど裕福で、深海には皇族が暮らしているお城があるの。さっき言った血の濃さは関係ないんだよ。それで、名前を持てるのは富裕層から。だから私には名前がないの。あ、えっと、人間はお金の多さで富裕だとかって決めるけど、私達は歴史で決めるの」
「歴史?王族に尽くした、とか?」
「ううん、その一族がどれ位昔からあるのか、だよ」
私の父は七十代ほどなんだって聞いたことがある。だから、私達の中ではかなり新しい方。皇族は今年で千二百五十七代。なんて、果てしないんだろう。
「名前がないとどうやって呼び合えばいいかわからない」
「私達は数が少ないから、ほとんど血族としか会わないの。だから、そもそも名前なんて必要はないのかな」
カインは口を尖らせて首を傾げた。でも、直ぐに元の無表情に戻る。
「でも、ロゼッタはもう、ロゼッタだ」
・・・そっか、私にはもう名前があるんだ。もちろん、名前があるからって階級が変わるわけではないし、他にも何かが変わることなんてないけれど。でも、何故だかとっても嬉しい。
「ありがとう、カイン」
私が笑うとカインは満足そうに頷き、またピアノを弾き始めた。・・・この音、知ってる。私の大好きな音楽だ。
私は音に合わせて、歌いだす。元からある歌詞ではないけれど、なんとなくこんな優しげな歌詞が似合う音楽だと思う。
カインは一瞬、目を丸くして私を見たけれど、直ぐに正面を向いて楽しそうに弾き始めた。良かった、気に入ってくれたみたい。
音楽が終わると、カインは蓋を閉めて私が座っているテーブルの方に来た。
「ねえロゼッタ、どうして今の曲を知っていたの?」
「え?だって、聞いたことがあったから。私、この音楽大好きなの。よく歌っているんだよ」
カインは頬杖をつき、私を見る。何だろう、さっきまでとは雰囲気が違って、名前を付けてくれたあとに質問をされた時みたい・・・。
「どこで、聞いたことがあるの?」
「えっ?どこって・・・海の上を通る、船から、とか?」
顔が段々熱くなっていくのが分かる。思わず俯いたけれど、カインが私を見ているのははっきりと分かる。
「今の曲、俺が作ったものなんだ。だから、俺しか知らないはず。船から聞こえるなんて、有り得ない」
ばっさりと切り捨てられ、胸がキュウッと縮こまった。
「俺、よく夜にテラスを開けてピアノ弾くんだ。大抵は今の曲を。時々、海のほうから曲に合わせて歌が聞こえてた。最初は空耳かと思ってたけど、弾き終わってテラスに出ると偶に海に人影が見えてた」
カインの追及に合わせて、どんどん首が深く沈んでいく。それに合わせて耳まで真っ赤になってる。これだと何も言わなくても、それは私ですって言ってるみたい。
「・・・ロゼッタ?」
「ひぅっ!!」
急に下から顔を覗かれて、私は飛び上がってしまった。しかもそのまま顔をあげちゃった。まだ、真っ赤なのに。
再び俯くことが出来ないでいる私に苦笑して、カインは頭を撫でてくれた。
「会いたかった、ずっと。時々聞こえる歌声、好きなんだ。今ロゼッタの歌声聞いて、確信した。ロゼッタは俺がずっと会いたかった人だ」
そう言いながら、優しく頭を抱き寄せる。一体、なんて返せばいいの?ありがとうって?でもそんなのじゃ、足りないよ!
「わ、私も、カインの弾くピアノ、好きなの。一度でいいから弾いてる人に会ってみたいなって、思ってた」
カインはぱっと私の頭を離すと、嬉しそうに笑った。
「それが陸に上がった理由?」
「そ、それも、あるけど・・・。でも、一番は友達を探すことなの」
「友達?もしかして、人間の?」
頷いて、私は髪飾りに触れた。
「最後に会ったのは随分前になるんだけど・・・。また明日って言ったのに、突然会えなくなっちゃって。こっそり陸に上がって来れそうだから、当てはないけれど探してみようと思って。本当は、もしかしたらもう・・・・って、考えちゃうのが嫌なの」
「随分前って・・・一体、どれくらい」
首を傾げて、考えてみる。たしか、最後に会ったのは・・・。
「十四年前、かな」
答えるとカインは滑稽なほど大きく首を傾げた。あれ、何か可笑しなこと言ったかな。
「・・・ロゼッタ、今いくつ?」
「歳?二十一歳だよ。だから・・・最後に会ったのは、七歳の時」
「俺と二つしか変わらない・・・。もしかして、人間とは数え方違う?」
私が首を振るとカインは両手で顔を覆ってしまった。
「俺、ロゼッタは精々十七、八だと思ってたのに」
ああ、だからそんなにビックリしていたんだ。私って、そんなに幼く見えるのかな。それとも、人間なら知っていて当たり前の事を何も知らないから、幼く感じるだけ?
ああ、そうだ。カインはここにどのくらい住んでいるんだろう。もしかしたら、何か知っているかな?ここにはほとんど誰も来ないはずだもん。
「ねえ、カイン。アシュリーちゃんって、知ってる?明るい茶色の髪でね、いつも白い薔薇の髪飾りを付けてたの」
するとカインは音が出そうなほど素早く顔を上げ、私を見つめた。
「それが、ロゼッタの友達・・・?」
「そうだよ。とっても優しい子だったの!この髪飾りもアシュリーちゃんに貰ったものなんだ」
カインは軽く俯き、コップを手にとった。それを一気に飲み干し、私を見据える。
「アシュリーは、俺の妹の名前だ。妹も白い薔薇の髪飾りをつけてた」
ああ、それならきっと、その子だ。その子が、私の友達のアシュリーちゃん。だって他に同じ特徴を持っていて、この海岸に来る人間なんていないはずだもん。でも、どうして?続きを聞くのが怖い。カインの顔、真っ白になってる。一体どうしたの?
「アシュリーは、十四年前に、死んだんだ」
ヒュッと、私の喉が変な音をたてた。なんとなく、分かってた。アシュリーちゃんは約束を破るような子じゃないし、最後の何日かはすごく体調が悪そうだった。私が大丈夫?って聞いても、大丈夫って答えて。でもやっぱり、大丈夫じゃなかったんだ。
「ロゼッタ、アシュリーはずっと楽しそうだったよ。友達が出来たんだって、ずっと話してくれた。それはロゼッタのことだったんだね」
「うん・・・・」
カインは私の手をとって、優しく握ってくれる。
「ありがとう、仲良くしてくれて」
「うん・・・・!」
ぼろぼろと、涙が零れ落ちる。それはとても熱くて、まるで言葉に出来ない気持ちを代弁してくれているみたい。やっと会えるんだって、楽しみにしていたのに。私の、たった一人の友達だったのに。
「アシュリーちゃん・・・!会いたい、よ・・・!」