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第十一話 アシュリーちゃん

 今思えばあの頃の私は、寂しかったんだと思う。私の一族は比較的新しかったから住んでいる場所は浅くって、だからこそ余計に他の人魚と会うことなんて滅多になかった。家族は両親と祖母の三人。自分以外の人魚は家族の三人だけだから、自然と親近感のようなものを感じてはいたけれど、人間の家族の絆とはまた別。

 私達人魚は生まれてから親に育ててもらって、ある程度身の回りのことができるようになると自立する。同じ家・・・洞穴、のような場所だけれど。そこでみんなで暮らしてはいるけれど、お互いに過干渉することはなくて。もちろん何かがあったときには協力するけれど、そんなことなんて滅多にない。

 カインとは当たり前のように一緒にご飯を食べて、会話をして、同じ時間を過ごしてってしてるけれど私は自分の血族とは、ここ数年会話らしい会話なんてしていない。私達人魚にとっては血族は普通、そんなもの。必要以上に親しくすることなんて無くて、でもだからといって大切に思ってないわけじゃない。

 前にカインに、血のつながりなんて関係なくて同族はみんな同じくらい大事だって話したことがあった。家族だからって、血が繋がっているからって、必要以上に話をすることは無い。でも、口には出さなくても大切に思ってる。言動や行動で示すことは無いけれど確かに繋がっている。それが、私達人魚という種族。


「これが、人間」

「にんげん?」

 鸚鵡返しに呟いて母を見上げたのは、理解ができなかったから。母はそんな私を見て口元に浮かんでいた笑みを一層深めた。

「そう、人間。お魚ではないの。私達とよく似ているけれど尾鰭の代わりに足というものがあって、それで陸を自由に歩くの」

「歩く?」

 聞きなれない単語に首を傾げると母は頷いた。

「そう、歩く。人間は陸を泳ぐことを歩くって言うのよ。けれど陸の底しか泳げないらしいわ。まるでカニやエビのようね」

「うん・・・」

 私は曖昧に頷いて、手元に視線を戻した。持っているのは人間が作ったもの。薄くて四角いそれには沢山の人間が描かれている。時々見つかる本と違って、これは海の中でどんなに触っても大丈夫みたい。

 指を伸ばして、足に触れてみる。人間は上半身だけじゃなくて下半身にも服を身につけるみたい。可愛いな。私達の服は人間が海に捨てたものだったり、何かの拍子に流れてきたものだったりしたものを着ている。綺麗なものを選んで着ているけれど、どうしてもどこか汚れていたり破れていたりするし海で着るように作られたものじゃないから動きにくかったりもする。それに比べてこの絵に描かれている服は動きやすそうだし、ふんわり広がっていてすごく可愛い。

「この間話した、〈皇帝記〉は覚えている?人間が出てきたわね。人間は、自分達の見た目をとても大切にしているの。だから少しでも違っていると捕まえたり見世物にしたりするのよ」

 それは恐ろしいことだと、幼いながらにぼんやりと感じていた。その意味を、はっきりと理解していたわけではないけれど。

「陸にはとても沢山の人間がいて危険なの。絶対に陸へ行っては駄目よ。あなた自身が危ないし、人魚全員が危険に曝されてしまうから」

 その言葉を、私はきっとどこか他人事のように感じていた。当時は別に陸に憧れを感じていたわけでもなく、ただただ別世界のように考えていたから。

 陸に興味を持ったのは、初めて海から顔を出したとき。お魚達が遠くから大きな船が来てるって言っていたから、みんなで見に行くことになった。海面へ近付くにつれて、血族以外の人魚とも出会った。初めて会う人魚は、不思議と初めて会った気がしなかった。でもそれは私達が人魚だからだった。私達は常に、どこかでお互いの存在を感じているから。

 船は、とても大きかった。初めて聞く、音楽が胸を打った。真っ黒な空に打ちあがる花火に心惹かれた。人間の姿を目にすることは無かったけれど、それからというもの会ってみたいとばかり考えて様々な思いを巡らせていた。

 アシュリーちゃんに会ったのは、自立して直ぐの頃。〈皇帝記〉だって全部覚えて、何も教わることがなくなったから自由に行動できるようになった。だからこっそりと陸にあがったの。見つからなければ平気だって思ってたし、そうそう人間と会うだなんて思わなかったから。

 初めて目にした砂浜は、何だかとても眩しく見えた。それはきっと海を通していなくて直接太陽の光が当たっているせい。知識にはあったものの初めて人間の足になったときは驚いたし、元に戻れるか心配になってすごく怖かった。そうして砂浜から少し離れた大岩の上で陸を見ていた私を、アシュリーちゃんが見つけた。

 その時は丁度潮が引いていて歩いて岩の所まで来れるくらいの深さだったから、アシュリーちゃんは膝まで海に浸かって散歩をしていた。アシュリーちゃんは遠くから私を見つけて、声をかけようとしたの。私は陸に背を向けていたから、普通の人間だと思っていたんだって。見たことの無い子だから、あまり長くそこにいると帰れなくなっちゃうよって、教えに来てくれたの。

 でも、近くまで来て見ると私の足は鰭で。人間じゃないって気付いたとき、すごく驚いてた。私のほうも人間に会うだなんて全く思ってなかったから驚いて、怖くて、動けなかった。

「本物の、人魚・・・?」

 先に声を上げたのは、アシュリーちゃん。その声に悪意なんてまるでなかったから、私は少し安心してアシュリーちゃんに興味を持ったの。それから私達はすぐに仲良くなった。アシュリーちゃんは私達人魚に興味深々で、それは純粋な好奇心だったし、私も人間や人間の世界に興味を持ったから。

 その日から毎日、私達は潮が引く時間に浜辺で待ち合わせていろいろな話をするようになった。お互いの生活や文化もそうだけど私たち自身についても。

 名前を聞かれたときに、アシュリーちゃんには名前があるって知って実はアシュリーちゃんの家は古くからある家なのかなって考えたっけ。その時は人間が何にでも名前を付けるだなんて知らなかったから。

「ええっ、名前ないの?わあ、じゃあなんて呼べばいいの?家族の人とかは、なんて呼んでるの?」

「うん、えっとね、娘、とかおちびさん、とかだよ」

「ええー、やだなそんなの。・・・うう、でも名前って簡単に付けちゃいけないって聞いたことあるしなあ」

 アシュリーちゃんが唸るのを見て、私はすごく不思議に思った。陸だけじゃなくて海にまで人間は名前を付けて回っているのに、簡単に名前を付けちゃいけないってどういうことなんだろう。

「ううん、名前が無いのは大変だからなあ。・・・うん、マーメイドちゃんって、呼ぼうかな」

「マーメイド・・・」

「うん、人魚の別の呼び方。これなら名前を付けたことにはならないでしょ?」

 自慢げに笑ったアシュリーちゃんに、私はなんて返したっけ。ただ曖昧に笑っていただけのような気がする。ただそれからはずっと、アシュリーちゃんは私のことをマーメイドちゃん、とか短くしてマーちゃんとかって呼んでいた。けどそれは嫌じゃなくって、その呼び方や二人でこっそり会っていることなんかがとてもわくわくしてとても楽しかった。

「ねえねえマーメイドちゃん、見て!これ、お兄ちゃんに買ってもらったの!」

 ある日見せてくれたのいは、白い薔薇の髪飾り。耳の上に留めてあるそれは、太陽の光に反射してキラキラと光って見えた。

「うわあ、可愛い!それ、なあに?」

「これはね、髪飾りだよ。バラの髪飾り。髪を留めるための物なの」

「そうなんだ・・・髪飾り。ばらっていうのは、なに?」

「バラはね、花の種類。こんな形の花があるんだよ。すごく綺麗で、いい匂いがするの。あ、ちょっと待ってね、マーメイドちゃん」

 アシュリーちゃんは肩から掛けていた小さな鞄に手を入れると、アシュリーちゃんと色違いの真っ赤な薔薇の髪飾りを取り出した。今でも私が大切にしている、髪飾り。

「はい、これ。マーちゃんにプレゼントだよ」

「えっ、いいの?うわあ、ありがとう!可愛い・・・!」

 手の平に載せていろいろな角度から眺めている私を、アシュリーちゃんは嬉しそうに、でもそわそわして見ていた。

「ねえ、つけてみて?きっとね、マーちゃんにはその色似合うと思うんだ」

 そう言われて私は再び髪飾りを見たけれど、どうつけるのかは分からなかった。ひっくり返したときに見つけた、後ろについてた金具をつかうんだろうな、とは気付いたけれど。結局その時はアシュリーちゃんが付けてくれた。私の後ろに回って髪を少し編みこんでくれたんだけど、そのときにも人間と人魚の違いを見つけてすごく驚いたっけ。

 アシュリーちゃんは私の髪に触ってすぐに歓声を上げた。

「すっごーい!何これ、なんか水の中で髪を触ってるみたい!気持ちいいね、マーメイドちゃんの髪の毛。人魚はみんなこんな感じ?」

「うん。人間はちがうの?」

「触ってみる?」

 差し出された髪に触れたとき、初めての感触に思わず私も歓声を上げた。

「軽い!なんだか、さらさら音がするね・・・!」

「うらやましいなー、マーちゃんの髪。すっごくきれいだし、ツヤツヤだし。人魚!って感じ」

「ふふ、私人魚だよ」

「そう、そうなんだけどね、なんだろうなあ。・・・私の想像通りっていうか。理想通り?」

 アシュリーちゃんの理想、という言葉に少しくすぐったくなる。

「はい、できた!うん、マーメイドちゃんかわいーい!」

「えへへ、ありがと・・・」

 照れて俯いて、そっと髪飾りに触れる。私達のこの絆がまるで形になったみたいで、嬉しかった。髪飾りをつけている限りずっと友達でいられるように感じて。


 きっとアシュリーちゃんは私に初めて会ったときからずっとその質問をしたかったんだと思う。だけどなかなか、できなかったみたい。失礼かな、とかもしも違ったら、とかいろいろ考えてたんだと思う。

「ねえ、マーメイドちゃん」

 緊張した面持ちで声を掛けてきたことに、私は気がつかなかった。

「なあに?」

 いつものように返事をして、すぐに応えが無かったからどうしたのかな、と思ってやっとアシュリーちゃんの顔が赤いことに気がついて。どうしたの?顔が赤いよ、なんて聞く前に、アシュリーちゃんは勢い込んで私に尋ねた。

「人魚にもお姫様って、いる?」

 訊ねる、というよりも半ば怒鳴るようなそれに驚いて。それでも頷くとなぜかアシュリーちゃんはもっと顔が赤くなった。。

「じゃあ、もしかして、マーメイドちゃんって、お姫様・・・?」

 恐る恐る、と表現してもいいような聞き方に私は少し笑いそうになっていた。

「ううん、まさか。私は人魚の中でも階級が低い方だよ」

「そっか・・・。お姫様じゃ、ないんだ」

 その時のアシュリーちゃんの顔はすごく複雑そうだった。嬉しそうな、残念そうな、安心したような・・・。

「でも、良かった。ねえマーちゃん、これからもいっぱい、一緒に遊べるよね?」

「うん、もちろん!」

 きっとアシュリーちゃんは、もしも私がお姫様だったら一緒に遊べなくなっちゃうって心配していたんだと思う。姫様には会ってみたかったけれど、私が姫様だったら、そのことを知っちゃったら会えなくなっちゃうかもって。

 私と同じで寂しくって、せっかく仲良くなった友だちと会えなくなるかもしれないって、思ったのかな。私達はお互い寂しくって、お互いその寂しさを埋められるいい友だちだったんだ。


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