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すべては砂のようにさらさらと風に乗ってどこかへいってしまうのだ。
結婚相手が決まった、との決定は突然もたらされた。しかもあちらが大学を卒業したらすぐに籍を入れるように、とのお達しだ。
高校を卒業した辺りから、いつそういう話が出てもおかしくはないと覚悟していたつもりではあったけれど、いざその事実を目前に突きつけられると、なかなか辛いものがある。
結婚。
漢字にすればたった二文字。
婚姻届にサインを書けばそれで済む。それだけの行為にこんなにも気が重くなるのはきっと誰よりも自分自身が結婚に反対だからだろう。
結婚が嫌だというわけでは決してない。ただ結婚するために長年付き合ってきた恋人と別れなければならないというのが気に食わない。
確かに、恋人の柏木更紗は良家の子女というわけではない。血筋だの何だのを気にする化石みたいな連中からすれば話にもならない相手だろう。だけど、嘉納斎の妻として相応しいのは誰か、という観点から見れば比べるまでもなく更紗に軍配があがる。孤独な道化師にならずにすんだのはひとえに彼女がいたからだ。
最初から彼女のことを好きだったわけではない。そのころ、ひどい恋愛のもめごとにすっかり疲れ果てていた斎は強引に幕引きすべくちょうどそこにいた少女の手をとったのだ。
そうやって始まった恋愛は斎が驚くほど順調だった。
柏木更紗はまさに斎のための少女だった。
宮園との結婚話が持ち上がったとき、斎は必死に根回しをして宮園との結婚話をつぶそうとした。しかし、そんな奮闘もむなしく、宮園との結婚が確定してしまったのだ。
そんな斎にできることは、恋人の手を離すことだけ。
嘉納の力をもってすれば、更紗ひとりを囲うことなどわけない。結婚相手とは別のマンションをこっそり買ってそこに更紗を住ませればいいだけなのだから。
更紗を愛人として囲うという案はとてもすばらしいもののように思えた。
だが、更紗からすればどうだろう?
彼女がいい女性だということはわかっている。斎が彼女を囲ってしまえば彼女は一生「愛人」として日陰を歩いていくことになるけれど、今、手を離してやれば、新しい相手と結婚して堂々と日向の幸せを掴むことだってできるのだ。その可能性を斎のわがままでつぶす?
きっとそんなの許されない。
許されないとわかっていたから手を離した。
でも、その手をもう一度つなぎなおされたならば、もう離せない。
半分しか血のつながらない弟が斎の下を尋ねてきたのは、きまずい四人での会食を終えて三月ほどした後だったように思う。
弟、といえどあまりその実感はない。正直、物心ついたときにはすでに別々に暮らしていたし、普段の生活のなかで紫と会うことなど殆どなかった。
特に、紫が中学に入学してすぐにスイスの寄宿学校に入ってからは、よっぽどあちらの水が合ったのか紫自身が日本に帰って来なくなったのもある。
ただ、スイスに行ってから時々、思い出したようにスイスの面白い雑貨やお菓子、本などを写真とともに送り付けてくるようになった。写真なんて説明がないのだからさっぱりわからなかったけれど、それらはガイドブックには載ってないような素朴なものが多くて、紫が楽しんで生活しているのだとわかった。もらいっぱなしというのも気が引けるし、なによりあまり実感はないけれど、斎は紫の兄なのだ。だから斎も何か面白いものがあったり、急に思いついたときはちょっとしたものを紫に送りつけたりした。
嘉納の親族からすれば、紫と斎が仲良くなるのは到底許しがたいことだったようで、兄弟での送りあいを止めるよう苦言を呈した人間もいたらしい。しかし、父がそんな苦言はすべて握りつぶしてしまったと聞いている。
紫もそうだが、父ともそれほど交流した記憶はないので、父の秘書がこっそり教えてくれなければそんなことがあっただなんて予想すらしなかったに違いない。秘書が教えてくれたときも最初は信じられなかったくらいだ。父が何を考えているかなんてわからない。ただ、なんとなく紫のためであるような気がした。
「久しぶりだね、兄さん」
「そうだな」
結婚式のときにも顔は合わせたのだが、なぜだか妙に気まずい。長らく会っていなかったせいか、見知らぬ男のように感じられるからかもしれない。
「ところで、柏木さんと結婚したいの?」
迎え入れたホテルの一室で紫は躊躇うことなく切り出してきた。微笑んではいるけれど、何を考えているのかはわからない。幼いころから紫を弟と思えなかったのは、きっと彼が何を考えているのかさっぱりわからず、理解できない存在だったことも大きいのだろう。そういうところはまったくかわっていない。
「…あいつが必要だからな」
「愛人じゃだめなんだ?」
「俺のわがままで隣に立たせるのに、日陰の身に追いやるのはかわいそうだろ」
「彩月さんは追い出すのに?」
「…あいつは」
彩月は客観的に見ればいい女だろう。
知識と教養を備えながらも弁えており、出しゃばることは決してない。そうわかってはいる。わかってはいてもどうしようもないことはあるのだ。