安原杏の初任務
夕暮市にそびえ立つ巨大なタワー、夕暮中央タワーの手洗い所に若かりし日の安原杏はいた。
中学1年生の杏。
殺し屋になりたてである。
その日が初めての仕事だった。杏はこの前師範代から譲り受けた槍を握りしめた。
後につける「ピンキーフラッシュ」という名はまだない。
彼女はそれを袋にしまい、深呼吸をして手洗い所を出た。
初の仕事はこのタワーの最上階の展望室に家族で来ている政治家を殺す事。悲しいが、家族も殺さなければいけない。
子どもも。
だけど私は殺し屋だ。残酷になろうと心に決めた。
このあと1階ロビーで新人の殺し屋と落ち合うことになっている。同じ年齢だそうだ。
緊張するが、頑張ろう。
平日だけあって、人は少なかった。
ロビーにパートナーの少年はいた。
ツンツン頭に学生服という格好だった。
少年はつり目で杏を見た。
「おめーが人生のパートナーか」彼は会ってそうそう冗談を言った。
「結婚した覚えはありません!」ツッコ、んでしまった。不覚にも。
「アフリカンジョークだ」
「アメリカじゃないの!?」
「どーだ。面白いだろ。今日なんか俺の妹にギャグをかましたら笑い過ぎて失神しそうになったんだぜ。俺お笑い芸人目指そうかな」
「失神しそうになったってどんなに病弱なんだよ!君の妹」
「今のは冗談だ」
「私のツッコミを返して!」
という愉快な会話をして、本題に入った。
「標的一行はさっき展望室に上がってった。それは確認済みだ」零が声を潜めて言った。他の人に聞かれたら大変なことになる。
「ありがとう」
「それで、このタワーにはエレベーターは2台ある。俺は右の、お前は左の奴をつかえ」
たくっ上から目線だな、と思いつつも計画を立ててくれた零に感謝しないわけにはいかない。
「わかりました。私は本人か家族かどちらをやればいいですか?」
「どっちがいい?」
「意地悪ですね」
「何でだよ」
「わかっててやってる・・・」
「俺達殺し屋だぞ。そんな甘い考えじゃやってけない」
「わかってるけど」
「まあ今回は俺が家族をやる。お前は本人だけを素早く殺れ」
「あなたも今日が初めてなんでしょう?なんでそんなに慣れてるの?」杏はここまで冷酷になれる零が理解できなかった。
「俺は…なんだ、その、親父の仕事についてったりしたからさ。こういうのは慣れっこさ」
「そうですか」
しばらく沈黙し、零が動き出した。
「じゃあ任務開始だ!」零は抱えていた大きな包みを背中にかけた。大きな武器だ。
「はい!」
冷房が効きすぎるほど効いているロビーをゆっくりと歩き、目だたないようにする。2台あるエレベーターの内の左の方のボタンを押した。最上階にあるらしく、降りてくるのに時間がかかった。
チンと音がして扉が開いた。
幸い、中には誰もいなかった。よかった、とため息をつく。
杏は急いで中に入り、最上階の展望室のボタンを押した。扉が閉まろうとするその時、1人の女が閉じかけた扉を制し、中に入ってきた。
緊張が走る。
こんな時に・・・。
「悪い、オレも入れてくれ」そんな男みたいなしゃべり方をしたのは、青い長髪の女だった。
ダルダルのジャージ姿に額にサングラス。青い髪のせいでかなり目立っている。
杏と同じくらいの年齢か。
中学生のような外見だ。
しかし、そこいらの中学生とは比べ物にならないくらいのオーラを放っていた。
ただものじゃない。
数々の修羅場を潜り抜けてきたような鋭さが、彼女にはあった。師匠と同じ匂いだ。
彼女は5階のボタンを押した。売店に行くらしい。
「旅行の土産を買ってかなくちゃならなくてよー。面倒くせーな」彼女はポケットに手を入れてうなだれた。
何なんだこの女は。
杏は警戒を強めた。
「あんた、殺し屋でしょ。においでわかるんだ」彼女が何気なく口にした言葉で、杏は目を見開く。
驚きのあまり、声が出ない。
何でわかるんだ。どうして。
杏はパニックに陥ってしまった。汗が湧き出る。顔面が熱くなった。
「図星だろ。オレも似たような事してるから大体わかるんだ」
何物なんだ。この女。
「あんたみたいな若い女の子がどーしてそんな道を選んだのかねー。気いつけなよ。せいぜい死なないように。女の子は顔が命なんだから」
じゃーねー。と言って青い髪の女は降りてしまった。
そう。その青い髪の女こそ、「差篠原」を一夜で壊滅させた若い日の吉良川好乃だったのだ。いずれ、杏たちの敵になろうである女。
吉良川が去った後も、杏の動悸は静まらなかった。
怖い。恐い。コワイ。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
杏は自分の胸を押さえて落ち着かせた。
今から初の仕事なんだ。ミスしたらお終い。頑張らなくちゃ。
最上階の展望室に着いた。
そこは、360度窓があり、夕暮市を見渡すことができる。
零が観光客のふりをして窓を見ていた。
「さあ。始めよう」杏は後ろから声をかけた。
「ああ。標的はあそこだ」零が指をさしとところに、スーツを着た、体の大きな男と、その妻と思われる女性、2人の子供がいた。
「私はあの男をやる」
「頑張って、杏ちゃん」
「気持ち悪いわ!」
杏は静かに男の背後に行き、槍を取り出した。
狙いを定めて正確に突いた。
「あなた、危ない!」いち早く気が付いた妻が大きな声で男に知らせた。
男は俊敏な動きで杏の攻撃を避けてしまった。
「なんだ、お前は」
構わず第2撃を放った。しかし、それも避けられた。
「きゃあああああ」妻の悲鳴が轟く。零が攻撃を開始したらしい。
見たらへこむ。
集中できなくなる。
今はこっちの事だけ。
杏は自分に言い聞かせ、男に向かって走る。
男は護身術を身につけていた。
杏の攻撃を軽々と避け、さらには杏に攻撃をする。たった今も、背負い投げをされた。
「小娘が。俺を殺せると思うな」
杏は唇をかみしめた。零に任せていれば・・・。
私があっちをやればこんなことにはならなかっただろう。やさしさなんか捨てて、冷酷になれば・・・。
でも、できるかもしれない。
杏がこの状況をひっくり返せる方法をひらめいたのは、天井にぶら下がっているシャンデリアを見た時だった。
杏の力「絶対服従」<パーフェクト・コントロール>は、生物以外の物を自分の下僕にする能力。
杏は念じた。
シャンデリアを重力に逆らってぶら下げている紐を『下僕』にして、その糸をちぎるように命令したのだ。
紐が千切れ、シャンデリアは男の真上に落下した。
ゴカシャアン!とすさまじい音を立てて男をつぶした。
「やった」
杏は槍を支えにして立ち上がった。
零はとっくに仕事を終えたようだ。
「初の任務成功だな」
「そうね」
2人は、同じエレベーターに乗った。
「ところでさっき、何でボーっと見てたのよ」杏は零を睨みつける。
「いやー。白熱した戦いを邪魔しちゃいけないと思って」
「どこが白熱した戦いよ!私、勝ち目がなくて座り込んでたじゃない!見てるだけじゃなくて助けてよ」
「あっ、着いたぜ。俺母さんとハワイ行くんだった」
零はドアが開いた途端走って逃げた。
「どこ行くのよ!」
「じゃーねー」
「もー。あんたなんか大嫌い!」
こうして、杏の初の『殺し』は終わったのである。
ついに来ました、コロシヤステップ外伝です。
本作のヒロイン 安原杏を主人公にした過去の物語です。原作では明かされない零と杏の出会いを描きました。
謎の人物 吉良川好乃も登場させました。書いてて楽しかったです。
感想、アドバイスお待ちしています。
ではでは。