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「も、もしかして、HMD-Z1の開発主任だった川瀬アキトさんですか?」
震える声で尋ねたのはバナナだった。
その問いに会長はすこし驚いたような顔を見せた後、微笑みを浮かべて頷く。
「確かに川瀬アキトは私だが……マスコミに姿をさらした覚えは無いのに知ってるとは光栄だね。今はアイナ社の会長をやらせてもらっている」
「やっぱり! ほら、うちの大学で後藤教授をスカウトに来たじゃないですか。その時、私お茶出ししたんですよ! すごい、また会えるなんて!」
「ああ、新日大の……君達からは後藤教授を奪ってしまう形になったわけだな。申し訳ない」
「い、いえっ、とんでもありません。その、後藤教授は?」
「大変良い成果を出してもらっているよ。おっと、君達に最終試験の結果を伝えないとな」
その一言にぼけーっと聞いていた俺の心臓は一気に跳ね上がった。
なにせ採用人数はたったの5人、この中でいったい誰が落ちて誰が受かるのか。ひょっとすると5人とも不合格の可能性だってある。
自分の合否はもちろん心配だ。人生が180度変わるのだから当然だ。
ただ、何故かここにいる他のメンバーにも落ちて欲しくないと願っていた。
「その前にまず断っておくが、先ほどの1問目の個人試験、あれはただのフェイクだ。まったく採点に入れていない」
「……え?」
俺の喉奥から思わず声が漏れた。
他の面々も声は出していないものの同様に驚きの表情を浮かべる。
あれだけ真剣に選んだのに、採点に考慮されないとは肩透かしもいいところだ。
特に俺なんて時間ギリギリまで考えて、お陰でウイロ辺りから非難ごうごうだったのに。
「もしかして、2問目で意見がぶつかるようにしたかったんですか?」
ウイロが珍しく緊張した敬語で口を挟むと、会長は「すまないね」と肩をすくめた。
なんとそれぞれの意見を固めて、言い争わせたかっただけとは。
あとどうでもいいがウイロが敬語を話すと標準語っぽい、というか標準語そのままである。話せるなら最初からそうして欲しかった。
俺が悶々としていると、バナナが微妙な表情で小さく手を挙げた。
「……じゃあ、私達の一問目は最悪だったわけですか?」
「そう、君達は見事に真っ二つに別れ、最悪の状態でスタートした。お陰で実に面白かったよ、バナナくん」
「バッ――み、見てたんですか!」
その問いかけに会長がにっこり頷くと、バナナはショックだとうめきながら肩を落とした。
おそらく憧れの人への第一印象が『バナナ一気食い』となった事がショックだったのだろう。少し責任を感じなくもない。
そんな彼女を慰めるように会長は「だがね」と優し気な声音で続けた。
「結果として君達はチームとして見事にまとまった。呼び名を変えた事で君たちは互いを蹴落とすべき敵から蹴落とされないよう支えあう味方に変えてしまった。あの僅かな時間で全員が共感できる答えを見つけた事は本当に見事だったよ」
そこで会長は浮かべていた微笑みを消すと、少し崩していた姿勢を正した。
「我が社が欲しかったのは個人ではなく、チームとして戦力になり得る人材だ。そして、君達5人はチームとして充分機能する事を証明してくれた」
会長の手放しのお褒めの言葉に、俺は思わず試験結果を期待せざるを得なかった。
隣にいるウイロ達も次に来るであろう言葉を待って息を止める。
皆の期待の視線を受けて、会長は満足そうに頷いた。
「合格だ。我が社は君達5人を歓迎する」
「うおおおっ!」
「やったあぁ!」
歓声を押さえられず、俺達はわいのわいのと騒ぎながらハイタッチを互いに交わす。
本当に嬉しかった。まさか、このチームで合格できるとは。
これからこのメンバーで仕事ができるのだ。
あまりに出来過ぎな結果に嬉しくない訳が無かった。
と、そこで始めてカユの顔に笑顔が浮かんでいないのに気が付いた。
つられるようにハイタッチを返して、かすかに喜んでいるように見えるのだが、他の面々と比べると明らかにテンションは普通だ。
周りが喜び過ぎているから目立つだけなのかと、少し顔を覗き込んだ。
「カユ、どうかした? 合格だけど、嬉しくないの?」
「……ううん。ただ、ちょっと驚いてるだけ。私が受かるなんて、思ってなかったから」
そうなんだと相槌は打ってみたが、やはり変だ。
ひょっとして体調でも悪いんだろうか?
そういえば、時々思いつめたような顔をしていた気がする。
男には分からない例の日なのかも知れないし――
「ええっ!?」
パセリの驚声でふと我に返った。
失礼な妄想に足を踏み入れていたと気付き、俺は顔を振って会話に集中する。
「あ、あの、会長のプロジェクトに参加できるって本当ですか?」
「本当だとも。君達は十分その資格をクリアしている。これからよろしく頼むよ」
皆が一気にヒートアップするが、時にバナナはこの状況に興奮冷めやらぬ様子でまくし立てた。
「すごいっ! まさか川瀬さんと一緒のプロジェクトをやれるなんて! あーもう、絶対に受からないからやめとけって何度も言ってたゼミの教授に聞かせたらどんな顔するか――」
「残念だが、それは許可できない」
怒鳴ってはいないが、強く良く通る声でバナナの言葉を遮る。
HMD越しに温度まで伝わってきたような、そんな静かな迫力のある声だ。
「今日の採用試験を始め、このビルの内部の事は一切社外に漏らす事は禁じる。当然、君たちの職種や私のプロジェクトの存在もだ。これだけは徹底してもらいたい」
会長の顔から笑顔が消え、その目は人でも殺しているのかと思うほどの迫力があった。
これはもし機密を漏洩してしまったら、故意だろうと不慮だろうと、クビではとてもすまないだろう。
ひょっとするとわざわざ会長が来たのは、この釘を刺すためなのかもしれない。
「ただ、君たちは私直轄のメンバーとして働いてもらう事になる。守秘義務こそ徹底させてもらうが、非正規社員だからと肩身の狭い思いはさせないよ」
そのタイミングで会長の表情が緩んだ。
緊張から開放されホッとため息を漏らした俺たち5人を、会長はぐるりと見回し満足そうに頷く。
「さて、最後に確認させてもらいたいことがある」
会長の言葉に緩みかけた気持ちを再び引き締めた。
何と言うか、この人は緩急の使い方が激しく心臓に悪い。
偉い人とはこう言うものなのだろうか。
「実はもうプロジェクトが佳境に入っていてね、テスターは今すぐ必要だ。急で申し訳ないとは思うが、早速明日から仕事を頼みたいんだ。構わないかな?」
確かにいきなりな話ではあるが、俺は迷わず頷いた。
なにせ天涯孤独の身だ。誰に断る必要も無いし、なにより早く仕事もしてみたいのだ。
俺以外で他にすぐに頷いたのはパセリ、そして意外なことにカユも躊躇無く頷いた。
そして、3秒ほど悩んでバナナが「大丈夫です」と答える。
最後まで悩んでいたのは、これまた意外だったのだがウイロだった。
「ウイロくんだったね。何か問題でもあるのか?」
「……いえ、名古屋の実家に病弱で働けない妹がいるので、少し心配だっただけです」
「なら、そのうち家族もここへ呼ぶといい」
会長は何でも無い事のようにそう言った。
「何ヶ月かはホテルで我慢してもらうが、しばらくしたら寮を用意する予定だ。その際、必要な者には家族用の寮も用意できるからそれを使うといい。あと、妹さんが理由があって働けないのなら扶養手当も付けよう」
「ほ、ほんとうですかっ!?」
ウイロの声が裏返った。
そして、会長に向かって深々と頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「なに、働いてもらうからには当然の権利だ」
「いえ、ありがとうございます!」
絞り出すような声、それは彼がどれほど妹を大切に思っているかがにじみ出ていた。
下げられた頭に頷いた会長はもう一度5人を見渡した。
「全員に承諾してもらえて嬉しいよ。さて、働くにあたって、明朝入社手続きと健康診断を行ってもらう。そのため、駅前のホテルを手配してるので利用して欲しい。君たちには万全の体調で業務に努めてもらいたいのでね。これも構わないだろうか?」
特に拒否する理由もなく、今度は全員がすぐに頷いた。
いまさらだが、簡単にホテルを手配できる所がバイトとは違うのだと改めて思う。
「さて、私は次の用事があって抜けねばならない。ホテルや今後のスケジュールなどの詳細については別の者が説明をする。では私はこれで失礼するよ」
軽く手を挙げると、颯爽と身を翻すように掻き消えてしまった。
会長が消えた後、その場所に銀色プレートがポップアップし、タイトスカートの女性が姿を現す。
ビッチリとまとめられた髪と少しきつそうな顔、おそらく秘書だろうと彼女の雰囲気が告げていた。
「会長の秘書を勤めています小津と申します。これから当社への入社について説明致します」
その声はアナウンスのあの声そのままだった。
秘書の小津さんから説明を受けて、交通費などの申請をお願いして外へ出ると、暗くなりかけていた。
手配してもらったホテルは駅前にあるらしく、薄闇の空と蓄光式歩道の灯りに挟まれながら、今朝来た道をゆっくりと歩いて帰る。
手に持っているのは相変わらず大金のつまったバッグだが、今朝はずっしりしていたはずのそれは、何故か少しだけ軽く感じた。
町並みも早朝のがらんとした時とは全く印象が違い、帰宅者も多く歩道はそこそこ賑わっている。
だから、油断していたと思う。
「イクラくん発見!」
「おうわっ!」
突然背後から大声をかけられ、思わず飛び上がって驚いてしまった。
「あはは! いいね、その反応」
「バナナさん、それにウイロさんとパセリさんまで」
振り返ると、ニヤニヤと笑みを浮かべた三人がそこにいた。
試験の時とは違って黒スーツ姿だが、その特長のある風貌は見間違いようが無い。
「イクラ、お前もホテルにチェックインしたら一緒に晩ご飯食べにいかん?」
「ほら、深夜回ったら健康診断のために絶食でしょ? パーッとお祝いがてら食べにいこうよ」
「い、行く! 行きます! お願いします!」
「決まりですね。ホテルの場所は僕が知ってるので、すごいホテルですよ」
パセリの言葉にさらに胸がときめく。
高級ホテルなんて外から眺めるオブジェとしか認識してなかったし、何から何まで新鮮だ。
と、そこであと一人メンバーが足りないと気付く。
「あ、あの、カユさんは?」
「まだ見つからなくって、ここで待ってたら来るかも知れないけど……」
バナナが立ち止まると、先を歩こうとしていたパセリが慌てて振り返った。
「ああ、そうでした! カユさんですが、ここ筑波に実家があるらしくてですね、秘書の人に実家に帰るからと申請したそうです。バスとか使うんじゃないですかね」
「じゃあ仕方ないか。もう、そうならそうと早く言ってよね」
「あはは、すみません」
「なら早よ行こ。昼飯喰っとらんでもう限界だわ」
早々と歩き出した三人の後ろに付いて行きながら、俺はなんでパセリさんだけが知ってたんだろうとか、そんな青臭いことを少しだけ気にしていた。
「では、チーム一同の合格を祝して……かんぱーい!」
「かんぱーい!」
自分の音頭でがちんがちんとグラスを合わせ、キンキンに冷えたウーロン茶をあおる。
微かにジャスミンがまじっているのか、妙に美味く感じた。
チェーン店じゃない焼き肉屋に初めて入ってみたが、この分だと肉の質も期待できそうだ。
「おーし、ガンガン焼くぞ」
「焼くのなら僕に任せて下さいね。ほいほいっと」
「ちょ、ちょっと待てパセリ! いきなり野菜入れるとかねーがや!」
「大丈夫ですよ。僕好きですから」
「そう言う意味じゃ――ああ! そんないいポジションにピーマンとかありえんわ!」
「ああ、キャベツの方がいいですか? 頼みますね」
「ちょ、分かった! このラインから向こうで野菜を焼け。こっちは肉以外認めんからな!」
「えー」
ウイロが顔を引きつらせながら譲歩してるのを見て俺とバナナは爆笑する。
「パセリって以外とマイペースね。ちょっと意外だったかも」
「あ、パセリさん。この限界突破キャベ盛りサラダとか食べますか?」
「すごい! 是非お願いします」
「サラダとか、イクラお前策士だな。手羽先と生レバーも追加頼むわ」
「了解です。手羽先とかウイロさんらしいですね」
「よせよ、褒めんなよ!」
受かったハイテンションのまま、アルコールも入っていないのにいい雰囲気になっていた。
ウイロは生ビールを飲みたがったが、なにせ明朝は健康診断、アルコールは厳禁である。
それでも初対面のメンバー同士で会話が途切れないのはニックネームで呼び合ってるせいかもしれない。
だからなのか誰も本名を聞こうとする者はいなかった。
ただ、やはり初対面の会話がお互いの背景になるのは必然だった。
「そう言えばウイロって、なんで名古屋弁なの? ハーフっぽいけど」
「色々血は混じっとるけど、日本人の血は入っとらんわ。実は17までずっとカナダで暮らしとって、大学入学と一緒に名古屋に来たんだが。それで日本語も分からんのに文化保存サークルに入ったらこれが面白くてドハマリして、気が付いたらこうなっとたわ」
「すごいですね、大学在籍中だけでそんなに日本語マスターしたんですか」
「一留しとるから5年だな。もうそんなになるか」
「じゃあウイロは今、23歳? 私の一つ歳上だったんだ」
と言う事はバナナさんは22歳。
女性の年齢は重要、失言が無いようしっかり心のメモに焼き付ける。
「そう言えば、イクラさんは随分若く見えますが、何歳なんですか?」
「19歳です。パセリさんは?」
「僕は26歳、大学は一昨年卒業してたんですけど、就職浪人してまして、実は君と一緒のフリーターなんですよ」
色々と意外だった。
ただ、落ち着いた感じは26歳にみえなくもない。
「19歳って事は、高卒? それとも大学の中退?」
ウイロの質問に少しだけ言葉を詰まらせた。
「実は中卒です。その後はバイトしまくってたから、学とか全然無いんで迷惑かけるかもしれません」
「意外! イクラって頭良さそうに見えるのに」
バナナの言葉には曖昧に笑顔を返しておく。
家庭の事情のせいだとか、こんないい雰囲気の場であの親の説明などする気になれなかった。
詮索されるかもと心配したが、ウイロがずいと近づいてきて軽く頭を下げた。
「変な事聞いて悪い。何があったにせよ、これからは仲間だがや。それに俺はイクラがかなり気に入っとるし」
「うわ、ありがとうございます。ウイロさんも最初怖い人かなって思ったんですけど、実は優しいですよね」
「優しいとか言うな、でら気持ち悪いがや!」
ゲラゲラと笑い合うみんなを見て『いいチームだな』と改めて思う。
(このメンバーで、本当に明日から仕事ができるんだ。しかも、あこがれの会社の最新プロジェクトを……)
何も選択できずに死ぬ事に怯えていた自分が、無理だと諦めていた夢のただ中に今いる。
時間が止まって欲しいと思うくらい今が幸せで。
でも明日はもっと楽しみで。
途方もない幸せに思わず涙が出そうになる。
「あれ、イクラさんどうしたんですか。お肉焼けてますよ」
「何でもありません。頂きます!」
その夜食べた肉の味は、やっぱり最高だった。