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ハーフ顔の男はどっかと甲板に腰を下ろすと盛大なため息を吐いた。
不機嫌さを隠そうともしない顔で。
「そしたらはじめよ。っても誰かさんのせいで時間がでら少なくなっとるし、誰かの意見を採用しよか」
誰かさんの辺りでじろりと睨まれる。
確かに時間をいっぱいまで使ったのは俺で、まさか次の試験時間が減るとは思わなかったので何も言えない。
「解答に自信のある奴おるか? おらんのなら俺の答えで文句ないな?」
「ちょっと待ってよ! あんたね、さっきから無茶苦茶な仕切り方して何様のつもり? だいたい試験時間が短くなるなんて分かる訳ないじゃない。空気悪くするだけって分からないの?」
バナナさんが俺のフォローを……というか、言いたい事をストレートにぶつける。
ちょっと嬉しい反面、場の空気がさらに悪くなる事は想像に難くなく、そして事実そうなった。
「何言っとるん! 思った事言っとかな、実力も無いのに勘違いされたらわやだがね」
「変な言葉使って反論しないでよ! それにこっちだって人生掛かってるんだから、あんたなんかに任せられるわけないでしょ!」
「変な言葉ってなんだて、名古屋弁だわ! 文化遺産なんだで尊重しやあ! それに、お前さんなんかにあんた呼ばわりされたないわ!」
いかん、既に不毛な会話で20秒が経過してしまった。
俺が時間を浪費したのは事実だし、ここは責任はとらないといけない。
「あの!」
手を挙げた俺に険悪な会話を続けていた二人の視線が全く同タイミングでこちらを射抜く、だが退くわけにはいかない。
なんとか建設的に進めないと、本当に全員が後悔しか出来ない結果に終わってしまう。
「時間を使った俺が言うのもなんですが、まずは自己紹介しませんか。あんたとかお前とか、そんな会話じゃ話がこじれて当然です」
「あのなぁフリーター。こんな人生賭けた敵同士で実名なんてばらすなんてありえんわ。例えばお前が落ちた後、逆恨みして受かった俺の背中刺すとかしゃれにならんが」
必死の意見もハーフ顔の男にバッサリと切られてしまう。本名くらい大丈夫だと思うのだが、意固地になってしまったのだろうか。
そこに売り言葉に買い言葉なのかバナナさんからの強烈な支援が入った。
「いい加減にしてよ! あんたがあんたって呼ばれるの嫌がってるから、この子が提案してくれたんじゃない。ありがとうくらい言えないの?」
「い、いや、バナナさん、お礼とかはさすがに……」
「バナナ、さん?」
聞き返されてさっと血の気が引いた。
まさか心の設定が口から漏れ出てしまうとは不覚にも程がある。
「あ、だってほら、朝、鞄から3本もバナナとりだして一気食いしてたじゃないです……か」
途中からバナナさんの目が怖くて尻すぼみになった。
だが、様子を見ていたハーフ顔の男の人がげらげらと腹を抱えて笑い出した。
「いいね! バナナ、それ採用。ニックネームなら問題ないわ」
「は、はあっ?」
「まあまあ、ええがや。時間もねえし、だで俺もウイロって呼びやあ。名古屋が誇る最高の和菓子だで」
バナナさんはハーフ顔の人、改めウイロさんに何か言おうとして、ぐっと飲み込んだ。
文句を言うには時間がない、その事を思い出したのだろう。
代わりに俺の方へ向き、怒った顔のままぴっと指を突き付けてきた。
「じゃあ、君はイクラくんね。朝、イクラのおにぎり食べてたでしょ」
「をううっ」
きわどい声が俺の喉元から飛び出した。まさかのニックネームの意味無しである。
とは言え、俺も反論する時間は勿論なく、たとえ反論したとしても地雷を踏むだけだ。
苦笑まじりに分かりましたと頷き、黙って様子を伺っていた眼鏡の人に話を振る。
「じゃあ、お兄さんは好きな物とかありますか?」
「……好物ですか。ではパセリでお願いします。大好物なんですよ」
「うええ」
眼鏡の人ことパセリのお兄さんは嬉しそうに答えた。見事なまでに草食らしい。
ちなみにうめき声を上げて顔をしかめたのはバナナさん、おそらくパセリに対して並々ならぬ嫌悪を抱いているようだ。
そして、黒髪美少女に皆の視線が集まる。
彼女は困った顔を浮かべると、もそもそと答えた。
「……じゃあ、お粥で」
嫌そうに答えた顔はさっきのパセリ兄さんとは正反対だ。
なんで好きな物を答えるのに嫌そうなんだろうか、と微妙に引っかかったがこんな時に詮索が許される訳も無い。
彼女はカユさんに決定された。
少し整理する。
姉御肌のバナナに、名古屋弁のウイロ、黒縁眼鏡のパセリと黒髪美少女のカユ、そして名字のまんまイクラの俺だ。
これで2分弱経過、当然なにも決まっておらず、なんとも心臓に悪い。
しかも、選択した解答は見事に真っ二つに分かれており、これから激論になる事は請け合いで……
(ちょっと待てよ。全員の意見を知ってるのって、ひょっとすると俺だけじゃないか?)
他のメンバーは自分が解答したらすぐにどこかへ行ってしまった。
自分の前に解答したパセリとカユの二人はほぼ同時に選択しており、意見が真っ二つとは知る由もない。
確認するまでもなく、全員の解答を知っているのは自分だけだろう。
(つまり、俺が一番この状況をどうにかできる訳だよな。一番学歴のなさそうな俺が身の程知らずなのかも知れないけど、時間を削った責任もある訳だし……やるしか無い、か)
遠慮なんてしてる場合じゃない。
俺は深呼吸をして、どうやって決めるかの話題を始めた面々に向かって再び手を挙げた。
「あの俺、全員の解答を見てたんです。その上でちょっと提案したいんですが、いいですか?」
一瞬、ウイロが顔をしかめたが、俺の顔を見るとあごで続きを促した。
他の面々も特に反対していないようだ。
(よし、大事なのはここからだ)
バイト地獄で培った人当たりテクニックを駆使して全員が納得するようにしなければ、意見が最後までまとまらない可能性もある。
意見が割れたままグダグダに解答して合格とか、絶対にあり得ないだろう。
「俺たちの解答は2つのタイプに別れてました。一つは上陸を目指して行動するタイプ、もう一つはここに残って救助を待つタイプ」
俺が言葉を切った瞬間を狙ったように船がまた少し傾いた。
視界脇にポップアップされているタイマーには残り4分を切ったところだと表示されている。
だが、焦ったらだめだ。焦って説得力が落ちたら、フリーターと軽く見られている自分の意見なんてすぐにお払い箱だ。
「まず方向性を決めるため、どっちのタイプにするかだけ決めちゃいませんか? 多数決とかでいいんで」
パセリがホッと胸を撫で下ろし、眼鏡の奥で目を細めた。
きっと彼もどうやったら上陸を選んだ自信家の二人に意見を言うか迷っていたのだろう。
「ちなみに、イクラはどっちにしたん? 理由を含めて言ってみやあ」
「俺はここに残って救助を待つ方です。海図なんて読めないし、300キロもボートを漕ぐ自信もありませんから」
俺の答えに「やっぱりな」とウイロが薄笑いを浮かべて頷く。
そして、ぴっと人差し指を立てて、自信満々に口を開いた。
「俺は上陸する方を選択したわ。その上でイクラの心配はクリアされとる。俺は海図も読めるし、なにより300キロもボートを漕ぐ必要ない」
「伊豆諸島ね」
バナナの言葉にウイロが意外そうな顔で頷き、「なら説明頼むわ」と会話をバナナに譲る。
「私も上陸を選択したの。何故かって言うと、この船は東京から小笠原諸島の父島まで行く船でしょ。東京から南へ300キロって事は、確か八丈島が近くにあるはずなの」
そうだったのかと俺は地理の授業を思い出そうとするが、小笠原諸島や伊豆諸島すら位置関係があやふやである。
「確か八丈島は東京から南280キロくらいにあるから、少なくとも50キロ以内にはあるはず。海図があればこの船の航路も載ってると思うし、コンパスまであれば八丈島まで行くのは十分可能なはずよ」
バナナの言葉はハキハキとしており、説得力に溢れている。
思わずふむふむと頷いてしまっていた。
「ここで救助を待っていても台風が来るんだし、それなら海図を頼りに島を目指した方が生き残る確率が高いでしょ。私自身は海図が読めないからどうかなって思ったけど、読める人がいるなら間違いなく上陸を目指すべきよ」
いがみ合ってたウイロをリスペクトした意見に、俺は白旗を揚げるしかなかった。
だが、これはこれで結果オーライだ。
みんなが合意して正解さえすれば良いのだ。
しかし、何かが心に引っかかった。
(……でも、海図が読める事が前提な答えってあるのか?)
ひょっとして何かを見落としているのかも知れない。
しかし、それがなんなのかは分からない。
ちらりとパセリに視線を向けるとパセリが頷き、眼鏡を軽く押し上げ、口を開いた。
「僕は救助を待つ方を選択しました。僕もイクラさんと同じ素人だから救助待ちの方が確率が高いと言うのが理由です。特に外洋の怖さはプロでも危険、その海流の速さはオールではどうしようもない……と聞いてます」
「だからその海流を見るために海図があるんだが! 素人なら分かったような口聞かんで欲しいわ!」
ウイロに怒鳴れるやパセリは真っ青になって怯んだ。
その言葉に全く動じずに口を開いたのは、いままでずっと黙っていたカユだった。
「海図を当てにしてるけど、それが正しいって証拠は?」
その静かだが一切怯んでいない口調に、少しだけだがウイロの方が怯んだ。
俺も意外だった。
大人しそうな顔で、しかし、男ですら萎縮するような口調に正面から反論できるなんて。
(それにしても海図が間違ってるって、そんな事は流石にないだろうし……ああ、そうかっ! 海図通りに航行してないって可能性があった!)
胸につかえていた違和感がわかったような気がした。
もし海図通りに航行してなければ、現在地が分からない。現在地を割り出すには手持ちのアイテムだけでは難しいだろう。
この事をどう伝えようか、俺は言葉を選びつつ手を挙げた。
「ウイロさん、さっきぶつかった時に底が削れるような音がしてましたよね。あれって岩礁か何かがあったんじゃないですか? 八丈島とかが近いなら、その可能性だってありますよね」
「そんなんありえんわ。海図には干潮時の水深記載もあって、その通りに航行すれば……ああっ!」
そこまで言うと、ウイロが声を上げて悔しそうに舌打ちする。
「しまった。海図の通りに航行してた保証なんぞないわ。確かに沈没なんて普通に航行してたらありえんわ」
「あー、なるほどね。機器の故障か、もしくは台風が来るから少し避けるようにルートをずらした可能性もあるか」
ウイロに続いてバナナが推察を述べ、俺は巧く気付いてくれたと内心でため息を吐いた。
意見を押し付けると反感が生まれるが、ある程度答えを導き出すと腑に落ちやすい。
コンビニバイトの新人教育を任される時にさんざんやらされた事だが、時間がない時に使うと酷く心臓に悪い。
「現在地も分からんと下手に動いたらまずいのは認める。でら悔しいけど俺らの負けでええわ。多数決でも負けとったしな」
「そうね、時間もないし救助を待つ方向で意見をまとめましょう」
ウイロは悔しいと言う割にさばさばと両手を挙げ、バナナも笑顔で頷いた。
上陸を考えていた二人がしこりなく考えを変えてくれた。
(うおお、なんか俺の苦労が活きてる気がする!)
そんな場合じゃないかも知れないが、内心ではガッツポーズを取りまくっていた。
しかし、まだ終わりじゃない。
残り時間はもう2分ちょっとしかない、この間にさらに意見をまとめなくてはならないのだ。
「じゃあ、救助を待つ組の三人の意見はそれぞれどうなってるの?」
バナナに促され、それぞれ三人が自分の意見を述べる。
まずはパセリがすらすらと選んだアイテムを列挙した。
「僕はラジオ、懐中電灯、ロープ、オール、鏡、シート、コンパス、海図、重油缶の順です。情報収集を一番にした結果ですね。あと、夜には懐中電灯が発見されないでしょうし、ロープは万一台風が来たときお互いの体を縛るのに使えます。ええと、あとは適当ですね」
照れ笑いでしめる。頭が良さそうな彼が選んだのだからラジオの電波はこの辺りでしっかり使えるのだろう。
それにロープの使い方も俺と一致してる。さすがに色々と考えてるらしい。
次はどちらかとカユを見たが、口を開く気配がないようなので、お先にと解答を述べる。
「俺は台風対策がメインでロープ、シート、懐中電灯、ラジオ、鏡、ええと後は不要品として適当にオール、コンパス、海図、重油缶です」
言った後でカユを見ると、彼女は僅かにため息を吐いて頷く。
その様子は、まさかあり得ないと思うが、少しやる気が無いようにも感じられた。
「私は鏡、懐中電灯、ロープ、オール、シート、重油缶、ラジオ、コンパス、海図の順です。海だと昼間は乱反射がきつくて見え難いって聞いた事があるから」
淡々と話した後、ウイロがちょいと突っ込んだ。
「オカユさん、重油缶の順位が少し高いようだけど、何に使うつもりだったん?」
「……中身を捨てれば浮き輪の代わりになるかと思っただけ。でも……」
その後でカユは奇麗な瞳でじっと俺を見つめた。
思わず顔が火照る。赤くなるエフェクトとか発動してない事を願う。
「彼の、イクラの意見が正しいと思う。まず台風対策をすべき」
思ってもいない意見に驚きの声が出かかるが、どうやら驚いたのは俺だけのようだった。
バナナがうんうんと頷きながらなるほどねと口を開く。
「さっきの海図が信じられないって事と一緒で、台風が明後日に来るって情報も疑うべきって事ね」
「台風の速度なんて平気で一日二日変わるし、波の影響も海の状態で変わるからな」
意外と息があうのだろうか、バナナの後に拍子を入れるようにウイロが補足を入れている。
「……あの、ラジオはどうでしょうか?」
パセリが恐る恐る聞いてみると、ウイロがパタパタと手を振った。
「ないない、そんな役立つ情報がラジオから聞ける分けないわ。台風が早まったとか捜査打ち切り情報くらいは聞けるかもしれんけど、だから生存率が大幅アップするとは思えんわ」
その意見にパセリはがっくりと肩を落とした。
ゲルマニウムラジオにどれだけ思い入れがあったのだろうか。
だが、それでもパセリはずり落ちた眼鏡をかけ直して顔を上げる。
「分かりました。では、ロープが一位でいいですね?」
だれからも異議は上がらなかった。
一応自分の意見が通った事になり、これだけでも結構嬉しいものだ。
「で、イクラくんの二位にあがってるシートだけど、使い道は?」
「台風時に傘の代わりに使おうと、それだけなんですが」
バナナの問いに自信なさげに答えると、パセリが顎に手をやってふむと頷く。
「オールを支柱にしたらいい感じに雨避けになりますね。水を掻き出すバケツの代わりにもなりますので、シートが二位でいいと思います」
「異議無し、次行こうぜ」
ウイロがあっさりと認めてしまったので、逆に俺は不安になって来る。
「い、いいのかな?」
「なんで私に聞くの?」
カユに真顔で返されてしまった。
だが確かに残り1分、確かに迷っている暇すらないんだった。
「なら次は、オールね。誰かが溺れた時に助けに行けるわけだし」
「あ、そうか。オールなんて要らないかと思ったけど、そりゃそうか」
「おいおい、イクラちゃん。しっかりしやあ」
「僕も意義ありません。次行きましょう。カユさんも良いですか?」
「いい。次は鏡?」
「オッケー、救難信号需要だわ」
「なら次は懐中電灯ね」
みんなが一秒を無駄にしないよう、そして後悔しないよう必死で答えを模索する。
そうする事で5人が加速度的に噛み合ってくる。
(なんだろう。心臓はバクバクいいっぱなしだけど……めちゃくちゃ楽しい!)
それは巧く意見が通っている俺だけなのかとも思ったが、周りの面々も緊迫してるものの言葉が弾んでいる。
どうなるかと思ったが、この短い間にチームとしてまとまってしまったようだ。
「イクラさん、ラジオはコンパスより海図より上ですよね」
「あはは、パセリさんラジオ好きですよね。俺もラジオ好きなんですが、でも重油缶とどっちが使えますかね」
「あ、そうだ! 重油缶をロープで縛って錨にしたらどうかな?」
バナナの一言にみんなからどよめきが起こった。
「シーアンカーか、バナナでらナイスだわ!」
「俺も賛成です。浅瀬の可能性が高いですから、十分底に沈められると思います」
俺が頷くとパセリがまたずり落ちた眼鏡をかけ直し、加熱した空気を冷静に戻すように落ち着いた言葉を差し込む。
「となると……オールよりも順位を上げますか?」
「……だな、この場所に留まる事が出来たら救助率が一気に上がるわ」
「なら残りはコンパスと海図?」
カユの言葉に俺は頷く。
「どっちでもいいけど、コンパスは日時計にもなるし上で良いんじゃないですか?」
「そうね、海図があると動きたくなっちゃうし」
バナナが笑いまじりにそう答えた時だった。
『試験時間、あと10秒です』
脳内にアナウンスの声が響いた。
あっという間に時間は経過してしまったのだ。
だが、皆で合意できた答えも何とかできあがっていた。
「答えはイクラくんが選べば良いよ」
バナナが言うと、やはり見事なタイミングでウイロがフォローを入れる。
「イクラが色々考えながらやっとったのは知っとるわ。いいからはよ選びや」
「は、はい」
時間はもうあと5秒。
間違えないように慎重にタッチする。
ロープ、ビニールシート、重油缶、オール、鏡、懐中電灯、ラジオ、コンパス、海図
タッチし終わると同時にアナウンスが頭の中心で響いた。
『お疲れさまです。以上で試験は終了です』
同時に船の傾きが元に戻った。
(これで全てが終了、か)
誰もが極度の緊張から開放され、一瞬気を緩めた時だった。
目の前にあった救命ボートとその前にあった9つのアイテムが一瞬で消えた。
代わりに30センチ程のシルバーのプレートが出現し、プレート上ではログインと赤い文字が点滅を繰り返す。
次の瞬間、人影が空間の隙間から滑り落ちたように現れた。
男はオールバックの髪に、高級スーツを身にまとったナイスミドル。
「やあ、皆さんはじめまして。おっと、伊倉君は昨日ぶりかな」
爽やかにそう言い放ったのは間違えようも無く、アイナ株式会社の会長、川瀬アキトその人であった。