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『筑波行き、まもなく発車します』
相変わらずの無愛想なアナウンスがホームに響く。一時期は人員削減で人工音声に変わったが、雇用促進と臨機応変に対応できる云々の流れで再び肉声に戻ったのだ。
俺はスポーツバッグをお腹に抱えたまま列車内へ入り、なるべく人気の無い座席を探す。
『扉閉まります。ご注意下さい』
幸い、まだ朝の5時を少し回ったばかりと言う事もあり、始発のリニアの中はチラホラと人がいる程度、人気の無い場所はいくらでもあった。それでも俺は慎重に壁際の席に腰掛けるとスポーツバッグを胸元に引き寄せ、うっすらと開ける。
「……ふぅ」
中には十万円の札束、しめて一千万円也……大金を手持ちする事がこんなに怖い事だとは思わなかった。
21世紀の初期、なんと日本政府主導のもと外国人が大量に流入し、治安の悪化が一気に加速した。のんびり気質の日本人はそこにいたってようやく重い腰を上げ、政治家の条件やら資格やらを整備し、また熱意と実力を伴った政治家に表が入るよう工夫し始めたのだ。
しかし、加熱した行動はいつも極端になるもので、政治改革だ何だのドサクサにまぎれた極端な国民ID制を強引に推し進められる事になった。お陰でようやく不法滞在者が減ってきたのはいいが、自分がそうなる一歩手前だったように、ID制でリアルに死人が増えたのも確かだ。
結果、貧乏が死に直結するようになり、何故かスリや強盗などは減らない状況が続いている。
こんなご時勢なので、こんな現ナマは早く銀行に預けてしまいたいのだが、まずはさらに優先事項がある。
「ええと、たしかこの辺に……」
カバンの内ポケットをあさり、中から一枚の名刺を取り出す。白地に黒字のどこから見ても普通の名刺――だが、紙面に書かれている内容はぶっ飛んでいた。
『アイナ株式会社 会長 川瀬アキト』
何度読み返しても笑えてしまう。あの黒スーツのナイスミドルが長きにわたり憧れたアイナ社の会長だというのだ。
『伊倉君にその気があるなら、この名刺を明日に筑波アイナ支社の受付へ渡しなさい』
そう言って会長直々に渡されたのがこの名刺である。
『まあ、仕事をやってもらうに当たって簡単な試験があるんだが、君ならきっと受かってくれると信じてるよ』
会長は少しニヒルな笑みを浮かべてポンポンと俺の肩を叩いた。お陰で家にも帰らず、お金も預けられず、筑波行きのリニアがある魔都秋葉で一泊する事になったのだ。
しかし、体内時間が狂いまくっているせいか、起きたのは3時。それ以上はとても寝られそうになく、この時間に電車に乗った次第である。
(会長ねえ……)
会長と言うポジションがどう言うものかすら良く分からないが、社長かそれ以上に偉そうなイメージがある。あろう事かそのお方が、中卒で実績も何もない自分に仕事のオファーとは……
また密室的な仕事かとも思ったが、それなら「一緒に電脳世界を創ろう」なんて言葉は少し違和感がある。
あれはもう少し、何と言うか、挑発的だった。
「それにしても簡単な試験、ねぇ」
名刺をカバンの内ポケットへ丁寧にしまいながら眉をひそめる。
試験……プログラマーやシステムエンジニアとしての素養だとかを求められたら一発でアウトである。そもそも、一般教養ですら怪しいのに。
「まあいっか。迷わず行けよ、行けばわかるさと昔の偉い人も言ってたからな」
失敗しても失うものなど何も無い――そうだ。俺には本当に何も無かった。
夢という言葉が嫌いになるほど借金返済しかなかった人生、それは独立しても同じ、生きるために日々の衣食住を維持するので精一杯、何かをやりたいなんて選択肢はなかったのだ。
それが今、始めて選択の予知が生まれた。憧れだったVR技術の最先端に関わる仕事を選べるかもしれない。
あの光景を、あの世界を、本当に自分の手で創ることができるかもしれないのだ。
「やっばい! 楽しすぎる! 妄想がとまらん」
こうして俺は人気のいないことを良い事に、札束のバッグを抱えて身悶え続けた。
駅を降り、改札口を通ると見渡す限りの無人の広場が広がっていた。
「あはは、さすがに早過ぎたか」
研究都市筑波、日本の誇る技術が集まる街は行き過ぎとも言える都市計画を延々と押し進めたせいか無機質な感じがどうしても拭えない。
そして朝6時、既に空は青さを取り戻していたが人気の無いガランとした町並みは、無機質な傾向をよりいっそう顕著にしていた。
「うーん、ここでじっとしててもしょうがないし、モノは試しだ。行ってみるか」
そして、駅前の地図を頼りにアイナ社へ向かうと15分も経たないうちに着いてしまった。
2メートル以上はあるだろう白い壁と、その向こうには少なくとも30階以上はある巨大なガラス張りのビル。そのビル最上階にアイナ筑波支社の文字が朝日に燦然と輝き、間違いなくここが目的地である事を告げていた。
さすがに朝6時とあってビル正面にある大きな門は閉じられていたが、その脇にある窓口奥で制服姿の初老の男が、何やらモニタに向かって打ち込み作業を行っているのが見えた。
「あの、すみません」
「ん?」
打ち込みを中断して顔を上げた初老の守衛さんは、俺の姿を見て驚いたように目を見開いた。
ポロシャツにジーンズ、特に深く考えずにいつも通りの格好できてしまったが、会社に来るには非常識だったかもしれない。今更ながらにスーツを買うべきだったかと後悔するが、今更後にも引けない。
「あの、受付に行きたいんですが入れて頂けますか?」
「……ああ、もしかして入社希望の人?」
「あ、はい。そうです!」
「あはは、気合い入ってるね。まだ6時だよ」
そう言うと初老の守衛さんはしっかりとした歯並びの笑顔を見せてくれた。朝日を薄く浴びて非常に爽やかである。
「あはは、やっぱり早過ぎましたよね。すみません」
「いやいや、いいよ。最近は気合いの入った若者ってのは中々見なくなったからね。じゃあ、この端末にIDカード、こっちに指入れて」
老人はうんうんと頷きながらパネルをひょいと差し出してくれたので、自分の国民IDカードを端末にかざし、その隣の機器に人差し指を入れ、毛細血管パターンを読み込ませる。
「はい、確かに。じゃあこのバッチを胸に付けて。バッジを失くすと中で閉じ込められて大変だから注意してね。あと、変なとこ行かないでね。このバッチじゃ1階までしか入れないから」
「機密情報が多そうですもんね。気をつけます」
「じゃあ、そこの門のとなりにある改札口から入って。受付は入ってひたすら真っ直ぐの場所にあるから」
守衛さんに礼を言って改札口に向かうと、バッチにICタグでも入れてあるのか自動的に改札口が開いた。
「さてと、受付は……と」
守衛さんの言う通りひたすら真っ直ぐ進むと、やがてビルの正面口に突き当たり、自動扉を開けて中へ入った。
「お、あった!」
ほどなく受付と書いてあるプレートを見つけた。だが、その辺りに人気は無く、照明もついていない。
「よく考えたら受付の人が来るのは9時くらいだよな……どうしようか」
受付脇にある社内マップを見ると、受付からそう遠くない距離に食堂の文字を見つけてしまう。朝食を食べていない事を思い出し、空腹感が一気に加速する。
食堂もこんな時間からやってるわけないか、と思いながらも淡い期待を捨てきれず向かってみることにした。
「おお! おにぎりがある!」
薄暗い食堂は人っ子一人いなかったが、その片隅でぼんやりと光っていたのは自動販売機の群れ。ジュースにスナック、カップラーメン、そして中々レアなおにぎりの自動販売機まであったのだ。
おにぎりの自販がレアなのは、そのコストパフォーマンスの悪さからだ。おにぎりの冷凍維持とそれを解凍する装置が高く、電気代もバカにならないため500円の価格でも元が取れない――とバイト先だったコンビニの店長から聞いた事がある。
だが、ここの価格をみてビックリ。驚きの200円であり、普通に売っている缶ジュースの半額である。
他の自動販売機をよくみるとジュースも100円、カップラーメンや菓子パンも200円と、今時ディスカウントモールでもありえない価格だ。
「これが噂の福利厚生か。やっぱり大企業は違うなぁ」
いつもなら嫉妬まじりの言葉だったかもしれないが、ここで働けるかもと言う期待からかニヤニヤが止まらない。
自販にIDカードと毛細血管パターンを読み込ませ、一番高そうだと言う貧乏性の抜け切らない理由でイクラのおにぎりを購入する。
待つ事約10秒、パネルに出来上がりの文字が浮かぶと、取り出し口では熱々のおにぎりが俺を待ち構えていた。
この自販、基本はレンジと同じ機構なので温めるとイクラが弾けそうなものだが、指向性電磁場だとか解凍エネルギーの差分だとかでイクラはほどよく常温で、米だけが熱々で完成される。日本の心とも呼べる秀逸なマシンなのである。
「いただきます!」
ガラガラの席に陣取り、手を合わせて農家の方に感謝を表すや否や、熱々のおにぎりにかぶりつく。熱々の米に新鮮そのもののイクラが口の中で弾けて混ざる。
うまい――と声を上げようとした時だった。
「おはようございます!」
ハツラツと言う言葉を一歩踏み越した大声が食堂に響いた。
吹き出し掛かった米粒を唇でなんとかおさえる。
(な、なんだ?)
見ると食堂の入り口からスーツに身を包んだ女性が胸を張って入って来るのが見えた。ベリーショートで背は中くらい、スーツさえ着ていなければ爽やかスポーツ系女子と言った印象だった。
社員の方かな――と思っていると女性がこちらに気付いて勢い良く頭を下げた。
「宜しくお願いします!」
「う? え、えーと、よろしくお願いします」
俺はうろたえながらも必死で空気を読んでみると彼女は満足そうに笑顔を浮かべ、俺のテーブルから少し離れた所に座った。
やや上機嫌そうな彼女とは反対に俺の心は一気にざわついていた。分かって欲しい。これから入るかも知れない職場の挨拶がこれかもしれない。このテンションをデフォルトで要求されるかもしれないのだ。
(毎日は無理だなぁ……)
俺の失意を知ってか知らずか、スーツの女性はテーブルの上に置いたハンドバッグをガサゴソとまさぐると、中から黄色く細長い物体を取り出した。
(……バナナ?)
それはまぎれも無く見事な曲線を描いたバナナであった。
そのままバナナを流れるような動作で皮を剥くや、女性は二口でそれを完食してしまった。さらに、バッグに手を入れると新たなバナナがニョッキリと顔を出す。
(い、いや、おかしくないよな? 朝食にバナナってあるし、俺だってここで食べてるし、バッグの中がバナナだらけでもおかしくない、はず)
俺がじっと見ていると視線に気付いたのか、スーツの女性にキッと睨まれた。
「あの、なんですか?」
「い、いえ、なんでもありません。素敵なバナナですね」
一瞬の無言。
俺は微妙な回答だったかと反省するも、彼女はフッと鼻で笑うと残っていたバナナを口にねじ込み席を立つ。
そして、彼女は胸についているバッチをとんとんと叩く。そのバッチは自分のと同じ、守衛さんにもらった臨時バッチだ。
「あなたもそうだったのね。その格好だからすっかり間違えちゃった。じゃ、また後でね」
そう言うと颯爽と手を振って食堂から出て行ってしまった。
「……今の、なんだったんだ?」
俺の声は、誰もいない食堂にむなしく消えて行った。
「ごちそうさまでした」
気を取り直しておにぎりを完食し、手を合わせて米を作った農家の方へ感謝の意を飛ばす。
そして、壁にかかっている時計を確認したがまだ8時にもなっていなかった。
「受付が来るのって9時くらいか、どうしようかなぁ……ふぁあああ」
空腹が収まると、今度は狂った体内時間のせいで急激な眠気に襲われる。
会長は別に時間を指定してなかったはずだ。少しだけなら寝ても良いだろう、と食堂のテーブルで仮眠を取らせてもらう事にした。
「あの、もしもし」
小さな呼び声に薄目を開けるとスーツ姿の気弱そうな男が苦笑を浮かべていた。
歳は20代中盤くらいだろうか、強制視力なんて雑作も無いこのご時世に黒縁の眼鏡をかけている。
「あ、はい。すみません!」
ここの社員かと思い、慌てて飛び起きる。時計を見ると既に9時半を指していた。
「あ、いや、僕もここの社員って訳じゃなくて、ほら、君もそうなんでしょ?」
そう言って俺のバッチを指差し、そこで何となく理解した。
おそらく今日入社するのは俺だけじゃなく、何人かいるようだ。さっきの女性もその一人なのだろう。
「ええと、受付済ませた?」
「あ、いえ、まだ受付には行ってませんけど」
「ええ? じゃあ急がないと。もうすぐ始まっちゃうよ」
「へ? はじまるって?」
「とにかく急いで! 僕は先に行ってるから、早くくるんだよ」
男に急かされるままに俺は受付に急いだ。
と言っても受付は食堂のすぐ近くである。すぐに受付に着くと、そこには女性が姿勢を正して座っていた。
「あの、すみません。これ」
そう言って会長の名刺を渡すと、受付の人は一瞬驚いた顔をしたがすぐに「伊倉様ですね、承っております」と笑顔を見せる。
あの会長の話は嘘ではなかったと少しホッとした俺に、受付嬢は先程渡した名刺と同じサイズのデバイスをカウンターの下から取り出した。
「これを持って右手奥にありますエレベータで31階のホールへ行って下さい。間もなく始まりますから」
先程の男と同じような事を言う。
「あの、始まるって何が……」
「急いで下さい。遅れた場合、自動的にキャンセルとなりますから」
キャンセル、つまりこの話が無かったことにされる――慌てて右手奥に向かい、ちょうど一階にあったエレベータに乗り込む。
(始まるって、一体何が……)
嫌な予感がぐんぐんと高まる中、エレベータはあっという間に31階にたどり着き、静かにその扉を開いた。
「なっ?」
目の前にはスーツ姿の男女、およそ1000、いや、2000名はいるだろうか?
呆然とエレベータから降りると、ピリピリした空気の中が肌を刺す。
どこを見ても20代前半から中盤の男女、妙に頭の良さそうな人ばかりで、しかもその誰もが必死に集中力を高めているように見えた。中には携帯の投影画像で必死に勉強している集団があり、なにやらSPIだのそんな文字が読み取れる。
(これって、もしかして……)
その時、会長が俺の肩を叩きながら言った言葉が頭の中に蘇る。
『まあ、仕事をやってもらうに当たって簡単な試験があるんだが、君ならきっと受かってくれると信じてるよ』
(簡単な試験って、まさか……)
やがて、時刻は10時5分前、ホールの壇上に中年の男がツカツカと上がってきた。
男の着ているスーツはここに集まっている皆が着ている黒っぽいスーツとは趣が異なり明るいグレーで、光沢があり、見るからに高級そうだ。
男はジロリと会場内をなめ回すように見ると、ゴホンと咳払いをした。
「では、ただ今より株式会社アイナの入社試験を初める」
「あー!」
俺は、そう叫ばざるを得なかった。