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 密室に閉じ込められてから、小一時間程度が経過した。

 部屋の中は相変わらずどこに継ぎ目があるかも分からない程真っ白である。

 当然、あの頑丈な扉の裏側も綺麗に白に塗装されており、唯一の模様と言えば片隅にある和式のトイレくらいだろう。

 だが、そのトイレですらご丁寧にも壁と寸分たがわぬ白で塗られ、トイレットペーパーですら壁にカッターで入れた切込みのような場所から細々と出てくる仕組みになっていた。

 少し離れると視界どころか意識からもトイレが消えてしまう。

 あと、当然のことだが窓など一つもなかった。


「よっこらしょっと」


 椅子も無いのでトイレと反対の壁に背中を当て、あぐらをかいて座ってみる。

 確かに変な部屋ではあるが、ここにいるだけで金がもらえるならこれほど楽で美味しい事は無い――と思っていたのは最初の30分くらいだけだった。

 どこにいても何をしていても全然落ち着かない。


「あー、なるほど。これは……長くいると、すごい事になりそうだ」


 わざとらしく軽い調子で声に出してみたが、変に反響してますます不安が募る。

 時間を稼ぐために寝てみようか、と一瞬思ったがまだまだ夕飯前、宵っ張りな自分が寝るには早過ぎた。

 あの白衣の男は何もしなくていいと言ったが、何もしないと言うのはそれだけで結構辛い拷問である。

 仕方が無いので軽く目を閉じ、昨日寝る前に読み切った本の内容を、できるだけ事細かに思い出してみる事にした。


(あの本、冒頭はどうだったかな……ああ、そうそう。学校にヤクザが押し掛けてくるところからはじまったんだっけ)





 ガタガタ


 物音がして、慌てて目を開けた。

 どうやらいつの間にか寝ていたらしい。


「あれ? 今何時くらいだ? まだ18時くらいか?」


 頭の中を整理してみようとするが、周りが白くまぶしいせいで思考がまとまらない。平衡感覚すら怪しいせいで、立ち上がることも出来なかった。


 カチャ


 軽い金属音がしたかと思うと、壁だと思っていた一部、床に近い部分が上にスライドして30センチ四方の小窓が開いた。

 そこから真っ白い皿が差し入れられ、皿にはカロリーメーカー1箱と大きめの野菜ジュースが無愛想にのっている。

 どうやらこれが晩ご飯らしい。

 いや、ひょっとすると晩御飯を寝過ごしてしまい、これは朝ごはんなのでは? と言う疑問が頭の片隅に引っかかる。


「うーん、時間の感覚が狂うなぁ」


 そう言った自分の声が狭い部屋に反響し、妙に息苦しさを覚える。

 だが声でも出していないと心細さに押しつぶされそうになってしまう。

 気がつけば頭の中で思えばいい事を、なんとなく口に出してしまっていた。


「よーし、まずはメシでも食べるか」


 と気合を入れたものの、カロリーメーカーのチーズ味は数秒で平らげてしまい、おまけに全然足りない。

 空腹には慣れているのだが、19歳の胃袋には少な過ぎるのだ。

 名残惜しくカロリーメーカーの空箱を眺めていると小窓が再び開いたので、あきらめてゴミを乗せたトレーを窓際に置く。

 すると、これまたご丁寧に白いゴム手袋をした手がスッと回収し、その後すぐさま小窓のあった部分はのっぺりとした壁に戻った。

 確かめてみるが内側からは爪すら掛からない。

 再び何も無い時間が訪れた。


「やっぱりメシは質素なんだな。それともこれも何かの実験ですかー?」


 問いかけてみるが返事など無い。ただ、反響音で息苦しさが増しただけだ。

 胸にたまった何かをどうにかしたくて、叫んでしまいたい衝動に駆られてくる。

 このままでは一日すらもたないかもしれない。


「まずいなぁ、最後まで残ればボーナスだってのに……また本でも思い出そうかな」


 しかし、忙しかったせいで本などそうそう読んでいない。あやふやな記憶を思い返そうとするのは結構苦痛だ。

 もっと他に思い返せるものはないだろうか?


「……人生」


 ポツリとつぶやいて、うんと頷いてみる。

 これほど長く、また思い出し甲斐のあるものも無いだろう。

 壁に寄りかかってあぐらをかくと、俺は生まれてから今までの19年間年を振り返った。


 伊倉ハルは普通の家庭に生まれた。ただ、ほんの少しだけ両親が大人に成りきれていなかっただけだと思っている。

 両親は稼いだ金を生活費よりも遊びに使い、服やオーディオ、車に旅行など、欲しいものを我慢できない体質だったのだ。

 もしくは、浪費する事が快感だったのだろうと言った人もいるが、今となってはどちらでもいい。


 そして、伊倉家が決定的におかしくなったのは、家だ。

 この21世紀末、昼夜温度変化の少ない家を持つ事は夢であり、またそれに呼応するように家の価格はさらに高まっていた。

 人工の減った今、土地の価値こそ下がっているものの、高性能な家は最高のステータスだった。


 そんなわけで両親は突如住宅熱に犯され、その数ヶ月は妙に意気投合するや、あっという間に豪邸を建ててしまった。

 分不相応な長期ローンを残して。

 そして、その超絶ローンは伊倉家の生活を一変させた。

 食費に掛けられるお金も激減し、当然、趣味になど使える金はなくなる。

 結果、両親の機嫌は悪くなり、お互い責任をなすりつけ合い、少しでも自分の趣味のお金を確保することに全力を尽くした。


 そうなると、力の無い者の金は真っ先に削られることになる。

 お小遣いなどは生まれてこの方貰ったことも無いが、服は中古でセンスのかけらも無いものになり、散髪も自分でやらされる、ついで食費へとシフトしていった。

 気がつけば俺の高校進学すら許されず、ローン返済のためにフリーター人生を余儀なくされたのだ。


 そして、16になった頃、驚愕の事実を知ることになる。

 ローンの半分以上をこれからの自分が支払う事になっていたのだ。

 それでも一人で生きる自信が無かった当時は、とにかく必死で働くことにした。

 何も考えられなくなるように、疲れ果てるまで。

 働いて働いて……しかし、手元には当然なにも残らない。


 しかし、ある日とうとう考えてしまった。

 この先、自分はどうなるんだろうか?

 働いて、老いて、朽ちる。

 それでも返済しきれないだけの額を背負わされている。

 いったい、俺の人生とはなんだろうか?


 ぐったりと家に帰った後、両親が俺の次の働き口をどうするかで口喧嘩している様を見て、17になった俺はとうとう決断した。

 クーデターまがいの独立である。


 とは言え、すぐには実行できなかったが、やっとのことで独立できたのはつい1年前。

 独立後の生活費を少しずつ、それこそ身を削るようにしてため、友人に相談しながら役所へ連絡。

 中古のSDボイスレコーダーで証拠を集め、そして絶縁を成立させるや独立を果たしたのだ。


 その後の親やあの忌々しい豪邸がどうなったか、俺は知らない。

 ただ、生んでもらったとか育ててもらった恩は、もう十分支払ったと思う。

 依存されるだけの人生なんて真っ平だ。貧乏でも、それでもいい。

 せめて自己責任で生きたいのだ。


「いかん、眠れなくなった」


 延々と今まで事を思い返していると、時間をつぶせたのは良かったが、胸がざわついて眠れなくなってしまった。

 しかも、この部屋は目を閉じてもうっすらと明るいほどにまぶしい。

 間違って目を開けると、天井一面に広がるLED照明を見なくても白が痛いほど目に刺さってきた。


「ぬうう、深夜くらい照明を消してくれていいのに」


 ブツブツと文句を言ってみるが消してくれるわけも無く、それも実験とか何とかなのだろう。

 だんだんと胸のざわつきが大きくなっていく。


「いかんいかん! このままじゃ最初の脱落者になってしまう。過去はだめだ、未来のことを考えるぞ」


 段々声がでかくなってきているが、そんな事にも気がつかないで気持ちを切り替えるために深呼吸をしてみる。


「よし、ポジティブ、ポジティブ……そうだ! このバイトが終わって金が入ったら何に使うか考えてみるか!」


 結果から言うと、この作戦は非常に良かった。

 滞納していた家賃を完済した後、何を買おうかと考えていると急に眠気が襲ってきたのだ。

 おそらく、時間は既に明け方に近かったのだろう、眠くなると睡眠までは一瞬だったように思える。

 憧れだった最新のバーチャルヘッドマウントディスプレイを購入する妄想を抱きながら、俺はいつのまにか眠りについた。


 翌日、物音で目が覚めると目の前には食事が再び用意されていた。

 相変わらずのカロリーメーカーと野菜ジュース。

 だが、それが朝ごはんなのか昼ごはんなのかまったく分からない。今が何時なのか分からなくなってしまったのだ。


「まさか、昼と夜が分からないことがこんなにストレスになるなんて」


 人間は思っていたよりもよほど昼夜のリズムが必要な生き物だったらしい。

 とにかく食事の間隔が最も長いところが夜なのだろう、と当たりをつけてたが、時間の長さを計測できない。

 時間の進み方が感覚で分からなくなってしまったのだ。


 ここからは酷かった。

 微かな物音にも過剰に反応するようになり、ご飯が出されるたび腰を浮かして驚いてしまう。

 始めは過剰に反応して恥ずかしいと思っていたが、すぐに驚くことが普通になっていく。

 カメラで見られていると言う意識が消え、同時に恥もなくなったのだ。

 無意味に立ったり座ったりする行動が増え、自分の呼吸がうるさく感じられる。

 耳鳴りがやまない。


「まずい……何かしないと」


 苦し紛れに小さい頃から知っている歌を順番に歌い始めた。

 だが、思ったより歌詞を忘れていることに気付き、嫌になってすぐにやめてしまった。

 次に何をしようか、鬱屈した思いから何か突拍子も無いことをやってみたい衝動に駆られてしまう。

 例えば裸になって便所のそこの水をそこらじゅうにぶちまけたくなったり、壁を血が出るまで殴りたくなったり。

 しかし、それをやってしまえば、おそらく実験は中止だろう。

 どれくらい経過したか分からないが、食事の回数からたぶん4、5日程度――まだ一週間にすら到達していないのだ。

 せめて10日は頑張りたい……そう思っていたが、ストレスは既に限界まで達していた。


「アーッ!!」


 つい、息苦しさのあまり力の限り叫んだ。

 頭がおかしくなりかけているのだろうか?

 そんな時、最初にサインした誓約書が頭をよぎる。


『いかなる精神的障害が発生しても甲は乙に対して責任を追求しません』


 そうだった。

 だから、奴らは誓約書なんか書かせたのだ。

 もうだめだ。これ以上いたらおかしくなる。

 限界だ。

 でも、


「あと一日、あと一日だけ」


 喉元まで「出してくれ」と出かかったが、ギリギリのところで飲み込む。

 ここでギブアップしたら、いくら貰えるだろうか?

 今が5日目だとして時間に直すと120時間程度、給料が多いと言うことを鵜呑みにしたら、昨今のバイトの平均時給である3000円のさらに倍、例えば6000円もらえるとしよう。

 それででも約72万円。

 確かに家賃3か月分の滞納費60万円はなんとか稼いだかもしれない。

 しかし、来月になればもう払えない、別の仕事を探すしかないだろう。


 今の見積りは我ながら甘くやったが、それでも今月限りの生活費しか稼げていない。

 効率よく稼ぐためには、ここで1円でも多く稼がなくてはいけない。

 貧乏人に選択などない。

 選択する側に回りたければ、お金が必要なのだ。


 ガタガタ


 悩んでいた矢先、何回目か分からないカロリーメーカーと野菜ジュースが部屋に運び込まれた。


「あと、3回分の食事まで我慢だ」




 黙々と食事を食べる伊倉ハルの様子を、白衣の男がディスプレイ越しに眺めている。


「イクラちゃん、頑張るねぇ。あー、でもそろそろ限界っぽいね。うんうん」


 白衣の男は満足そうに頷いた。

 モニタールームで監視しているのは現在、この白衣の男が一人きり、そして点灯しているディスプレイもまた一つだけ。


「他が思ったより早くリタイヤしちゃったからねぇ。イクラちゃんにはもう少し頑張ってもらいたいけど、無理かなぁ。できればイッちゃってくれれば久々の当たりサンプルなんだけどね。ウックック」


 誰もいないのに口元を押えて笑っていると、背後からノックの音がした。


「ハイハイ、どうぞー」

「やあ、砂原君。調子はどうだい?」

「会長!」


 入ってきたのは高級そうなスーツに身を包んだ白髪交じりの男。

 年齢で言えば二人は大差ないのだが、その貫禄に雲泥の差が表れていた。


「挨拶はいい。実験の方はどうなった」

「ハイハイ。今回は3日超えしたのがいますよ。ほら、今は食事が終わって紙パックで遊んでます。かなりキてますねぇ」

「症状は?」

「独り言に奇声が少々、脳波もβ波がほぼ10割。レベル3ってところでしょう。ウックック」

「……分かった。砂原君、引き続き頼む」


 ディスプレイから目を背けるように踵を返すと、会長と呼ばれた男は早々に部屋を後にしようとした。


「おやおや、彼やばいですよ。本当に止めなくていいんですか?」

「――構わない。データ収集が最優先、それは彼自身も納得済みのはずだ」


 最後にもう一度だけディスプレイを一瞥すると、そこに頭を壁に打ち付ける少年を見て一瞬だけ顔をしかめた。

 だが結局、男は何も言うことなく部屋を後にした。


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