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 カユに手を引かれて連れて行かれた先はメディカルセンターの5階――つまり別館の最上階だった。

 階段を上がったところでデンと待ち構えていたのは頑丈そうな鉄板扉。工事現場などで使われる黄色の下地に、黒字い太字で『最機密案件取扱中 立入厳禁』と脅すように書かれている。


(なんか、ずいぶん物々しいんですが……)


 ごっつい鉄板扉には取っ手すら付いておらず、代わりにインターフォンがありそうな位置に手を模した形の銀色のプレートが張り付いている。

 おそらくここに手を当てて毛細パターンでも認証するのだろうが、他のIDカードで開く扉とは明らかに一線を画していた。


「えーと、本当にここだって言われたの? 階とか間違えてない?」

「ない」


 カユは妙に自信満々で頷くと、今までずっとつまんでいた俺の裾を離し、銀色のプレートにそっと手を押し付けた。


 ピッ


 ごく短い電子音と同時に鉄板扉はあっさりと開き、扉の向こう側がカユの頭越しに見えた。


「おお……」


 思わず感嘆が漏らしてしまった。

 てっきり会議室くらいの小さな部屋かと思っていたが、学校の教室を4つほどあわせたほどの広さがあり、高さも5メートル以上はある。

 部屋の中で思う存分バスケが出来るサイズだ。


 天井はやや灰色がかっているものの、壁はあの密室と同じように真っ白で、距離感がおかしくなりそうだ。

 その中で嫌でも目に付くのは、広大な部屋の中央にデンと鎮座している巨大な円柱状の黒い箱。


(なんだあれ? 何かの機械か?)


 だが、何の機械は全然分からない。

 その巨大さたるや、高さは天井に届きそうなほどで、直径は車がスッポリと入るほどの大きさがあった。

 真っ黒い物体の上部からは白い光が数箇所から漏れ出ており、中からはうなり声のようなものがかすかに聞こえる。

 まるでクジラが直立でもしているような威圧感だった。


「まさか生き物とかじゃ……ないよな」


 黒い箱を見上げながらフラフラと部屋の中へ入っていくと、広大な部屋に別の声が響く。


「やあ、イクラちゃん。また会えるとは思って無かったよ!」


 ビクリと体を震わせて声のした方を見ると、眼鏡をした冴えない中年男がよれよれの白衣に手を突っ込んで立っていた。

 あの密室バイトで受付、及びアナウンスやら色々やってた人だ。

 名前は確か――


「ああ、砂原さん!」

「だ、か、ら、本名言わないでくれる?」

「す、すみません」


 砂原はまったくもうと笑顔のまま呟くと、視線を俺の隣にいたカユへ向けた。


「ええと、君はカユちゃん……で良かったっけ?」

「はい。よろしくお願いします」

「結構結構、可愛い子が増えるのは大変良いことだね。うっくっく」


 喉の奥で笑うと、砂原はそこらパイプイスを引っ張ってきて俺達の前にどっかと腰を下ろした。

 ちなみに俺たちは立ったままだ。


「ええと、なんだっけ? そうそう、君達の仕事を説明するんだった。なんで研究者の僕がやるのか意味が分からないよね」


 面倒くさそうに言った割には、顔は実に楽しそうだ。


「君達の仕事内容を簡単に言うとだね、うーん……こいつの中に入って生活してもらうってトコかな」


 砂原が親指で指し示した先にあるのは巨大な黒い物体だった。


「こ、この黒いデカブツの中に入るんですかっ!?」

「ひゃっひゃっひゃ! イクラちゃんは実に良い反応してくれるね、いいよ、いい!」


 砂原は膝をパンパン叩いてひとしきり笑うと、ふうと息を整えつつ眼鏡を掛けなおした。


「でも会長からも聞いてるはずだけどね、一緒に電脳世界を創らないかってね」

「電脳世界……あ、じゃあ、この機械ってもしかして」

「そうそれ、その通り! こいつは電脳世界構築用に開発された光量子コンピュータ『BQCI3号機』で通称は『バクさん』。電脳世界における物理現象の再現はもちろん、専用の設備を介することでその世界への完全没入(フルダイブ)が可能だ」


 フルダイブ――その言葉の意味を理解するなり鳥肌が立った。


「まぁ、まさか完全没入(フルダイブ)VRヴァーチャルリアリティマシンってことですか!?」

「そうそう、良く知ってるね。ひょっとして好きなの?」

「もちろんです! HMDだってろくに買った事が無い俺が、まさかVRマシンのデバッガーになれるなんて夢見たいです!」

「デバッガーっていうよりテスターだけどね。こいつのデバッグは専門家でもうんざりするからさ」


 苦々しい笑顔で砂原は黒い物体――光量子コンピュータ『バクさん』を見つめる。


「このバクさん、光量子コンピュータとか言いましたよね……それってなんですか?」

「おや、知らない? じゃあ光コンピュータは?」

「え、ええ、そりゃあまあ。今じゃほとんど光になりましたし」


 情報伝達信号を光子に変えた光コンピュータが発明されるや、旧来の電子コンピュータからあっという間に主流のザをもぎ取り、もう数年が経っている。

 いくら貧乏とは言え、俺だって実家にいた頃は光コンピュータ型の端末くらい持っていたのだ。


「うんうん、じゃあ量子コンピューターは知ってる?」

「えーと、それは知りません。なんとなく名前は聞いたことあるんですけど」

「まぁそれもしょうがないですね。簡単に言えば、一つの信号に大量の情報を入れ込める並行処理能力に優れたコンピューターの事だよ。研究は100年以上も前からされていたシロモノなんだけどね、失敗続きの挙げ句、政治改革のドサクサで完全にストップしちゃって……」


 砂原は寂しそうに目を伏せたかと思うと、そこからガッシと肩をつかまれた。


「ところが! 量子コンピューターと親和性の高い光コンピューター技術が確立された今、光量子コンピューターがようやく日の目を見たんだよ! ここまでいくと処理能力をフロップスなんかじゃ到底計れないバケモノ。まあ処理能力が安定しないせいもあるんだけど……まぁともかく、始めて人間の脳の処理能力を超えたコンピュータと言ってもいいんだよ!」

「は、はい!」


 砂原のまくしたてる勢いから、とんでもない技術だと言うのだけは十分に伝わってきた。

 しかし、すごい技術なのは分かるが当然の疑問が残る。


「……でも、そんなバケモノ染みた処理能力で何をやるんですか?」

「決まってるじゃないか! 電脳世界の維持だよ!」


 砂原は間髪いれずに答え、パイプイスから立ち上がった。


「なにより処理が大変なのが、全ての現象を再現するための物理演算だね。惑星単位の重力演算にはじまって誰かが唾を飲み込んだ際の喉の奥の感覚をシミュレートするまで、全てリアルタイムで世界を維持しないといけない。ただ僕らが立っている世界を再現するだけで一体どれだけの処理が必要か、カユちゃんはわかるかい?」

「い、いえ」

「そう、その通り、分からないんだ! だって、全ての物体間のクーロン力なんて考え出したらきりが無いだろう? だから分かる範囲で演算式をぶち込み続けるしかないのさ。そして次に問題になってくるのが再現した現象をどうやって脳へ伝えるかだ。つまりは五感の再現だよ!」


 砂原は何かのスイッチが入ってしまったようで、パイプイスの周りをぐるぐる回りながら熱く語り続ける。


「僕らの脳はね、これがとんでもない量のデータを処理してるんだ。視覚、聴覚、嗅覚に味覚、そして触覚。触覚は肌の感触さえ再現すればいいってモンじゃない。体や内臓、そういった負荷を筋肉がどう感じるか、そのフィードバック制御を繰り返して人間は立っていられるんだ。僕らがそれを感じないのは脳がほとんどのルーチン的な信号をカットしてるんだけど、これらルーチン的な信号が無くなると、途端に違和感に繋がるんだよ」

「……は、はあ」


 ぶっちゃけ理解できない範疇に入っていた。

 しかし、そんな俺の様子になどまるで頓着しない砂原は、黒い物体に近づいて愛しいものでも触れるようにその低くうなるボディに手を当てた。


「こいつは確かにバケモノだ。だがね、自然現象の再現だけならまだしも、君達の脳に送られる心臓を含めた内蔵や血液、筋肉、そして細胞一つ一つの信号をリアルタイムで送受信するには、こいつの力をもってしても定員は精々10名くらいが限度なんだよ」


 砂原は最後だけ少し悔しそうに言ったが、それは本当に一瞬だけで、すぐさまいつものふざけたような口調に戻った。


「さあて、短いがこんな説明で分かってもらえたかい? うんうん、他に質問はあるかい? 何でも構わないよ」

「い、いえ、ありません!」

「私もありません」

「そうかそうか、それは何より」


 何よりと言いながらも少し寂しそうだ。

 これからは質問には十分気をつけようと心に誓った。


「さてと、君達にはさっそくこいつにダイブしてもらう。他のメンバーは既に入ってるからね」

「あー、やっぱりそうですか」


 他のメンバーの姿が見えないからもしかするとと思っていたが、やはりそうだった。

 大事な仕事中に寝過ごしてしまった事をもう一度反省する。なんとも恥ずかしい。


「ああ、ちなみに君達のデータはさっきのMRIでじっくり採らせてもらった。これで、向こうに行っても同じ姿形で再現されるからね」


 なるほど、細胞一つ一つまで再現しようとするから、30分もかかるMRI検査を行ったんだと納得する。

 健康状態だけを見ているのではなかったようだ。

 そんなとき、カユが小さく手を上げた。


「それで、私達は向こうでは何をやればいいんですか?」

「ゲームをしながら違和感を探して欲しい」


 砂原は再びパイプイスに座って、こちらの反応でも見ているように顔を傾げて覗き込んだ。


「さっきも言ったとおり君達の姿はあっちの世界で再現される。その時に何か違和感を感じたら教えて欲しいんだ。ゲームを勧める都度、見つかった違和感の解消パッチを僕らがこの『バクさん』に追加していく。現実世界と電脳世界の違和感、それは微かなものでも長時間ダイブしているととんでもない苦痛に繋がるからね。下手をすると拒否反応が――ええとまぁ、そんな感じだ」


 最後だけ言葉を濁した。

 そんな会話の終わらせ方をされたら返って不安になってしまう。

 しかし、聞いたところで答えてくれなさそうなので、頭の隅においておく事にした。

 とにかくその違和感とやらを消せば良いのだ。


「奥の小部屋にそれぞれダイブ用のポットを用意してある。イクラちゃんは6番、カユちゃんは7番を利用しなさい。それから……これは、まぁ、ちょっと勘弁して欲しいんだけどね」


 妙に言い難そうに砂原は頬を掻いた。


「君達の脳はこれから数時間、このバクさんからの信号だけを感じるようになる。つまりは腹が減ろうが尿意がこようが分からなくなるんだよ。それで……」


 尿意、と聞いてとても嫌な予感が俺を襲った。


「今、もう少しシステマチックになるよう作ってるんだけどね。今は予算節約のため、紙オムツで我慢して欲しい」




「う、うわ……本当に紙オムツだよ。介護用かな」


 奥の小部屋には、さっきのMRIと似たようなベッドと、その台の上には紙オムツが置いてあった。

 迷っていても仕方が無いので、下着を脱ぐと紙オムツを履く。

 ゴワゴワするような事は無いが、なんだか妙な気分だ。


「さてと、あとはこれか」


 ベッドには枕の代わりに頭の部分が少しへこんでおり、首の部分にはスタンガンの口のような電極が飛び出している。

 ここを延髄、つまりは首の後ろに押し当てるように、との事だ。


「うーん、流石になんか怖いな」


 あの契約書の束が『死んでも許してね』的な内容だったらと思うと、流石に腰が引ける。


「くそっ! 悩んでも仕方が無い。ただでさえ寝坊して遅れてるんだ。い、いくぞ!」


 思い切ってベッドに寝転がり、首の後ろを電極に恐る恐る合わせる。

 と、電極が生き物のように動き出し、やがて一定の位置で止まる。

 おそらく俺の神経を探していたのだろう。


『あー、イクラくん。準備OKみたいですね?』


 どこかで見られていたのだろうか、突然、砂原の声が部屋に響いた。


「は、はい。オーケーです」

『はいはい、それじゃあ行きましょうか。ちょっと酩酊感があるかも知れないから覚悟してね』

「え、う、うわっ」


 ビリビリとした感覚が首筋を伝ったかと思うと、意識はあっと言う間に暗闇に飲み込まれていった。



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