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 仕事初日、眠い目をこすりながら向かった先は本社ビルの隣にある5階建ての建物、メディカルセンター。

 真っ白い円筒状のビルへ入ると病院のような消毒液のかすかな匂いが鼻孔をくすぐる。


 入ってすぐに受付カウンターがあり、その前にいた男女は見覚えのある3人だった。

 そのうちの一人がこちらに気付いて手を上げる。


「おう、イクラ」

「おはようございます」


 頷いたウイロの傍にはバナナとパセリの二人も見え、笑顔で挨拶を返してくれた。

 まだ時間には少し早いのだが、初日とあって流石に張り切っているようだ。


「あれ、カユさんは?」


 まだ姿を見せてないメンバーに気付き、確認してみるとバナナは笑顔を苦笑に変える。


「まだみたいね。でも大丈夫、いくらなんでも初日から遅刻はしないでしょ。ウイロじゃあるまいし」

「それはそうですね」

「……お前らな」


 ウイロの半眼を笑いながら俺は受付を済ませた。

 

 このまま笑い話で過ぎればよかったのだが、時間は刻々と過ぎていき。そしてカユは一向に姿を見せない。

 とうとうカユが来ないまま、約束の8時になってしまった。


(おいおい、嘘だろ……)


 言葉には出さなかったが俺は失望、と言うかショックを受けていた。

 試験の時、カユに歩けるよう助けてもらったせいか、彼女を知らぬ間に随分と美化していたようだ。まさか仕事初日に遅刻するなんて考えられない。

 チームの雰囲気が良かっただけに裏切られたような気分だった。


「昨日の試験の時から気になっとったけど、あいつやる気無いだろ。ちょっと仕事なめとらんか」


 ウイロの怒りをにじませた一言にパセリがぎょっとした顔でなだめる。


「ま、まあまあ。いきなりチームワーク乱すなんてやめましょうよ」

「そう言う態度はいかんだろ! 言うべき事はちゃんと言う、チームで仕事するなら常識だて!」

「そうかも知れないけど、ウイロが言うと喧嘩になるのよ。あんたは穏和って言葉を覚えなさい」

「それくらい知っとるわ!」

「ほら、もう怒鳴ってるじゃない」


 バナナの言葉にウイロはムッと顔をしかめたが、それ以上は何も言わず白い石目調の壁にもたれかかると腕を組んだ。

 気まずい空気がチーム内に流れた時だった。


 カツカツとヒールの音を鳴らせながらタイトスーツの女性がやってきた。会長の美人秘書、小津さんだ。

 一同は申し合わせたように姿勢を改めると、おはようございますと頭を下げる。


「おはようございます。どうやら揃っているようですね」


 揃っている――小津さんが淡々と口にした言葉に、俺たちは顔を見合わせた。

 言い出し難かったが、言わない訳にもいかない。


「実は、カユ……ええと、もう一人女性の方がまだ来てなくて」

「その方からは連絡がありましたので心配要りません。プライベートな事なので事情は話せませんが、少し遅れるそうです。業務に支障の無い時間には間に合うとの事です」


 すらすらと答えた小津さんには一分の隙もなく、全く問題視していないようだ。


(やむを得ない用事って事か。はぁ、良かった……)


 カユにしっかりと理由があり、尚且つ会社に連絡していたようなのでホッと胸をなで下ろす。

 せっかくのチーム、こんな事でギクシャクはしたくない。


(でも、事情ってなんだろう? 病気とか? だとしたら少し遅れて来るって変か……)


 小津さんの表情からは何も読み取らせてくれない。昨日と同じく淡々とした様子で俺たち4人を小さな会議室のような場所へ案内した。

 長テーブルが中央にあり、テーブルの周りを囲むように10脚ほどのイスが置かれている。


 好きな席に着いて下さいとの小津さんの指示があり、俺たちは思い思いの席についた。

 座るのを確認した小津さんがテーブルをタップすると、俺たちの目の前にプライベートディスプレイが表示され、書類ドキュメントが展開される。


「こちらは働くにあたって同意して頂く契約書になります。正社員ではないので法令などの要項は若干違いますが、ほぼ正社員と同様の内容になっています。目を通したら表紙の部分にサインをお願いします」


 と気軽に言うが、ページ数をチェックすると42ページもあり、1ページ1ページに細かい文字がびっちりと並んでいる。

 俺は最初の5、6枚まで頑張って目を通したが、そのうち斜め読みになり、半分程からは読み飛ばしてしまった。


(どんな条件だろうが、いまさら止められるわけないだろ)


 表紙に戻るとペンアクションでいつも以上に丁寧にサインを書き、国民IDとパスワードを入力して契約は無事終了となった。


 暇になったので他のメンバーを見てみると意外にもパセリも暇そうに伸びをしていた。

 逆にバナナやウイロは時間をかけて契約書を読んでいるようだ。

 だが、半分ほどまで読んだところで限界だったのか、ウイロは盛大にため息を吐いてギブアップと宣言した。


「全部読むなんて無理だわ。でらしんどい」

「そうね。それにここで契約書を疑ってもどうせサインするしか無いか」


 ウイロがサインすると、バナナもつられるように諦めてサインした。

 何はともあれ、あの分量を半分程まで頑張った二人を褒めてやりたい。


「では続いて健康診断を行います。まず更衣室にて着替えを行い、2階のロビーへ集合して下さい」





 市民プール等と比べると若干広々とした更衣室、中央と壁際には縦長のロッカーが並び、その中には浴衣のような白い服が掛けてあった。

 これに着替えろと言うことらしい。


 男三人がもぞもぞと着替えていると、パセリの顔が若干青ざめているのに気付く。

 大丈夫かと尋ねるとパセリは蚊の鳴くような声で無理ですと答えた。


「イクラさんって血を抜くのって平気な人ですか?」

「ええ、まあ少し抜くくらいは……ひょっとしてパセリさん、血液検査が怖いとか」

「当たり前じゃないですか! 自分の血が目の前で吹き出るところなんて絶対に見れませんよ!」


 脱いでいた服を胸にかき集めて首を振る。

 なんと言っていいものか、女々しいを通り越して若干可愛く見えてきたから危険だ。

 この人も落ち着いた大人と言う第一印象からどんどん離れていっている気がする。


 震えているパセリの向こう側から、呆れ果て半眼になったウイロが声をかけた。


「そんな事言って、ほんとは注射が苦手なだけに決まっとるが」

「違いますよ、ウイロさん。自分の血を見るのが怖いんです。想像力の問題ですよ」

「妄想力乙!」

「なんですかそれ。ちゃんとした日本語を勉強して下さい」


 やいのやいのと騒ぎながらも流石に26歳の男の子。いくらなんでも看護士の前で抵抗はしなかった。

 ただ真っ青な顔で終始目をぎゅっと閉じていたが。



 無事血液検査が終わるとパセリは少し休憩を要請し、俺とウイロ、バナナの3人でMRIを撮る事になった。

 看護士の差し出したコップには白い液体……おそらくバリウムがなみなみと注がれている。

 飲むとヨーグルト味でまずいとは思わなかったが、口当たりは良くない。

 バナナはコレが苦手なのか、思いっきり眉をしかめた。


「うええ、ただの健康診断でMRIまで撮るとは思わなかったなぁ」

「昨日の夜から絶食なんだで、そのくらい覚悟しとかな……ふあぁ」

「そう言うウイロは随分眠そうね。夕べは何時まで起きてたの?」


 バナナの質問にウイロは少しばつが悪そうに頭を掻くと、小さく4時と答えた。


「4時って全然寝てないじゃない! カユに自覚が無いとか偉そうな事言っといて、あんた何やってるの」

「寝れんかったんだし、しょうがないて。あんな豪華なホテル初めてだし、ベッドとか柔らか過ぎて逆に気持ち悪いし」

「分かります! 俺もあんまり豪華だったから寝るのがもったいなくなってずっと部屋の中でウロウロしてました」

「イクラのは貧乏性なだけだわ。ふああ――いかん、でら眠くなってきたわ」


 雑談しながらも小津さんに指示されていた部屋に入る。


「なにこれ」


 バナナの言葉に頷くしかなかった。

 巨大な装置――おそらくMRIだろうが、それが驚いたことに5台も横に並んでいたのだ。

 大きな病院でも3台以上置いてあるなんて聞いた事も無いとウイロが漏らしたが、アイナ社はこのご時世に一体どれだけ金が余っているのだろうか。


 設備に目を丸くして中へ入った俺達を待っていたのは一人の若い医師らしき男だ。

 医師は俺たちの驚いた顔を見て満足そうに頷くと、タブレット端末を片手にいきなり説明を始める。


「いやいや、新鮮な反応ありがとう。君たちもこれがMRIにしては随分大きいなとか思ってるんでしょう? そうなんだ。実はこれ、超指向の磁力を使ってほぼ細胞レベルで人体丸ごとスキャンできる次世代型のMRIなんですよ。ささ、ビビッときた機体の検査台にちゃっちゃっと寝ちゃって下さいね」


 大きいとかは全然思ってなかったのだが、どうやら5台もある上に最先端の機器らしい。

 もうこのメディカルセンターが会社お抱え病院と言うのが笑い話のようなレベルだ。


 俺はなんとなく一番端にある機器を選ぶと、検査台の上に横になった。

 すると、頭の上の方から検査台を包み込むようにカバーがゆっくりと下りてきて辺りが暗くなっていった。

 カバーを動かしている小さなモーター音だけが内部にこだまする。


「ふああ」


 暗くなった途端、思わずあくびが漏れ出てしまった。

 冗談でなく高級ホテルに浮かれて深夜まで眠れなかったのだ。

 おまけに検査台が低反発マットレスになっており寝心地は極上である。

 なんとか意識を集中させないと意識が刈り取られそうだった。


 初日から居眠りなんてシャレにならないと頬をつねっていると、カバーのどこかにスピーカーが仕込まれているらしく先ほどの男の声が中で響いた。


『ではスキャンを始めますね。ただ、スキャンって30分くらいかかるんですよ』


 若い医師がしれっと告げたが、この状態で30分何もしないで耐えるのは不可能に近い。

 どうしようかと悩んでいたが、次の医師の一言が全て解決した。


『だから、もし眠くなったら寝ちゃって下さい』

「い、いいんですか?」

『ええ。30分くらいかかりますし、寝てても問題なくデータは取れますから』


 正直に言うと涙が出るほどありがたかった。

 これで寝るなとか言われたら、本当に拷問だったくらいだ。


『ではいきますね』


 その言葉と同時に検査台内側にあった微かな灯りが消え、完全な暗闇になる。

 その後、俺の意識はあっけなく眠りの海に消えてしまった。





「う……ん」


 朦朧(もうろう)としていた意識が徐々に覚めていくが、いつものようにスッキリと起きれない。

 密室バイトから入社試験と続き相当疲れもたまっていた上に、昼夜の無い生活に睡眠時間まで狂ってしまったようだ。

 それにしても随分と長い間眠ってしまったように感じる。

 まぶたの向こう側がほんのりと明るく、早く起きなきゃと思う気持ちと、あと少しだけと思う気持ちがせめぎ合う。


(そう言えばMRIの中は真っ暗だったのに、なんで明るいんだ……)


 ぼんやりと浮かんだ疑問に後押しされてうっすらと目を開ける。

 やはりカバーが開けられていたらしく、明るさのあまり目を刺すような刺激があったが、視界の中央あたりがぽっかりと影になっている。

 さらに目を細めると、その影が顔だと気付いた。

 さらりと落ちる黒髪、白い肌に、すこしだけ堀りの浅い顔が頭の上からこちらを覗き込んでいる。


(カユ?)


 彼女のことを気にするあまり、とうとう夢にまで見てしまったのだろうか。


「イクラ、起きた?」

「うおっ!」


 鈴のような声で呼ばれ、思わず飛び起きた。

 覗き込んでいたカユの頭と危うくぶつかる所だったが、そんな事が気にならない程心臓がバクバクと音を立てている。

 これほど心臓が鳴るのを感じるのは生まれて初めてだ。


「カ、カユさん?」


 胸を押さえながら振り返ると、カユが目を丸くしてこちらを見ていた。

 自分と同じ浴衣のような白い服を着ており、妙に似合っている。

 カユは両手を口に当て、隠すように呟いた。


「……ビックリした」

「ビックリしたのはこっちの方だって。目が覚めたらいきなり目の前にカユがいたんだよ」


 彼女の髪が俺に掛かる程近くで覗き込んでいたのだから、驚くのは仕方ない。

 しかし、カユのキョトンとしている顔からは、なんで俺が驚いているのか理解しているように見えなかった。


「あれ? 他のみんなは?」


 辺りを見ると、他のMRIは全てオープンされており、カユ以外誰も見えない。


「みんな先に行ったよ」

「ええっ? そんなぁ、起こしてくれればいいのに」


 と言った後で、いくら何でも声すら掛けずに置いていくはずが無いと気付いて反省する。

 それに寝こけている自分が悪いのは間違いない。

 なんでこんなに爆睡してしまったのだろうか。


(体調でも崩したのかな)


 そう言えば、さっきから肌が過敏になっている気がする。

 寒気と敏感肌が来ると風邪をひ性分(たち)なのだ。

 頭もフワフワしており、この落ち着かない気持ちも風邪のせいだろうか。

 それとも――


(この状況のせい……とか)


 カユはあれこれと考え込んでいた俺を飽きもせずじっと見ていた。

 正直、赤面していない自信が無い。


 と、俺の意識がカユに向かったのを察したのだろうか、彼女はすっとある方向を指差した。


「イクラ、そろそろ行こ」

「――行くってどこに?」

「決まってるじゃない。電脳世界よ」


 そう言うと、クリスマスを待つ子供のようにカユは心から嬉しそうに笑った。 


 数秒、カユが怪訝そうに眉根を寄せるまで俺は息をするのも忘れて見蕩(みと)れていた。


「イクラ、どうかしたの?」

「え? あ、いやその……そう! その電脳世界って何? 次の検査かなにか?」

「まだ聞いてなかったんだ」


 カユは少しだけがっかりした表情を見せた。

 昨日のやる気のなさそうな態度とは違い、ころころと表情を変えている。

 今朝はプライベートな用事で遅れたと聞いたが、それが原因なのだろうか?


 いや、それ以上に疑問な事がある。

 なんで俺の顔何ぞを覗き込んでいたのかって事だ。

 しかもあんな至近距離で見ていて全く悪びれもしてなければ、恥ずかしそうな素振りすらない。


(……分からん。全くもって分からん)


 カユの顔からも態度からも行動からも、何を考えているのか全く掴めない。

 そして、次の会話も唐突だった。


「仕事なの」

「え? 電脳世界が仕事ってこと?」

「そう、仕事なの。だから早く行こ」


 そう言うとカユは手を伸ばし、検査台の上に座っていた俺の腕――裾の先をちょんと掴んで引っ張った。


「ちょ、ちょ」


 変な言葉が口を付いて出たが、彼女の表情を盗み見てもあくまでマイペース、特に気にしてる様子もない。

 

(ここで変に意識したら負けだ)


 俺は何も考えるなとカユに引っ張られるまま後に続く。

 幸い誰にも見られる事は無かったが、端から見ればさぞ奇妙な犬の散歩だったに違いない。


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