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さよなら密室

作者: 佐嶋ちよみ

 内側から鍵をかけ、チェーンロックも念入りに。

 暖かな密室で時間を過ごすのが私の日課だ。

 『売れっ子占い師』といえば酷い行列、予約待ちの電話、結果に対する不満の声、優秀なマネージャー、押し寄せる雑誌テレビの取材、そんなものが思い浮かべられるだろうが、私の生活は穏やかなものだ。

 インターネットは実に便利である。

 一日の間に受け入れられる数の案件だけを受理し、生年月日や血液型、家族構成に出身地学歴職歴といった基本データを送信してもらう。それに応じて幾つかの占術を重ねあわせ、下準備をしておく。

 全て真実を書きこまない顧客もいるだろうが、それは会ってみれば判る。会うといってもこちらで時間を指定して呼びつければいい。安楽椅子探偵なんて言葉があるけれど、似たようなものだった。

 占いは魔法じゃない。

 統計学の上に成り立ち、その多くを科学的分析で解き明かすことができる。

 過去、その周期から、然るべき先を導き出す。

 最後は伝家の宝刀『当たるも八卦』だ。過去に関して当てて見せれば、先が外れたとしても矛先は逸れる。

 提供されるデータが有れば、まったくの見当外れを引き出すこともなく、違うと言い張られれば「それがあなたの気付かない一面なのですよ」これで大体カタがつく。

 過去を知る事と、己の話術。これでほとんどは凌げる。もちろん、仕事とする以上、占術の心得はきちんとある事は言うまでもない。

 膨大な仕事量を捌くためのアシスタントが、一人。そのお陰で、仕事とプライベートのバランスがとれた生活を送る事ができている。多忙ながらも充実した日々と言えよう。

 職場とも呼べぬような職場で、今日もデータ書類を手に、私は仕事に取り掛かる。


「過去かぁ……」

 私立幼稚園入学から一流企業リストラまで、華麗な経歴を持つ顧客のページで手を止め、誰に言うでなく私は呟いた。

 自分の過去を知りたくて、私は占術に手を伸ばし、解き明かせないまま他人の過去と未来を占っているのだ。

「皮肉なものねぇ」

 ふっと声がした。振り向いて、私は彼女の存在を確認してからため息をつく。

「人の思考を読むのは止めてくれないかな」

 目にかかる長い前髪をかきあげるのは私が苛立っている時の癖だ。長い付き合いの彼女は熟知した上で、笑う。

「アンタの思考なんて、読むまでもないわ。どれだけの付き合いだと思ってンのよ」

 まぁねぇ……。物ごころついた頃には、傍には彼女が居た。

 私以上に、私の事を知っている存在と言えよう。

「昼寝をしたのも手を繋いで遠足に行ったのも、……冗談半分のファーストキスだって。そうでしょう?」

 ……ちょっと待って。

「キスって、なんのこと?」

 ファーストキスは、十五歳。高校一年生。美術部の先輩と、が私の記憶だ。

「あぁ、アンタじゃなかったのかもね」

 彼女は傷つく風でもなく応じた。それは、彼女が遊び慣れているわけでも、私が遊び慣れているわけでもない。

「やっかいね、二重人格」

 私が自分の過去を読めないのは、そこに在る。


 心因性のものであるとかなんだとか、関係する書籍は読み漁ったし医者にもかかったが、理屈で解くことはできなかった。

 しかし、とにかく、私は二重人格なのだ。そして、自分の人格が水面下にある時の記憶は無い。

 寝て起きたら足の骨が折れていたとか、クラスメイトに告白した事になっていたとか、内定していた就職先へ断りの電話を入れていたとか、数え上げればキリがない。

 両親は健在。兄弟は無い。家庭内暴力もない。バニシングツインの可能性も考えたが、それも違うそうだ。

 綻びだらけの記憶の中で、今、こうして過ごしている彼女との記憶だけは確かだった。

 彼女とは物ごころがついた頃には一緒に過ごし、小学校の遠足を楽しみ、自転車で風を切って登下校した。進学・就職で道が分かれたこともあるが、再会して以降は変わらぬ付き合いをしている。

 私の欠けた記憶のピースの幾つかを彼女は持っていて、そのことで傍にいる。

 そんなピースが無くたって、私と彼女の関係に支障はないのだが、彼女自身が恐れているようだった。

「相変わらず、自分の事になると未来も読めないのね」

 見事だわー、と私が目を留めていた書類を引き抜き、彼女は嘲笑う。はらり、かきあげた私の前髪が再び落ちて視界をふさぐ。

「過去の先に未来はあるから、調子よく未来だけを予測するっていうのは私のスタイルじゃないんだ」 

 過去が無くても生きていけるじゃない。

 知った風に彼女が返す。

「私は不安なんだ!」

 書類を握りしめ、その拳でデスクを叩きつける。ガタリとPCのキーボードが弾んだ。

「人の不安で生活している癖に」

 知ってる。

 占い師を頼りにくる人間は、誰もが不安を抱えている。背を押して欲しいがために、望んだ言葉を引き出したいがために、そのドアを叩く。

 それを汲んで、耳触りの良い言葉をかけてやれば良いだけの話で、過去なんて大した重要じゃない。

 だけど。

「だれも私には言葉をかけてくれない!」



「だったら、ここの鍵を開けてくれないか」

 ドンドンドン、乱暴に密室の扉が叩かれた。

 



「またかい?」

「またです」

 私は、二重人格だ。

 それでもって占い師という職に就いている。名乗ったもの勝ち、売れたもの勝ちの業界なので、性に合っているといえば、合っている。少し不思議なキャラクターの方が、顧客も安心するらしい。

 幼馴染は苦笑しながら、その指先で私の長い前髪を払った。視界が開ける。

「本当に、君は手間がかかるな」

「すみません」

 アシスタントである幼馴染がやってきたので、私はチェーンロックを開けて招き入れ、再び密室を作る。

 午前中は情報処理、昼休みを挟んでから顧客対応というスケジュールだ。

 私は資料漁り、幼馴染はネットでの対応。狭い部屋で背中を合わせ、というのが普段の流れ。

 私をパソコンチェアに座らせると、幼馴染は軽やかに言い放った。

「いいよ、僕は君にかかる手間の数を数えるのが趣味なんだ」

「変態め」

「他に言うことは?」

「アリガトウゴザイマス」

 お約束のような会話を笑い飛ばし、幼馴染は自身の椅子に着く前に、足元の紙片を拾い上げた。

「あぁ、これは……見事だね」

 ギシリ、チェアに腰をおろして幼馴染がポツリと呟く。

「うん」

 独り言かとも思えたが、この部屋には二人しかいないので私は頷きを返した。

「君と同じような経歴だ。それでか」

「……え?」

「ん? 君じゃ無かったかな。忘れてくれ」

「待って、どういうことなの」

 私立幼稚園入学から一流企業リストラ。それが、私と同じ?

 幼稚園は近所の公立、高校までそうだ。卒業から独学で心理学だの占術だのを習得して、再会した幼馴染の勧めで占い業を始めた。

 四十代後半男性と、私のどこが重なるのだろう。

「深い意味は無い」

 幼馴染は椅子を回転させ背を向けるが、得意のポーカーフェイスを通し切れていない。耳が赤い。どういうことだ。

 私の欠けた記憶のピースの幾つかを『彼女』は持っていて、それが幼馴染に繋がっているのだろうか。

 私の、知らないところで。

 チクリと胸が痛む。痛んだところでどうしようもない事なのに。自分は覚えていないのだから。

「未来の話だ。君の嫌いな事だよ。もう、この話題はやめよう」

「だって、私の事なんだろう?」

 過去の記憶に綻びのある私は、自分の未来の話が嫌いだ。それを知っていて、話を変えたい時に持ちだすのが幼馴染の癖なのだ。

「僕の事でもある」

「だったら尚更だ」

「尚更、言うわけにはいかない」

 声を荒げるでもなく、そうして幼馴染は押し黙った。

 私が子供じみた意地を張るのはいつものことで、幼馴染は小馬鹿にしながら受け流すのがいつものことだった。

 こういう空気は、慣れていない。

 もしかしたら、違う『私』と……、そう、『彼女』とならば、よくあることなのかもしれないけれど。

 そう考えると、たまらなくなる。欠落した記憶を教えてくれるのは、幼馴染のほかに『彼女』しかいない。その二人が、私に嘘をついている? 何かを隠している?

 それじゃあ、『私』は何なのだ?

 答えを出せないまま、私は立ち上がっていた。反動でチェアが滑り、デスクに当たる硬質な音が響く。構わずに幼馴染の腕を引き、こちらを向けた。

「ごめん」

「君の記憶の中で、僕に謝る事が何かあるの」

「ない」

「即答かい」

 謝るような事があれば、幼馴染が教えてくれたし、記憶にないなら忘れればいいとも言った。そのあとで、『彼女』がこっそりと教えてくれることもあった。

 しかして、都度都度で精算して来たので、感謝こそすれ謝罪は貯め込んでいない。それでも、この空気は嫌だ。

 今にも泣きだしそうだ。

 そんな私を見て、幼馴染が笑った。

「ごめん。今のは僕が悪かった。恥ずかしかっただけだ。今さらだよね」

 小首を傾げると、幼馴染の髪がサラリと揺れて、淡い花の香りが広がった。

 ドキリ、飛び上がる心臓をあわてて抑えつけ、私は身を固くする。

「あのね」

 幼馴染が例の書類を折りたたみ、ジャケットの内側へしまおうとするので、私は慌てて奪い取る。幼馴染は、やっぱり笑った。 

「君のことがわかるのは、世界で僕くらいだって、自覚してよね。君が、自分自身の事さえわかっていないのを僕は知っているよ」

 書類を取り返すでもなく、恩着せがましい口調で幼馴染が言葉を続けた。

「君がどっちだって、どうでもいいんだよ、僕には。昼寝中の粗相を僕のせいにしたのも、遠足で勝手に迷子になったのも、自転車で僕の荷物をひったくったのも、全部ひっくるめて"君"なんだから。全部の君と、僕は友達なんだから」

 全部。全部といったか、今。

「手を繋いだのも、ファーストキスを目撃されたのも、その後に君としたのも、酒の勢いで川に飛び込んだことも、振り込め詐欺を試したら三回引っかかってくれたおかげで僕が東京での生活を何とかやっていけたのも、僕は覚えている。全部、君との思い出だ」

「ちょ、ちょっと、えっと、まって、何を言っているのか」

 変なものが、色々と混ざっている。私は三十年弱、どんな生活をしてきた!?

「君が二重人格だと思っている事は、どうだっていいんだよ。チョコレートの味も覚えていなくていいから」

「それって、どういう」

「人格が二つだろうが五つだろうが二十四あろうが、全部ひっくるめて、僕は君が好きなの。これは、一回しか言わないからね!?」

「…………はい」

「答えは?」 

 飛び出す心臓を抑えつけたくても、私の両手は幼馴染にガッチリとホールドされている。

 私を見上げてくる、二つの水晶球。その中の、怯えた表情の男。情けない私の姿。

 私の記憶の中の幼馴染は、一ミリのズレもない。大切な事を話す時は、手を握り、目を合わせる。

 私の中の私に関する記憶はブレてばかりで重ならない。私は私が何者なのかを理解していない。答えをいつも、向かいあう水晶球の中に求める。

 弱く、揺らいでばかりいる私を繋ぎとめるために、すっかり幼馴染は強くなってしまった。けれどその手が、今はほんの少しだけ震えていた。

 私は、目を伏せる。

 水晶球から目を反らす。

 逸らした先、自分が握りしめていた輝かしい経歴の中に、一行、見慣れたフレーズと、自分に重ねることのなかったフレーズを見つけた。

 そうして、過去に頼らない未来を導き出す。

「美香ちゃん。一度しか言わないよ。私は……」



 その日、私の中の密室で、ひっそりと幾人かの『私』が存在を消した。


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